第28話 逃避行先の試練
真宮さんに手を引かれ歩くこと、20分弱。
今度はあだ名を考えたりせず、ただお互い黙って、手を繋いだまま歩いていた。
不思議と退屈さは無い。どこに行くのか若干の不安はありつつ、彼女の手から伝わる体温に、気持ちが安らいでいく。
「ここよ」
真宮さんが連れてきたのは、なんてことない、普通のマンションだった。
もしかして……と、疑う猶予さえなく、真宮さんはエントランスに入っていき、手慣れた様子でエレベーターを呼び出した。
これは、間違いなく――。
「私の家じゃないわよ」
「そうなの!?」
全然間違いあった!
僕の頭の中を読み切り、だからといって得意げに笑うでもなく、真宮さんはエレベーターに乗り込む。
けれど、それを追うとき、操作ボタンの前に立つ彼女の口元が、僅かにひくついているのは見逃さなかった。
◇
エレベーターで7階に。
その間、真宮さんはスマホを触っていて何も説明してくれなくて……僕の不安は徐々に大きくなっていく。
今更真宮さんを疑いたい気持ちは無いけれど、何の変哲も無いマンション、しかも彼女の自宅では無い……そんなところに連れてこられた理由が何一つ想像つかないからだ。
(本当はここが家で……いや、それはないか)
真宮さんの家がそれなりに裕福な家庭だということは分かっている。
規模までは分からないけれど、ただこのマンションは裕福というよりもっと庶民向けって雰囲気だ。
だからイメージと合わない……それくらいの根拠だけれど。
そう考えている内にエレベーターが着き、真宮さんに導かれるまま、二つ目の扉の前で足を止めた。
702号室。表札に名前は無いが、公共放送のシールは貼られている。
「…………」
真宮さんは何も説明しないまま、インターフォンを押す。
部屋の中から軽快なチャイム音と、なぜかバタバタとした音が聞こえてきて……僕がつい生唾を飲みつつ見守っていると――。
「もう来たのか!? ったく、まだ掃除終わってねーよ!」
慌ててドアが開かれ、一人の男性が飛び出してきた。
金色に染められた髪、左耳にはピアス。
高身長で中肉中背、垢抜けた雰囲気の、僕らより少し年上に見える男の人だ。
「連絡はしたから」
「30分も経ってねーだろ! ったく、俺がデートでも楽しんでたらどうするつもりだったんだよ」
「彼女いないでしょ」
「そ、そうだけど……お前に言われると余計傷つく――んぁ?」
淡々とした真宮さんと、それに激しく文句を言う男性。
そんな彼が、真宮さんの隣にいた僕にようやく気づいた。
「……誰?」
そして、僕を指さしつつ、真宮さんに聞く。僕も全然状況が分からないので、真宮さんを見る。
「彼氏」
「はぁっ!?」
思わず身が竦むくらいの声量だった。
これでもかというくらい目と口を大きく開く彼を見て、僕はなんとなく二人の関係性を察し――同時に、真宮さんがとんでもない爆弾を放ったことにも気がつく。
なんだか嫌な汗が出てきた……真宮さん、とんでもないところに連れてきてくれちゃったんじゃないか?
「大声出さないで。近所迷惑でしょ。さっさと入れて、お兄ちゃん」
真宮さんは彼のリアクションに一切動じることなく、ぶっきらぼうに言い放つ。
お兄ちゃん――つまり、真宮さんの兄。
そう思って見てみれば、確かにその整った顔立ちにはどことなく同じ面影が感じられる。
そんなお兄さんに僕のことを彼氏って……そ、それは冗談じゃ済まないんじゃ……!?
「い、いや、お前、かれ、彼氏って……」
「お邪魔します。ほら、天羽も上がって」
痺れを切らしたのか、お兄さんを押しのけ玄関に上がり込む真宮さん。
しっかり名前呼びを継続しているのは、さっき彼女が言ったとおりまだデートが続いているって意味だろうけど……それは火に油を注いでしまっているんじゃないだろうか。
当然、お兄さんを押しのけて上がることなどできるはずもなく……僕は突然降って湧いた試練に、お兄さん同様硬直するしかなかった。
◇
部屋の中は、普通に一人暮らしの部屋って感じだった。
そういうところに入るのは初めてだけれど、部屋の隅に乱雑に部屋着が積まれていたり、シンクにはコンビニ弁当の空き容器が積まれていたり……実に生活感のある雰囲気は、一人暮らしっぽいという以外、形容しづらかった。
その、リビング兼寝室っぽい部屋に座らされる、僕。
正面にはローテーブルを挟んでお兄さんが頬杖をつきつつ座り、ジロジロ睨み付けてきていた。
完全に警戒されている……気持ちはすごく分かるけれど……。
そして肝心の真宮さんは廊下と一体化していたキッチンにお茶を入れに行っていた。扉一枚挟んだ向こうにいるけれど、ものすごく心細い。
「お前、名前は?」
気怠げに、けれど、威圧感たっぷりに、お兄さんが聞いてくる。
「わ、綿貫天羽と申します……」
「綿貫ね……つーかさっき、幸歌から天羽って下の名前で呼ばれてなかったかよ!?」
「で、ですかね……はは……」
もう嫌って程伝わってきた。
この人、シスコンだ! ……とは言い過ぎかもしれないけれど、妹思いな人であるのは間違いない!
そして、すごく問題なのは、最初の真宮さんの発言で――。
「お前、幸歌と付き合ってるってマジなのか?」
「あ、いや、その……」
「いや、幸歌がそんな冗談言うわけがねぇからなぁ。でも、そうなると、どうしたっておかしいことがある……そうだよなぁ、天羽くん?」
「う……!」
鋭く睨まれ、僕は体を縮こまらせる。
おかしいっていうのは間違いなくあのことだ。家族なんだ、知ってて当たり前だ。
でも、僕はそれをどう口にしていいか分からなくて……そんな反応を、お兄さんが当然気に入るはずもない。
「テメェ……まさか幸歌に何か――」
「やめなさい」
恫喝にも近い声を彼が上げようとした瞬間、ドアを開けた真宮さんがそれを遮った。
「さ、幸歌……」
「お兄ちゃんは私が、何か脅迫に屈して不貞を働くような女だと思ってるのかしら」
「い、いや、思ってないけど、でも、お前、だって……」
「ちゃんとお兄ちゃんには順を追って話すつもりだから、まずは落ち着いて」
実にクールに、真宮さんは場の主導権を握りつつ、ローテーブルにお茶の入ったコップを置いていく。
お兄さんは困惑しつつ、気持ちを落ち着かせるためか、すぐさまそのお茶を一気飲みした。
「おかわりっ!」
「その間に天羽にまた圧をかけようっていうんじゃないでしょうね」
「しない! しませんっ!!」
「はぁ……ごめん、もう少し待ってて」
真宮さんはそう、僕だけに謝ると再びキッチンへと戻る。
お兄さんは叱られた子犬のようにバツの悪そうな表情を浮かべつつ、真宮さんが戻ってくるまで黙って待っていた。
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