ナポリタン
ケンシロウ
ナポリタン
「もう歳だからねぇ」震える手でナポリタンを出したミチコは顔の茶色い染みを機械的に弾ませ、それを終えるとそそくさと仕事に戻って行った。
この店のナポリタンが大好きだったカナタは最後の味を噛みしめ始めた。
彼女を見てヒロヒコは思いついた。閉業を惜しむ声は多い。この味を機械的に再現できたなら、おばあちゃんのナポリタンは永遠に生き残るのではないか。
どの道閉める予定だったから、とミチコの返事は簡単だった。彼はあのナポリタンの再現のため会社を設立、《モーレイ・ロボティックス》の料理用ロボットアームを購入し、彼女の料理風景の研究を始めた。食材は当然のこと、食材の変化や気温も考慮に入れて炒める順番やタイミングを入念に計り、一挙手一投足も見逃すまいとした。しかし不思議なことに、こだわりといえば油にバターを使う程度で、食材のウインナー、マッシュルーム、ピーマン、玉ねぎ、パスタは全て近所のスーパーで買ったもので、ソースに至っては市販のケチャップとチューブのにんにくであった。これでは家で作るナポリタンと変わらないじゃないか、と彼は思った。
「そう、これよ!」完成品を食べてカナタは言った。
「これがあの味?」彼は何か意見を求めた。
二口目を食べていた彼女は質問されてそのまま答えた。「この味よ、私が10年間食べてきた味は」
「本当?」
「ええ」しかし彼女は、最後の方になって付け加えた。「何か足りない気がしないでもないわね」
試験的にも開店することにした。店内は満席だった。沢山の花が届けられた。再開にヒロヒコの手を取って涙を流す者さえいた。ナポリタンは踊るように売れた。
しかし、数週間すると客足は途絶えて行った。理由は不明だった。看板料理のナポリタン以外の料理も完全再現したはずであった。店はほぼそのまま受け継いだ。やはり彼女の味は彼女にしか出せないのか、ロボットアームへの投資金額を考えて彼は眩暈を感じた。
キッチン棚に真っ黒い物体を見つけた。ミチコによると、創業当時から受け継がれた、80年間使い続けているフライパンだそうだ。確かにフライパンはロボットアームに握らせるために専用のものを新調したのだった。そのフライパンは、錆や焦げのために黒ずんで凸凹としていて、元の姿が分からなかった。ここから出汁か苦みでも出ているのだろうか、と彼は考えた。
「そう、おばあちゃんがいないのよね」カナタは言った。
「何を言ってるんだ。そりゃ、いないよ」
「そうじゃなくて…何か落ち着かないのよ」
「温かみ、か」
「そう、それよ」
職探し中の高齢者を接客係として複数名雇うことにした。すると翌日から、次第に客足が増え始め、営業当時の人数、目標人数を達成した。店は繁盛した。例え接客係の物忘れがあったとしても、それは「温かみ」であった。人々は落ち着きを、「おばあちゃんの」味を求めていたのだ、彼は思った。調理方法が重要なのではない、調理者が重要なのでもない、調理者が誰であると感じられるかが重要なのだ。
焦げたフライパンは神棚の隣に置かれた。
ナポリタン ケンシロウ @kenshirow
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