第1話 見合いと夜逃げと重税と
~ カザン王国西辺境領 ~
乾いた風が、痩せた畑の土を攫っていく。
赤く染まった夕日が、ここカザン王国辺境領のすべてを等しく照らし出していた。
誰もが等しく、緩やかに死へと向かう、この土地のすべてを。
俺は肩に担いだ鍬の柄を握りしめ、遠く西の山々に沈んでいく太陽を眺めていた。
遠吠えのような魔物の咆哮が、風に乗って微かに聞こえてくる。
この土地では、ありふれた日常の音だ。
俺の名はライハルト。
この村で唯一の、若者と呼ばれる年齢の男だ。
かつては、この村にも俺と同じ世代の男や女たちがいた。
だが、終わりの見えない魔神との戦さを理由に、領主の際限のない重税に耐えかねて、皆、村を捨てて出て行った。
あるいは税を納めきれずに男は兵にとられ、女性は身売りをさせられたりしている。
今では腰の曲がった老人たちが、しがみつくようにこの土地に残っているだけだ。
「……また、ひとり減ったか」
ぽつりと、俺がつぶやいた言葉は、乾いた風に溶けて消えた。
俺自身、この村で骨を埋めるつもりだった。
親の顔も知らず、物心ついた時から村の世話になって生きてきた。
この村が俺の故郷で、ここにいる者たちは皆、家族のようなものだ。
そんな家族のような村で静かに暮らしたい。
そのささやかな望みすら、この辺境領は許してくれないらしい。
つい先月のこと。
俺に四度目の見合い話が持ち上がった。
そして破談となった。
一応断っておくが、俺の外見や性格が悪いとか、素行に問題があったわけじゃない。
以前は村にいた若い女性たちが「長身だし働き者だし、その艶やかな長い黒髪と青い瑠璃色が好き!」と言ってくれた。
これまでの四度の見合も、相手側から乞われてのものだった。
だがそれらの見合いは、ことごとく増税よって台無しになってきた。
最後の見合い相手は、隣の集落に最後に残っていたリーナという娘だった。
はにかみ屋で、俯いてばかりいる娘だったが、ときおり見せる笑顔が、春の陽だまりのように優しかったのを覚えている。
畑仕事の合間に、二人で他愛もない話をした。
「ライハルトさんの畑、いつか豊作になったら……その……お料理、作ってもいいですか?」
「ああ。リーナの作る飯なら、きっと美味いだろうな」
そんなささやかな未来を、俺は確かに夢見ていた。
今度こそ、と。
しかし、その数日後、シュターク騎士団の分隊が村にやってきて、徴税官が高らかに告げる。
「魔神ウディナ・キキモーラとの戦況が思わしくない故、さらなる増税を実施する」
村に重い沈黙が落ちた。
誰もが、それが何を意味するのかを理解していた。
その夜、リーナの父親が、俺の小屋を訪ねてきた。
「ライハルト君……すまん」
そう言って、俺の前に深々と頭を下げる。
その皺の刻まれた顔には、苦渋と、父親としての情が滲んでいた。
「娘のためなんだ……。このままここにいても、食い詰めるか、あるいは税の代わりに娘を差し出せと言われるのがオチだ。どうか……どうか、許してくれ」
父親が俺に告げたのは、一家で夜逃げをするという話だった。
俺に、断る理由などなかった。
その夜、月明かりの下、貧相な馬が曳く馬車に、リーナと家族の荷物を積むのを手伝った。
「……達者でな」
村境の古びた道標の前で、俺はそれだけを言って見送るのが精一杯だった。
リーナは、ただ黙って、涙をこらえながら何度も振り返っていた。
遠ざかっていく小さな影が、夜の闇に溶けて消えるまで、俺はそこから動けなかった。
これでよかったんだ。
そう自分に言い聞かせた。
―――――――
―――
―
リーナの回想から意識が引き戻されたのは、地響きのような馬蹄の音だった。
見れば、西の街道から土埃を上げて、一隊の騎士がこちらへ向かってくる。
見慣れたシュターク騎士団の紋章。
その威圧的な雰囲気に、畑のあちこちで農作業をしていた老人たちが、びくりと肩を震わせ、鍬を持つ手に力を込めるのがわかった。
先頭を馬で進むのは、副団長のガラミス。
油で固めた金髪と、贅肉のついた傲慢な顔。
俺の存在に気づくと、馬上から、まるで汚物でも見るかのように一瞥し、鼻で笑った。
そのまま騎士団は、村の中ほどにあるハンス爺さんの家の前で止まる。
「開けろ! 税の取り立てだ!」
徴税官の甲高い声が響くが、古びた木の扉は固く閉ざされたままだ。
「返事がないな。……おい、中を調べろ」
ガラミスの命令で、二人の騎士が扉を蹴破り、家の中へとなだれ込む。すぐに、一人が戻ってきて報告した。
「副団長殿! 家の中はもぬけの殻です! 夜逃げしたものかと!」
「ふん、またか。愚かな……」
ガラミスは忌々しげに吐き捨てると、部下に命じた。
「村の者共を全員、ここに集めろ。良い見せしめにしてやる」
広場には数えるほどしかいない村の老人たちが、騎士たちに囲まれるようにして集められた。
誰もが恐怖に顔を強張らせ、俯いている。
ガラミスは松明を手に取ると、ハンス爺さんの家の壁に、ためらうことなくそれを投げつけた。
乾いた茅葺屋根は、あっという間に炎を上げる。
爆ぜるような音を立てて一気に炎に飲みこまれる。
熱風が俺たちの頬を舐め、鼻をつく焦げ臭い匂いが絶望を加速させる。
「よく聞け、愚民ども!」
燃え盛る家を背景に、ガラミスが高圧的に叫んだ。
「税を収めぬ者はこうなるのだ! 南の戦線でシュターク騎士団が命を懸けて魔神の軍勢を食い止めているというのに、貴様らはその糧秣すら満足に納めぬか! 貴様らの怠慢が騎士団の力を削ぎ、この領地を破滅させるのだぞ!」
パチパチと木のはぜる音、そして黒煙が空へと昇っていく。
村人たちは青ざめた顔で、かつての隣人の住処が灰になっていくのを見つめるしかなかった。
そんな村人たちの表情を見て、騎士団は満足して引き上げていった。
その去り際、ガラミスは馬上から俺を見下ろし、言い放った。
「ライハルト。ハンスの畑はお前が収穫し、奴の分の税も納めろ。かわりに、お前の徴兵はひと月だけ待ってやる。それまでに滞納分をすべて納めることだな」
嘲るような笑みを残し、ガラミスは去っていった。
あとに残されたのは、燃え落ちる家の残骸と、言葉を失った村人たちだけだった。
「……もう、終わりじゃ……」
誰かが、地面に崩れ落ちて嗚咽した。
「ワシの息子も、兵隊に取られたきり、何の連絡も……」
「うちの娘も……税の代わりと無理やり連れていかれて……今頃どうしているか……」
皆が、それぞれの悲劇をぽつりと呟く。
この村には、もう希望など欠片も残っていなかった。
俺自身、税の滞納が続き、ひと月後には兵士として最前線に送られることが決まっている。
ハンス爺さん?
ああ、あの頑固で優しい爺さんの夜逃げを手伝ったのは、何を隠そう俺だ。
今頃は隣領で親戚と暮らしているはずだ。
もうこの土地に未来はない。
誰もがそう悟っていた。
燃え盛る家を見つめていた村の長老が、ゆっくりと俺の方へ向き直る。
その皺だらけの顔には深い悲しみと、同時に鋼のような決意が浮かんでいた。
「ライハルトや。身寄りもないお前がこの村に居残り続ける必要はない。もうこの村を出るんじゃ」
「だが俺がいなくなったら、皆の生活が……」
俺の言葉を、長老は力なく首を振って遮った。
「わしらのことはよい。どうせ先は長くない。わしらはこの生まれた土地で眠ることにする。心配なのは、領主に連れていかれた息子や娘たちじゃ。彼らが帰ってきたとしても、この村にもう未来はないじゃろう。だからお前には、南の豊かな土地で先に基盤を築いてほしい。そして、いつかわしらの子供たちがお前を頼って訪ねてきたら、ほんの少しでいい、力を貸してやってくれんか」
それは、あまりにも優しい「嘘」だった。
長老たちの言葉の裏にある覚悟を、俺は痛いほど感じていた。
俺には頷くことしかできない。
「これしかなくてすまんのう」
「達者で暮らせよ」
他の村人たちも、なけなしの干し肉や、皺くちゃの掌で温められた数枚の銅貨を、俺の手に握らせてくれる。
その温もりが、やけに熱かった。
俺は、村人一人一人に深く頭を下げる。
もう自分の家には戻らない。
戻るべき場所は、もうこの村にはないのだ。
俺はそのまま踵を返すと、南へと続く、果てしない道へと足を踏み出した。
長老たちの言葉の真意。
最前線に送られた息子たちが、娼館に売られた娘たちが、二度とこの村に帰ってくることはない。
村中の誰もが、それを知っていた。
すべては、最後まで村に残ろうとする俺を、無事に逃がすための方便。
最後の愛情だった。
こらえていた涙が頬を伝う。
だが、俺はその熱い雫を拭おうとはしなかった。
村人たちをここまで追い詰めたガラミス、そしてその上に立つ領主への、燃えるような怒りがそれを許さない。
悲しみは、いつしか硬く、冷たい復讐心へと変わっていく。
俺は乾いた唇で、静かに、しかしはっきりと俺はつぶやいた。
「奴らに、必ず償わせてやる……」
俺は自分の
★――――――――――――――――――――――――――★
面白いとか続きが気になるとか思っていただけましたら、
ぜひ❤や★レビューをお願いします。
☆――――――――――――――――――――――――――☆
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます