第4話 王子演出の晩餐会の幕が上がる
晩餐会が始まった。
低く重い鐘の音が鳴り終わると同時に、銀の蓋が一斉に開かれ、温かな料理の香りが会場に広がる。
華やかな食器と、鮮やかに盛られた前菜。
けれど、クラリスの席には何ひとつ供されなかった。
(ああ、そうか……私の役目は“食べる”ことじゃないんだ)
彼女が腰かける壇上の“ホスト席”は、あくまで観察のための位置。
料理は出ず、給仕も来ず、ただ静かにすべてを見渡すための場所だった。
下の円卓では、あちらこちらでグラスが鳴り、笑い声が上がっている。
けれどそれは、心からの歓談というより、どこかぎこちなく、互いを探るようなやり取りの連続だった。
(……これが“選ばれる側の会話”)
どの令嬢も、言葉選びが慎重だ。
無邪気に話しているように見えて、会話の端々には必ず“自己アピール”の意図が混じっている。
名家の出であること、親の地位、人脈、美徳、教育。
時には、自分がいかに「恋愛感情ではなく、この国の未来のために妃となる覚悟があるか」を、さりげなく語ってみせる。
笑顔の仮面をつけたまま、計算と牽制が交差していた。
(うわ……こういうの、苦手)
正直、クラリスはこの空気が居心地悪かった。
だが、王子が言った“見る力”を試すという言葉が、ずっと胸の中で響いている。
(ちゃんと……見なくちゃ)
すると、一際目立つ笑い声が、近くのテーブルから聞こえた。
振り向けば、ルナ・セレストが、朗らかに何かを語っている最中だった。
彼女の周囲には、自然と人が集まっていた。
華やかな存在感。
人を引き寄せる陽気な声。
けれど――その視線は、時おり鋭く、まるで“相手の心を見透かしている”ようだった。
(やっぱり、この人……本気で“場”を読んでる)
そしてもう一人――目を引いたのは、隅の席にいた一人の令嬢。
紅茶色の髪を後ろでまとめ、深い緑のドレスに身を包んだその少女は、他の誰とも会話を交わしていなかった。
孤立している、というより――敢えて沈黙を選んでいるような。
(あの子……ずっと誰かを観察してる)
クラリスと同じく、周囲を見ているのだ。
けれど、その視線には――ほんの少し、敵意が混じっていた。
「……おや?」
ふと気づけば、ホスト席の下に、王宮付きの侍従らしき青年が立っていた。
「失礼いたします、グレイ候補。殿下より、“気づいたことがあれば、簡潔に記しておいてほしい”とのことでした」
「……あ、はい」
小さなメモ帳とペンが差し出される。
クラリスは戸惑いながらも、それを受け取り、ページを開いた。
(“気づいたこと”……って、どこまで書いていいの?)
たとえば、ルナの観察眼。
あの少女の孤立。
あるいは、他の令嬢が交わす、意味ありげな視線とささやき。
どれも、確信はない。
けれど、何かがある。――そんな直感だけは確かだった。
(正直に、書いていいのよね)
迷いながらも、クラリスは静かにペンを走らせ始めた。
一歩ずつだが、確かに何かを“見よう”としていた。
(……王子が言った、“真実を見抜ける者”って言葉。
まだ、意味はわからないけれど――)
今夜、この晩餐会には“表の会話”と“裏の意図”がある。
それだけは、はっきりとわかる。
仮面をかぶった夜の宴。
クラリスは、その仮面の奥を見つめることを――少しだけ、怖がらなくなっていた。
* * *
食事が進むにつれて、会場の空気はゆるやかに変化していった。
最初はぎこちなかった令嬢たちの会話も、ワインと甘美な前菜が進むに連れて、徐々にほぐれていく。
けれど、その緩みの中に――妙な違和感が混じり始めたのを、クラリスは見逃さなかった。
(……今、何を……?)
一人の令嬢が、グラスに何かを“こっそり”と落としたのだ。
まるでそれを見せつけるような、ゆっくりとした動き。
けれど視線は周囲に向けていない。まるで、“見られること”を前提にしているような。
クラリスの胸が、ざわりとした。
(……わざと? あれって……毒に見立てた演出?)
おそるおそる記録帳を開き、筆を走らせる。
・第五卓の令嬢、飲み物に何かを加えるような仕草あり。周囲の反応なし。演技的で、意図的に“目立つ行動”の可能性あり。
さらに、目を走らせると――別の卓では、やけに落ち着きなく立ち上がったり座り直したりを繰り返す少女がいた。
足元には落とし物があったのか、何度もしゃがんでは、周囲を気にしている。
けれど、その動きには妙な繰り返しがある。
(……あれも、“演技”じゃない?)
まるで、誰かに見せるための芝居。
自然ではない。不自然にすぎる。
・第二卓の令嬢、落ち着きのない行動あり。わざと不審な動きを取るよう指示されている可能性。
(……私以外にも、“演じている”人がいる)
クラリスは、気づいた。
これは“素”の集まりではない。
まるで舞台のように、それぞれが何らかの“役”を割り振られ、互いにそれを観察しあっている。
(――じゃあ、私の役は、“記録者”)
そう気づいた瞬間、ふと、別の気配に目を奪われた。
会場の端。ラウンドの影になる位置に、一人の少女が静かに立っていた。
濃紺のドレスに身を包み、手元には――クラリスと同じく、記録帳がある。
(……え? あの子も“観察役”?)
表情は伏せられ、動きは極めて静か。
けれど、その瞳は鋭く、明らかに誰かを“見ている”。
それも、クラリスが記録していた動きと――同じ対象を。
(……これは、私一人の“裏試験”じゃないんだ)
さらに目を巡らせると、今度は場の空気を和ませるように、笑いを誘う話題を巧みに振る令嬢の姿があった。
優美な笑顔を浮かべ、褒め言葉も絶妙に散りばめる。だが、過剰でもなく自然。
(この子は……“雰囲気を整える”役?)
よく見れば、候補者たちの一部には“場を整える者”、“違和感を起こす者”、“それを記録する者”が――明らかに混ざっていた。
これらは偶然ではない。
王子が、意図的に割り振った“配役”だったのだ。
クラリスはそっと息を吸い込んだ。
(この晩餐会は……ただの社交の場じゃない)
互いを見て、評価する。
でもそれだけじゃない。
誰が“演技を見抜くか”、そして“誰が自分の役目を理解して行動できるか”――。
王子が言っていた、“仮面の選抜戦”という言葉。
それは比喩ではなかった。
(まるで劇みたい……。私たちは皆、知らないうちに台本を渡されて、“演じさせられてる”)
クラリスの心に、静かな疑問が芽を出した。
(――これは、何のため?)
仮面の裏にある意図。
王子は何を暴こうとしているのか。
なぜ、“真実を見抜ける者”が必要なのか。
その答えは、まだ霧の中だった。
けれど確かなことが一つ。
(私は、見ている。この舞台の、裏側を)
クラリスはゆっくりと記録帳を閉じた。
王子がどこかでその結果を見ることを前提としているのなら――。
そのときの自分の記録が、意味を持つかもしれないのなら――。
仮面の晩餐会の“本当の目的”に、少しでも近づけるように。
今夜、クラリスは静かに、すべてを見届ける覚悟を決めた。
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