第3話 “ホスト役”クラリス、晩餐の舞台へ


 その日の夕刻、選抜試験の通過者――四十三名に向けて、それぞれの控え室に晩餐会の招待状が届けられた。


 封筒は上質な羊皮紙に王家の紋章が刻まれ、丁寧に封緘されている。

 文面自体はごく簡素だったが、末尾にはそれぞれに異なる“役割”が記されていた。


《クラリス・グレイ候補へ

今宵の晩餐会において、貴女には“場の調和を観察するホスト役”をお願いしたく存じます。

各卓の様子に目を配り、気づいた点は晩餐会の後に提出となる報告書に記してください。

――王太子レオニス・アルヴァ》


(……ホスト役? まさか、司会進行とか……?)


 読み返すたびに、じわじわと不安が募っていく。


 そもそも晩餐会というのは、主催者――この場合なら王子自身か、王宮の高官が中心となって采配を振るう場のはずだ。

 それなのに、なぜ自分のような末席の者が“ホスト”などという責任ある立場に……。


 クラリスはその胸のざわつきを押さえながら、用意された正装に身を包み、王城の大広間へと足を運んだ。


* * *


 大広間は、天蓋から垂れる絹の飾りと、壁面を照らす白銀の燭台に照らされ、夜の帳を忘れさせるほど明るく、荘厳な空気を纏っていた。


 中央にはラウンド状に配置された七つの円卓。

 それぞれ六名分の椅子が置かれ、空席を含めても通過者の人数にぴたりと合うよう計算されている。

 座席札には、候補者の番号と名前が記されていた。


 クラリスの名が書かれた札は――円卓のどれにもなかった。


「グレイ候補、こちらへ」


 控えめな声とともに、従者が指し示したのは会場の端、壁際の一角。

 一段高くなった小さな壇の上に、高背椅子がひとつ、ぽつんと置かれていた。


「こちらが“ホスト席”でございます」


 視界を俯瞰できるその位置は、給仕や監督役――あるいは審査官のような意味合いすら帯びていた。


(……監視者、ってこと?)


 不安と疑問を飲み込みつつ、クラリスは案内に従い椅子に腰を下ろした。


 その視線の先には、彩り豊かなドレスに身を包んだ令嬢たちが、談笑や警戒を織り交ぜながら着席していく様子があった。

 煌びやかで、華やかで、けれどどこか――張り詰めた緊張感が漂っている。


 そんな中――クラリスに向かって歩み寄ってくるひとりの令嬢がいた。


 淡い藤色のドレスに、透き通るような金髪をふわりと結い上げたその姿は、まるで画集から抜け出した肖像画のよう。


「ふうん……貴女が、例の“王子のお気に入り”?」


 その声音には、嘲りも敵意もなく、ただ純粋な好奇と――少しの観察眼が光っていた。


「私、ルナ・セレスト。セレスト公爵家の次女よ。まあ、社交界じゃ“知らない人はいない”って言われてるけど、貴女は……初耳だったわ」


「……あ、あの、お名前は、存じ上げています」


 クラリスは慌てて立ち上がり、軽く礼を取った。


 セレスト公爵家。

 王家の分家筋に連なると噂される、五大公爵家のひとつ。

 その次女であるルナの立場は、まさに“貴族令嬢の頂点”と称されるにふさわしかった。


「よかった。でなきゃちょっと寂しいところだったの。……ところで、ねえ――」


 ルナは席の縁に片手を置き、興味深そうに顔を覗き込んでくる。


「どうして“あんな問題”に、あんな答えを返したの?」


 その問いに、クラリスは小さく息を呑んだ。


 第一審査の記述答案は、上位五名の解答例として、講評付きで城内の候補者閲覧室に掲示された。

 王子自らが「模範解答ではなく、多様な視点を尊重したい」と語ったことで、好奇心旺盛な令嬢たちはこぞってそれを見に行ったらしい。


 クラリスの答案もその一つに選ばれ、“最も異端で挑戦的な見解”と評されたと噂されていた。


(……そんな大層なつもり、なかったのに)


 クラリスは言葉を選びながら、そっと答える。


「……少し、変だなと思っただけです。本当に、それだけで」


「正直ね。でも、そこが面白い」


 ルナは唇に指を当て、くすりと笑った。


「あの設問、どう考えても“何かを隠してる”って匂ってた。けれど、あそこまで踏み込んで書いた子なんて、あなたぐらいよ」


 瞳にきらめきを宿しながら、ルナは続けた。


「私ね。貴女の解答を読んだ瞬間、ぞわっとしたの。

 なんというか……ずっと喉に引っかかってた“もやもや”を、あなたが言葉にしてくれた気がして。……あれは、ちょっと感動したわ」


「……感動、ですか」


「ええ。だからこそ、思うの。あなたって、もっと目立っていい人なのよ」


 その言葉は、意外なほど真っ直ぐだった。


 だからこそ、クラリスはその視線を受け止めきれず、思わず目を伏せた。


「……私は、できれば目立ちたくないです」


「うそ。王子に一位通過って言われておいて?」


「選ばれた覚え、ないんですけど」


 クラリスのぼそりとした返しに、ルナは意外そうに一瞬目を丸くして――次の瞬間には声を上げて笑った。


「ふふっ。気に入ったわ、クラリス・グレイ。……今後も注目させてもらうわね」


 そう言って、ルナは軽やかにひらりと踵を返し、自席へと戻っていった。


* * *


 その背を見送ったあとも、クラリスの胸の奥には、まだ熱の余韻が残っていた。


 注がれる視線は、相変わらず冷ややかだった。

 あからさまに舌打ちをする者はいない。けれど、その空気の温度が語っている。

 “あの子が王子のお気に入り? まさか”

 “なにか裏があるに違いない”

 “どうせ、どこかの貴族に取り入ったんでしょう?”

 そんな想いが、視線や仕草、空気の淀みに色濃く漂っていた。


 けれど――


(……これが、“注目される”ってことなのね)


 クラリスは小さく息を吐いた。


 好奇の目、嫉妬の気配、探るような目線。

 それらすべてが、これまで自分が避けてきたものだった。

 静かに、無難に過ごせば、誰にも見られずに済む。

 誰かと比べられずにいられる。

 そんな日々を選んできたはずだったのに――。


(でも、いま私は……“見られている”)


 その事実を、怖いとは思わなかった。


 ルナ・セレストのまっすぐな言葉。

 あのとき彼女の瞳に宿っていた光は、たしかに“否定”ではなかった。


 王子のまなざしもまた、あれは“試す”目だった。

 気まぐれな関心でも、軽薄な好奇でもない。

 もっと――切実で、深い何かを抱えた人の目。


(……どうして、私なのかは分からない。でも)


 クラリスはそっと目を閉じ、深く息を吸った。


 これまで見て見ぬふりをしてきたことに、そろそろ向き合わなくてはならないのかもしれない。


 “仮面の選抜戦”――

 王子の言葉が、今も胸の奥に残っている。


(私の役目は、“見る”こと)


 この席に座っている理由。

 ホストという不思議な役目。

 そして、王子が言った「真実を見抜ける者」――その意味。


(もしそれが、本当に必要とされているのなら……)


 今夜、私はただ“観察される側”ではなく、

 “観察する側”としてここにいる。


 誰が、どんな仮面をかぶっているのか。

 その仮面の奥に、どんな感情や意図が隠されているのか。


(見てやるわ。すべてを、ちゃんと)


 小さく、でも確かな決意が胸に灯った。


 その瞬間、静寂を破るように、会場の天井から吊るされた鐘が、低く、重々しく鳴り響いた。


 晩餐会の始まりを告げる、厳かな音だった。

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