第5話 演じる者、観る者、記す者
晩餐会は、夜になるとともに幕を下ろした。
最後の鐘が鳴り響くと、円卓に残された皿やグラスが静かに片づけられ、候補者たちは順次、従者の案内で会場を後にしていった。
クラリスもまた、ホスト席から静かに立ち上がる。
彼女の手元には、びっしりと観察を書き留めたメモがある。
最後の一言まで記し終えたときには、指が軽く痺れていた。
出口で待っていたのは、若い従者の姿だった。
「グレイ候補、お疲れさまでした。こちら、本日の晩餐会についての“ご感想など”を記入いただく冊子です。提出は、本日二十一時までとなっております」
「……“など”?」
クラリスは、手渡された紙束を見つめた。
冒頭には整った筆致で、こう書かれている。
《晩餐会を通じて得た気づき、印象、気になる点などをご記入ください。なお記録内容に制限はございません。自由記述》
(……自由、って一番困るのよね)
表紙の下部には、提出先と締切時間――二十一時、と明記されていた。
さらに従者は続ける。
「今夜は、候補者の皆さまにご自身の“個室”をご用意しております。他の候補との私語・往来は禁止となりますので、ご承知おきください」
「……わかりました」
つまり、今夜は“隔離”されるということだ。
誰とも話せず、干渉もされず、ひとりでこの用紙に向き合う時間を与えられる――。
(……これも、試験の一部ってこと?)
どこまでが演出で、どこまでが素なのか。
晩餐会のあの空気が、まだ体の奥にまとわりついていた。
だが、ふと従者が付け加えた言葉に、クラリスは少しだけ気を取り直す。
「なお、お部屋には夕食とお飲み物をご用意しております。どうぞお疲れを癒してください」
「……ほんとに? それなら助かるわ……!」
正直、晩餐会のあいだは緊張と観察に集中していたせいで、ろくに食欲を覚える暇もなかった。
ホスト席には料理が運ばれず、気づけば胃は空っぽのままだ。
クラリスは、小さくお辞儀してその場を離れた。
* * *
案内された部屋は、石造りの静かな一室だった。
柔らかなクッションのある椅子、ライティングデスク、壁には控えめな刺繍のタペストリー。
窓からは夜風が吹き込んでいたが、室内は暖かく保たれている。
そしてテーブルの上には――サラダとスープとパン。
銀のクロッシュを持ち上げると、中には程よく赤みが残って焼けたステーキにマッシュポテトとキャロットグラッセが添えられていた。
また、銀の急須には温かなハーブティーも湯気を立てていた。
「……本当に、ちゃんと用意してある……」
クラリスは、思わず頬がゆるむのを感じた。
今日一日の緊張が、ようやく少しだけ解けていく。
(晩餐会の“役割”も終わった。誰かに見られることもない)
そう思うと、クラリスは深く息を吐き、小さく呟いた。
「……食べても、いいよね。たぶん、これは“演技”じゃない」
苦笑しながら椅子に腰を下ろすと、彼女はまずパンをひと口頬張った。
――温かく、ほっとする味がした。
目の前には、まだ手つかずの記入用紙がある。
けれど今は、まず食事を摂ろう。少しだけ休んでもいい気がした。
(“仮面の選抜戦”……王子が何を見ているのかは、まだわからないけど)
確かに、何かが動いている。
舞台は静かに進行していて――自分も、その登場人物のひとりなのだという実感。
その静かな部屋のなかで、クラリスは初めて、
自分の「観察したこと」を“言葉にする準備”を始めていた。
* * *
部屋に戻ってしばらく、クラリスは出された夜食を平らげたあと、ベッドの脇の机に置かれていた提出用紙と向き合っていた。
それは「晩餐会の感想、ならびに観察内容や気づいた点を自由に記入せよ」と記された簡潔な指示文と、余白たっぷりの数枚の紙だった。
(……“感想など”って、便利な言葉ね)
クラリスは苦笑しながら、さきほど渡された小さな記録メモを開いた。
晩餐会の最中に書き留めたものは断片的な言葉ばかりだったが、読み返していくうちに、バラバラだった“点”が少しずつ線へと結びついていく。
そして何より――それらの配役を設計したのが、王子本人であるという事実。
(……やっぱり、あれはただの社交じゃなかった)
クラリスは提出用紙の一枚目に、まずは冷静に観察した出来事を順を追って書き留めていった。
演技と思しき動き、不自然な行動、目を引く言動、周囲の反応。
それを一通り記したあと、最後のページに手を伸ばす。
そこには、“感想”というあいまいな見出しが設けられていた。
(感想……)
クラリスは少し迷った末、ゆっくりとペンを走らせる。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
本日の晩餐会は、見た目には華やかな社交の場でしたが、その裏では明らかに“演じること”と“観察されること”が意図されていたように思います。
他の候補者にも、私と似た“役目”が与えられていたようで、それぞれが気づかぬうちに“仮面”をつけさせられ、誰かの目を意識しながら行動していたように感じました。
これは試験であると同時に、“意志”を見抜くための舞台だったのではないかと推察します。
王子殿下がこのような晩餐会を通じて何を得ようとしているのか――それはまだ分かりません。
けれど、ただの“妃選び”以上のものを探しておられることだけは、間違いないと感じました。
【観察中に特に気になった点】
・第五卓の令嬢が、飲み物に何かを加えるような仕草をしていた。意図的に見せるような動作であり、“毒”に見立てた演技の可能性。周囲の反応は特になし。
・第二卓の令嬢が頻繁に立ち上がり、椅子に座り直す動作を繰り返していた。落ち着かない様子を“見せる”意図を感じた。
・会場の片隅に、クラリス以外にも記録帳らしきものを手にしていた少女がいた。明らかに観察役と思われるが、交流はなかった。
・ルナ・セレスト候補は、場を和ませつつも鋭く人を観察していた。彼女自身も、何かしら“演じる役”を理解して行動している印象を受けた。
・数名の令嬢が、極端に“好印象”を振りまこうとしていたように見えた。それもまた一つの配役なのか、それとも素の行動か、判別が難しい。
全体として、候補者たちには“それぞれ異なる役目”が与えられていた可能性が高いと考えます。
観察される者、場を整える者、違和感を起こす者、そして観察する者。
まるで演劇のような舞台であり、互いを“見抜く”ための装置として設計された晩餐会だったのではないでしょうか。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
書き終えたときには、いつの間にか時間が過ぎていた。
室内の時計の針が二一時を指したちょうどそのとき――
「失礼いたします、提出用紙の回収に参りました」
控えめなノックの音と共に、従者の青年が現れる。
「はい、こちらを……」
クラリスが差し出した用紙を受け取った従者は、手早く数枚をパラリとめくって中身に目を通し、微かに目を見開いた。
「……ご丁寧な記録、誠にありがとうございます。お疲れ様でした、グレイ候補」
深く礼をして、用紙を懐に収める。
「明日の朝食の時刻になりましたら、またお迎えに上がります。それまで、お部屋でごゆっくりお休みくださいませ」
そう言って、静かに扉を閉じて立ち去った。
クラリスは、ほっと息をついた。
(ようやく、終わった……)
あと残されたのは、“自由時間”。
とはいえ、考えることは山ほどある。
あの少女たちの動き。王子の狙い。
誰が何を演じ、何を見せようとしたのか。
――そして、王子は何を見抜こうとしていたのか。
(……でも)
考えるそばから、思考はふわりと溶けていく。
子爵邸では味わえない、ふかふかの羽根布団。
心地よく温められた室温。
ほんの少し、シナモンの香りがするクッション。
(こんなの、慣れてないのに……)
気がつけばクラリスは、掛け布団をぎゅっと抱いたまま――
ゆっくりとまぶたを閉じ、静かな眠りに落ちていった。
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