第2話 後輩から誘われる

 眠気はピークに達していた。何度落ちたかわからない。


 8時になり、会社を出ると相変わらずスマホから目を離さない早瀬と鉢合わせた。私はふと浮かんできた疑問を問いかけてみた。


「早瀬って何時に寝てるの?」


「2時くらいまでは起きてるので、まあそれくらいでしょうか」


 スマホから全く顔を動かさずに早瀬は言った。その時間まで何をしているかなんて訊かなくてもわかる。まあ私は昨日その二時間遅く眠ったわけだが。と私は溜息をついた。


 いったい何を競っているのか。


 早瀬はそんな私を見て不思議そうな顔で言う。


「今日元気ないですね」


 すっとんきょうな目だ。何一つ邪気を感じない純真な瞳に私の疲れがほんの少しだけ癒やされていく気がする。


「疲れてんのかもねえ」


 昨日から今日にかけての出来事を頭の中で思い返し私は暗くなった夜空に目をやった。ことさら何かが良からぬことが起こったわけでもなかった。ただ、不運が重なった。簡単なミスが重なった。それだけのことだが、振り返ってみると休むってことをあんまりしていなかった気がする。


 私は普段何を考えて過ごしていて、休日には何をしていただろうか。よく思い出せないが、たぶん大したことはしていないはずだ。だから休めているとは思うのだが。


「ゲームやりますか?」


 早瀬の問いかけに私は冷めた目を向ける。私を元気づけてるつもりなのだろうか。早瀬の顔はいたって真面目だった。いつもの早瀬。ことさら笑うこともなく、疲れた表情を見せることもなくいつもの平常の早瀬だ。


「私は早瀬じゃないんだから」


「疲れている時は楽しいことをやるのがいいと思います」


 私は怪訝な目を投げ続ける。しかし早瀬はそれに顔色一つ変えやしない。


 私か? 私がおかしいのか?


 生まれてこの方、ゲームをやったことがないとは言わないが、いい大人がやるもんでもないとも思っている。それは目の前の早瀬を大きく否定してしまうことになるのだが、それはさておいて。


「石原さんはふだん何をしているんですか?」


 早瀬に訊かれて私は口ごもる。NetflixかYouTubeでも見ているんじゃないか。いや自分のことだろう。しかしそんなことを聞かれても困る。


 私にはこれといった趣味なんてないんだから。マッチングアプリなんてやってみたら趣味の欄にとりあえずカフェ巡りとか書くか映画鑑賞と書くくらいしかないだろう。旅行なんて行くほどアクティブでもない。できるならずっと部屋に引きこもっていたい超インドア。それが石原遥子という女なのだ。趣味を聞くこと自体が野暮というものだ。

でも、強いて言えば仕事なのかもしれない。とりあえず暇な時は仕事のことを考えているか、何も考えていない気がする。


「別に何も」


「じゃあやりませんか? ゲーム。少しは気分転換になるかもしれません」


 私は早瀬の顔色を訝しむように今一度見た。早瀬の瞳には何一つの曇りもない。純粋なお誘いのようだ。


 別に断る理由もなかったが、どこかためらっている自分もいた。なぜだろう。罪悪感か? 大人がゲームなんて?いやそれはなんか偏見な気もする。

きっと同僚と一緒に飲みに行くとか、あまりやったことのないゲームってものに触れることにどことなく抵抗があるのだと思う。


 しかし。たぶんこれは後輩が疲れた先輩を飲みに誘ってくれているという先輩からすればたぶんそれなりに素敵な誘いだった。早瀬だからそれがゲームになっているというだけなのだ。


 そう思うと、まあいいか、という気持ちになった。ゲームだろうがなんだろうが、後輩が好意で誘ってくれているものをむげにすることもない。

しかし私はすぐに首を横に振った。


 いやいけない。明日も仕事だ。


 昨日今日の疲れも溜まった状態で明日にそのまま持ち込むのは良くない。眠気も感じているし、今日はきちんと眠ったほうがいいだろう。


「そうね、って言おうと思ったけど、今日はやめとくわ。明日も仕事だし」


 そう言って私はさらりと切り替える。


「じゃあ明日?」


ならいいかもしれない。


 跳ね返したボールをあっさり跳ね返される。だから、断る理由もないではないか。一緒に飲もうとか、私の嫌いな面倒な会話を強いられそうな場所に連れて行かれそうになっているわけでもないのだ。


ただ考えてみると、誰かと一緒に過ごす週末なんていつぶりだろうか。


 その日の夜、ちゃんと眠った私は、翌日の仕事もちゃんとこなした。私の日常は早くも戻りつつあった。


 そして、早瀬の家に向かった。


 途中コンビニに寄ってお酒やら弁当やらを買った。いつもこんな食生活なのだろうか?という疑問を一旦脇に置いて。そして自分の食生活も大して変わらないということも横に置いて。私は気がかりに思っていることを訊いた。


「私、自慢じゃないけど、どっちかっていうとゲームは不得意な方よ」


 ポケモンをやれば最初のジム戦で割と早期に詰むタイプだ。


「石原さんはどんなゲームをやったことがありますか?」


 何十年前の記憶だろうか。いやそんなに歳を取ってきたわけでもない。せいぜい二十年前。いや、十年前。しかしポケモン以外目立った記憶があまりない。さすがにもう少しやっていた気はするけれど。


「とりあえず、スマブラとか石原さんが苦手そうなゲームはやらないので安心してください」


スマブラ? あの昔男子がやってたやつ? 


私は外国語のように聞こえてくるゲームの名前の頭の中で何度か反芻した。


 早瀬の部屋に入ると、画面が三つほどあるパソコンと、大きなテレビが目に入った。プレステとSwitchがあるのはわかった。そして壁一面近くズラッと並んだゲームソフトの棚。これぞまさにゲーマーの部屋。もはや異世界だ。床にはピンク色の絨毯の上にガラスの丸いローテーブルが置いてあった。足元がどこにでもありそうな日常であることに私はほっと一息つく。


 テーブルに買ってきた弁当や缶ビールを置いて私たちは座った。あとは食べるだけだ。


「いつもこういう食事なの?」


 訊こう訊こうと気になっていたことをようやく訊いた。早瀬は首を横に振った。


「いつもはこんな贅沢はしません」


よかった。私はなんか安心した。


週末、自分以外の誰かが部屋に来て一緒にゲームする。さすがにそういう日くらいは、コンビニでビールを買って、食事もコンビニ弁当で済ませるくらいはいいだろうというのが早瀬の言い分だった。


「まあたまにお酒は飲みますが」


 早瀬は言った。しばらくすると早瀬はビールのほかにコップに水を注いでやってきた。私の視線に気づいて早瀬は言った。


「ゲームの前にそんなに酔うわけにもいきません」


なんかとても気合が入っている。


「早瀬はふだん何をしているの?」


昨日早瀬からされた質問を今度は私がする。早瀬は不思議そうな目で私を見る。

私、なにか変なことを訊いただろうか。


「ゲームですが」


言うに及ばず。今夜はどんなゲームをするのだろうか。

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