第16話 語られた灯火、交わされたまなざし


 クラリスの意見発表は粛々と続いている。


「……そして、二日目に、ありがたいことに王妃陛下との謁見の機会を得ることができました」


 クラリスの声は、静かに響き渡っていた。


「いろいろとありがたいお言葉を頂きましたが、その中で王妃殿下は、こう仰いました――“癒しとは、力を持つ者の特権ではなく、誰かに寄り添おうとする心から生まれるもの”だと」


 その言葉は、クラリスの中でずっと灯のように残っていた。


「さらには三日目に王妃殿下のお計らいで薬草園と保育施設を見学させて頂いたのですが、私が薬草園を見学した際、そこでは季節の草花や薬草が手入れされ、静かに育てられていました。

 目立つ場所ではありません。けれど、そこには“誰かに痛みがあったなら癒したい、護りたいとする姿勢”が、確かにありました。

 薬草を育てるという営みの中に王妃殿下の想いが宿っているのを見たとき――私は、癒しの本質とは“寄り添いから気づくこと”なのではないか、と思ったのです」


 クラリスは少しだけ言葉を切り、次の話へ移った。


「保育施設では、昨日“廃棄”とされていた食材が、温かな昼食に姿を変えて並んでいました。

 パンは焼き直され、果物は甘く煮詰められ、崩れた野菜はスープとなっていました。

 ほんの少し見た目が悪い、切り口が乾いている――それだけで“不要”とされていたものが、丁寧に工夫され、“必要”な食事として生かされていたのです」


 クラリスの声には、静かな熱がこもっていた。


「昨日、厨房の裏で感じた胸の痛み。

 “もったいない”という言葉では片づけられなかった、あのやるせなさ――それは、目の前の一面だけを見て、王宮ではもったいない捨て方をする、と価値を決めてしまっていた自分自身への戸惑いだったのだと気づきました」


「視点を変えれば、役目を終えたと思われたものが、再び誰かのために力を持つ。

 “不要”は、“必要”に変わる――それは物だけでなく、人や仕組み、制度においても、同じなのだと思います」


 レオニス、宰相、ユリシスの三人が、真剣な表情で耳を傾けている。


「最初は、それぞれの部署で働く方々を見て、ただ“丁寧に務めておられる”という印象しかありませんでした。

 けれど、見学を重ねるうちに気づいたのです――文書、執務、厨房、保育、薬草園……それぞれが独立しているように見えて、実は“誰かの暮らし”や“誰かの判断”と深く繋がっている。

 そうしたつながりが“この国の形”をつくっているのだと、見えてきました」


「国に尽くすというのは、命令に従うことではなく――“何を見て”“どうつなげていくか”を考え抜くこと。

 誰かの声を聞き、見えない線を読み取り、面や立体として未来の形を想像する。

 私は、そんな役目に立ちたいと、心から思っています」


 最後に、クラリスはまっすぐ視線を上げて語った。


「うまくお伝えできたかは分かりませんが、私が見たもの、感じたことを、正直にお伝えしたくて、ここに立ちました。

 この国の未来に寄り添う者のひとりとして――そうありたいと願っています」


 深く一礼すると、謁見の間に静かな余韻が流れた。

 その言葉は、熱を帯びることなく、しかし確かな灯火として、聞き手たちの胸に染み入っていった。


 静寂のなか、クラリスの一礼が終わったその瞬間――

 謁見の間には、確かな余韻が残っていた。熱狂ではなく、静かな感銘。

 レオニスは深く息を吸い込み、ゆっくりと口を開いた。


「……ありがとう、クラリス・グレイ。君の言葉は、率直で、誠実だった」


 その眼差しには、穏やかな光と、どこか遠くを見つめるような深さがあった。


「“見る者”としての覚悟――それを、私は確かに受け取ったつもりだ。

 そして君が語った、“点を線にし、面や立体を構成する”という視点。それはまさに、国の未来を見据える者の資質だと思う」


 クラリスは静かに頷いた。

 次に言葉を発したのは、宰相だった。


「文書管理室で、どのような書面を目にしたのかは私も把握している。だが、それをただ“情報”としてではなく、“声”として受け取った者がいたということに、私はほっとしているよ」


 宰相は小さく笑みを浮かべる。


「国政とは、つまるところ“誰のために”という問いに立ち返る営みだ。

 見えない線を読み取ること――それは、我々の職の本質ともいえる。

 ……君が見てきたものは、私たちが見落としかけていたものかもしれない。ありがとう、クラリス嬢」


 少し照れたように眉を上げてから、最後にユリシスが口を開いた。


「……正直、少し驚いたよ」


 そう言って、軽やかに笑う。


「僕は昨日、ようやくこの国に帰ってきて、まだ空気に慣れてもいないんだけど……

 今の君の話は、まるで“この国の底にある静かな心音”を聴かせてもらったような気がした」


 彼は椅子から軽く前のめりになって、まっすぐクラリスを見つめた。


「政治の世界に、どこか遠いものを感じていたんだ。でも、君の言葉を聞いて、“つなぐこと”なら僕にもできるかもしれない、そんな気持ちになった。

 ありがとう、クラリス嬢。とてもいい時間だった」


 三者三様の言葉が、静かにクラリスに届けられる。


 クラリスは深く、静かにもう一度一礼した。

 足取りはゆるやかに、けれどしっかりと、控室へと戻っていった。


 その背に、見守るような視線が――確かに、注がれていた。


 そのまましばしの沈黙が訪れた後、再びレオニスが立ち上がり、控室に向かった。


 控室で待つ八名の令嬢たちに向けて話し始める。


「……さて、皆さんの発表は、これにて全て終了となります」


 背筋を伸ばし、それぞれの令嬢を見渡す。


「本日の意見は、宰相殿と共に再確認し、明日、最終的な決定をお伝えします。王太子妃として、あるいは――それ以外の道として、皆さんにどのような未来を託すか。その結論をお待ちいただければと思います」


 その言葉に、面々が静かにうなずいた。


 扉が開かれ、面談は幕を下ろす。


* * *


 夕方の中庭。

 控室へ戻る途中、ルナが一人、手すりにもたれて空を見上げていた。


 そこへ足音も軽やかに、ユリシスが姿を現す。


「セレスト嬢。……ああ、ルナと呼んでも構わないかな?」


 驚いたように振り返ったルナは、すぐに笑みを浮かべた。


「ええ、もちろん。第二王子殿下」


「ユリシスでいいよ。僕は、さっきの君の話、とても興味深く聞いてた。表情は控えめだったけど、視線と語り口に、芯の強さがあった。……あれは君の本質かな?」


 ルナは少し頬を赤らめると、冗談めかして答える。


「私も、“読む者”ですから。人も、空気も、場の意味も」


「ますます興味が湧いたよ」


 ユリシスは、軽く帽子を掲げる仕草をして微笑んだ。


「明日の発表が終わったら、少し時間をもらえるかな。……今後のことについて、話してみたいんだ」


 ルナは驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべてうなずいた。


「はい。よろこんで」


 午後の日差しが二人の立つテラスを淡く染めていた。


* * *

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