E08-02 モルテヴィアからの招待状
夏の陽射しが、中庭の緑をまぶしく照らしていた。
エルは腕を組みながら、地面に転がったアスラドの肖像画を思いきり踏みつけた。
「ちょっとやりすぎちゃったかも」
「その割に足をどかす気がないな」
言葉と行動のちぐはぐさに、レイヴが隣で苦笑する。
二人がいるのは、ノーラ王宮でもっとも広い本宮庭園だ。
空中庭園とは違い、こちらは庭師達が日々丹精込めて手入れしている。
彫刻のように美しく刈り込まれた樹木と、色とりどりの花が咲き乱れる花壇が整然と並び、その奥の噴水の水音が夏の彩りを添えていた。
そこに、真っ二つになったアスラド王子の肖像画が転がっているのは異様としか言いようがない。
しかも肖像画には至るところに短剣が突き刺さっている。
「で、何がどうしてこうなった?」
レイヴが問いかけると、エルが口を尖らせた。
「別に何もしてないよ。ただ、このひとの絵を眺めてたらなんだか苛々してきて、そしたらうっかりマナが溢れちゃって……」
「つまり、マナの衝撃で絵が壁から吹っ飛んで、窓ごと突き破って……で、真っ逆さまにここへ落下したってわけなんだな」
「……ほんとに、わたしのこと何でも見透かしてるよね。まいるなぁ」
「そりゃあ、おまえに振り回され続けてりゃ、多少はな。慣れてきたんだよ」
レイヴはそう言って隣の少女に目をやった。
袖のない白いブラウスに膝丈のズボンという楽な格好だ。
「魔術師さん、そういえば今日は珍しいね?
レイヴも今日は綿のシャツにズボンという軽装だ。
エルもレイヴも飾らない気質なので、婚約者同士というより、仲の良い街人のような出で立ちである。
海風が抜けるノーラの夏は涼しいが、それでも
象徴的な装いというだけでなく、
それを脱ぐというのは、言い換えれば、安心と信頼の証だった。
「……俺としたことが、気が抜けてきちまってるんだよな」
「いいことだよ。ちゃんと信頼してくれてるってことでしょ?」
そう言うエルもレイヴの前ではかなり気を許すようになっていた。
もともとほんわかした気質なのでこれと言って違いがないように見えるものの、下の城を訪れてからは、何かが確かに変わっていた。
『器』については、あれから何も触れられていない。
だが、エルという少女の核心をついたのは間違いなかった。
「で、こいつからの書状には何て書いてあったんだ?」
レイヴが、破れた肖像画を顎で示す。
「これ」
エルはむすっとした顔で、封筒を差し出した。
「今朝届いたの。読んでみて」
「いいのか?おまえ宛ての手紙なのに」
「いいの。だってあなたは、わたしの隣に立つひとなんだから」
素直な言葉にわずかに目を細めると、レイヴは手紙を取り出した。
「……へえ。モルテヴィア主催の夜会への招待状、か。
『我らの失われし宝を、正しくお返しいただくための夜となりましょう』――っだってよ。失われし宝、ね。何のことだかおまえには見当がついてるんだな?」
「うん。あの……まだ言えないけど……」
目を伏せるエルに、レイヴは口の端だけで笑ってみせた。
なぜかエルの頭を撫でたい衝動に駆られたが、もちろんそんなことはおくびにも見せない。
「無理すんな。それでいい」
その言葉に、エルはふっと笑いかけたが、すぐに表情が引き締まる。
薔薇色の瞳に決意の光が灯る。
「でもね、ひとつだけ確かなことがある。これは、完っ全にこっちを煽ってる。だったら、乗るしかないよね?売られた喧嘩は、買ってあげなきゃ」
そう言いながら、エルが肖像画を踏み抜いた。
ほとんど力を入れていないように見えたのに、綺麗に穴が開く。
「その考え、嫌いじゃないぜ」
レイヴが指先を弾くと、無詠唱の魔術の炎が立ち上がった。
静かな業火が、アスラドの笑顔を包み、焼き尽くしていく。
「けど、向こうが仕掛けてくるのは目に見えてるぜ」
「大丈夫。魔術師さんがいてくれるし……それに、すごい援軍もいるから」
「援軍って……おい、まさかとは思うが」
そのときだった。
ふいに、風が止まった。
空気の流れすら、ぴたりと凪ぐ。
中庭の木陰の奥から、ふたつの気配が滑るように現れる。
物音どころか気配すらなく姿を現したのは、
「エルがぼくらを必要としてる気がして、来ちゃったよ! ねえ、呼んだよね?」
「我らはいつでもお側におります。どうぞご命令を、
アンの声は陽気に跳ね、フィリオンは静かに一礼した。
下の城から、二人は独断で上がってきたのだ。
「アン、フィリオン。わたしを助けてくれる? ……モルテヴィアに、行きたいの」
その一言で、二人の機械仕掛けの虹彩が一気に光を帯びる。
「そっか! モルテヴィア人を殲滅するのかな!? うわぁ〜、楽しみ〜!」
「……とうとう、覚悟を決められたのですね。もちろん、どこまでもお供いたします」
物騒なことを言い放つアンに、厳粛な口調を崩さないフィリオン。
レイヴは慌てて言った。
「いいのか!?こいつらを上に出しちまったら、
アンとフィリオンは自我を持つ
「どっちみちいつまでも隠しておけないもの。みんな最初は驚くかもしれないけど、きっと受け入れてくれるよ」
「よく聞け。百歩譲ってノーラじゃそうかもしれないが、俺たちはモルテヴィアに行くんだぞ?おまえがこんな規格外の力を持ってることが知られたら危険だろうが」
まるで人間のような
「たぶん、大丈夫だって」
「だから、なにが大丈夫なんだよ?最初から説明を放棄するな。わかりづらくてもいいから、おまえの言葉で言ってみろ」
エルは驚いたようにレイヴを見ると、小さく息を吐いた。
「それ、アドリアンも言ってた」
「…………」
アドリアンは形式上はエルを妻にしたが、実際は父親がわりであったのだ。
「……頼むから俺をお父さんって呼ぶなよ」
「だめなの?」
「ああ、だめだ」
「じゃあ、呼ばないようにするよ」
「……そうしてくれ」
不思議そうにするエルと今にも頭を抱えんばかりのレイヴの会話を、アンとフィリオンは興味深げに観察していた。
「ねぇ、フィリオン!レイヴってさぁ〜どう考えても……」
「アン、それ以上の情報開示はレイヴどのの精神安定に極めて有害となる可能性が高いですよ」
「おまえら……いい加減にしろよ」
がっくりと膝を折りたくなったレイヴがふと視線を落とすと、足元でアスラドの肖像画が静かに灰になり、崩れていくところだった。
笑いの気配が去り、沈黙が落ちる。
夏の光の中に、戦の気配がじわりと立ち上がっていた。
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