第17話 選抜戦の終了宣言と結果発表


 朝、空は一片の雲もない、澄みわたるような青をたたえていた。

 王宮の中庭では、噴水の水音が朝の静寂をやさしく揺らしている。


 控室に集められた八人の候補者たちは、昨日とはまた違う緊張に包まれていた。

 自分たちの思いはすでに語り終えた。けれど、それにどのような応えが返ってくるのか――いまはただ、待つしかない。


 誰もが口を閉ざし、静けさの中にそれぞれの祈りを沈めていた。


 やがて、扉が静かに開く。


 現れたのは、王太子レオニス。続いて宰相、そして第二王子ユリシスが、その背後に続く。

 三人の姿が揃うと、場の空気がぴんと張り詰めた。


「皆さん、おはようございます」


 レオニスの声は、穏やかでありながら、ひとつひとつの言葉に芯があった。

 前日までの緊張の面差しではなく、どこか澄んだ、決意をたたえた眼差しで、八人の令嬢たちを順に見渡す。


「まず初めに、三日間の体験、そして昨日の発表に、心より感謝を申し上げます。

 それぞれの視点、誠実さ、言葉の選び方――どれも、この国にとって貴いものでした。私自身、多くのことを学ばせていただきました」


 一礼ののち、レオニスは言葉を継いだ。


「本日をもって、今回の王太子妃選抜戦を終了いたします」


 控室に、小さなどよめきが走る。

 終わったのだ。これまで続いた日々が、ようやく区切りを迎える。


「この国の未来を見据え、見えない価値に目を向けることができるか。そうした“視点と意思”こそを、私たちは重んじました。

 そして同時に、選ばれなかったことが“否定”を意味するのではない、ということを、どうか忘れないでください。

 また、選ばれた方も、ここから妃教育が始まるため、現時点では王太子妃候補となります。ここからまた学びの日々を迎えていただきますのでご理解ください」


 言葉を区切り、レオニスは一歩前に進む。


「――王太子妃候補には、クラリス・グレイを。

 そして、第二王子妃候補には、ルナ・セレストを任命いたします」


 その言葉が落ちた瞬間――空気が静止したかと思うほど、誰もが息を呑んだ。


 それから次第に、ざわめきと祝福の拍手が湧き起こっていく。


 クラリスは、胸に押し寄せる熱をおさえながら、静かに立ち上がり、深く一礼をした。

 横で一緒に頭を垂れたルナの表情には、静かな誇りと決意が浮かんでいた。


(……終わった。選抜戦は、ここで終わる)


 レオニスは、クラリスに向き直り、まっすぐに言葉を贈った。


「クラリス・グレイ。君の“見る力”と、自分の意見を持ち続ける勇気、それは確かに私の胸に届いた。

 ともに歩む道を、どうか支えてほしい」


 クラリスは、緊張のなかで唇を引き結び、はっきりと答えた。


「……この国の未来のために、私にできることがあるのなら――全力で務めさせていただきます」


 そして、ユリシスが一歩前へ。


「ルナ・セレスト。君の“読む力”は、ただの観察眼ではなかった。人の心を汲み、空気を読み、未来を察する。それは、私がこれから必要とする力だ。

 どうか、私の傍で、その知を貸してほしい」


 ルナは少しだけ目を伏せ、それからまっすぐに顔を上げて答える。


「お受けいたします、ユリシス殿下。私の目が、言葉が、お役に立つならば、惜しまず差し出します」


 静かな祝福の空気が流れるなか、レオニスは再び八人の全員を見渡した。


「残る六名の皆さんへ。

 皆さんの真摯な姿勢と想いに、私は心から敬意を表します。選抜はこれで終わりますが、皆さんが見せてくださった誠実な歩みは、国の未来にとっての灯火です。

 どうか“選ばれなかった者”ではなく、“それぞれの道を歩む者”として、この日を誇りに思ってください」


 誰もが目を伏せ、深くうなずいた。

 その静けさは、やがて拍手へと変わった。


* * *


 発表と朝食を終え、応接の間にはレオニス殿下とユリシス殿下と宰相、クラリス、ルナだけとなった。


 他の候補者たちが見えないこの静かな空間で、レオニスはふたりに向き合った。


「……クラリス嬢、ルナ嬢。

 まずは、“結婚に向けた大事なプロセス”を、選抜というこのようなかたちで進めたことについて、率直に謝りたい」


 言葉は丁寧で、どこか慎重だったが、そこには確かな誠意が込められていた。


「本来ならば、もっと穏やかで、心を通わせる時間が必要だったはずだ。だが、国の事情と未来のことを考え、このような“試験”という形を取らざるを得なかった。ましてや、不思議な課題ばかりで戸惑わせてしまったこと……本当に申し訳なく思っている」


 クラリスもルナも、真剣な面持ちでその言葉を受け止めていた。


 レオニスは少し視線を宰相とユリシスに流したあと、言葉を続ける。


「もともと、この選抜は“王太子妃を一人選ぶため”に設けられたものだった。しかし、ユリシスが帰国し――そして、彼がルナの報告を聞いたとき、一目で心を動かされたのだそうで……」


 その瞬間、ユリシスが思わず前のめりになって声を上げた。


「あ!兄上、それは言わない約束だったでしょう!」


 その場が少し和み、クラリスとルナにも自然と微笑が広がる。


 レオニスは肩をすくめるように笑って返した。


「隠す理由もないだろう? 君が“読む者”としてだけでなく、“人として惹かれた”のは明らかだったからな」


「……まったく兄上は。ならば、僕からも一つ暴露するけれど……」


 ユリシスが軽くウインクして話し出す。


「実は最初の答案の時点ですでにクラリス嬢に惹かれていたはずだって、僕は聞いてるけどね」


 今度はレオニスがほんの一瞬だけ目をそらし、宰相を軽く睨むと、宰相もまた軽く両手をあげ笑った。それに観念したようにレオニスも微笑んだ。


「……確かに。あのとき、見抜く力と視点の鋭さに驚かされたのは、事実だ。

 けれど、そこからずっと“答えを急がない自分”でいようと努めていたのも、また本心だった。

 君がどう歩むかを見たかったからだ。惹かれたからこそ、見守りたかったんだよ、クラリス」


 クラリスは思わず息を飲み、そのまなざしを受け止めた。

 選ばれるためではなく、自分として歩いた道が、確かに届いていたこと――それは何よりも大きな報いだった。


 そしてルナもまた、隣でそっと呟いた。


「……最初から決められていたレースだというわけではない、ということで私たちも信じてこれたのかもしれません」


 王子二人と“選ばれた”ふたりの間に、今、穏やかな理解と敬意が流れていた。


「……そのように仰っていただけるのならば、私は、恐れを抱きながらも――

この道を、自分の意志で歩みます。誠心誠意、務めを果たす覚悟です」


 静かな声だったが、その芯には確かな決意が宿っていた。


 その言葉に、レオニスは深くうなずいた。


「ありがとう。君のその覚悟に、私は応えたい」


 そのやりとりを見つめていたルナが、そっとクラリスの方に歩み寄る。彼女の瞳は柔らかく、どこか嬉しそうに光っていた。


「……おめでとう、クラリス。あなたが選ばれて、本当に良かった」


 ルナの言葉に、クラリスもまた微笑み返す。


「ルナこそ。……あなたがここに残ってくれること、私は嬉しい」


「ええ。私たち、きっとそれぞれ違うやり方で、この国を支えていくことになる。でも、どちらの未来にも、意味があるって信じられるわ」


 二人の間に交わされたまなざしには、かつての“競争”の色はもうなかった。そこにあったのは、敬意と、未来へのまなざしだった。


* * *


 クラリスは控室を見渡す。そこには、これまで共に試験を重ねてきた他の令嬢たちの姿があった。


 淡い笑みを浮かべている者、静かに目を伏せる者、未練を隠しきれないまま立ち尽くす者――けれど、誰もが最後には前を向こうとしていた。


 その中の一人、かつて少し言葉を交わした侯爵令嬢が、クラリスに目礼する。クラリスもまた、深く一礼を返した。


(皆、それぞれの道へ)


 この選抜戦は“誰かを落とすため”ではなく、“それぞれの道を見つけるため”だったのかもしれない――クラリスはそんなことを思っていた。


 やがて、広間に控えていた従者が声をかける。


「皆さま、別室をご用意しております。身支度を整えられた後、改めて新たな立場についてのご説明がございます」


 一人、また一人と広間を後にしていく令嬢たち。


 クラリスも、ルナも、それぞれの胸に思いを抱きながら、ゆっくりと歩み出した。


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