2皿目
カレーが嫌い。大っきらいなの。
歯が黄色くなるし、主張の強い匂いも苦手。みんな、どうして平気な顔をして食べていられるの?
私の母もカレーが嫌いだった。でも、男にはよく作ってあげていた。
そんな私が、カレーを食べさせてほしいと言った。カレーを通して、私を見て欲しかったから。
貴方がいつも送ってくれるマンション。私が住んでいるのは、その裏側にある、もっと庶民的なアパートなの。
学歴だって、国公立を出ていると貴方と違って、私は高卒。
下北沢の「イエローハウス」。私はあそこで夢を追いかけていた。歌手として芽の出なかった私は、社長に事務所のスタッフとして雇われた。歌うこと以外、何も知らなかった私に、責任を感じていたから。社長の恩に報いるために、一流の女になろうと決意した。たとえ、ハリボテだとしても。
貴方なら私の人生を肯定してくれる気がした。貴方は、毎日をひたむきに生きることができる人。そばにいると優しい時間が流れていく。浮気もしないと思う。SNSをやっていなくて、写真は撮るけれど、どこに見せるということもない。こういう人を好きになれたら、幸せになれるのだろう。
嫌いなカレーを好きにさせてくれたら、貴方と一緒になれると思った。私が嫌いな私でさえも、好きになれるかもしれなかった。好きになれなかったとしても、私を知ろうとしてくれたら、それでよかった。
私は嘘はついていない。「カレーを食べさせて」と言っただけ。ライブハウスのことも、「行ってみて」と言っただけ。「カレーが大好きなの」、「イエローハウスのカレーは美味しいのよ」そんな言い方をしたら、嘘になる。私なりの誠意だった。
――イエローハウスってライブハウスだったの?
――事務をしているって聞いたけど、どんな会社で?
聞いてくれたら、包み隠さずに答えた。
――今日は部屋の前まで送るよ。
ずっと、そう言ってくれるのを待っていた。
――どんなカレーが好き?
最初にそう言われたら、その場でカレー嫌いを打ち明けるつもりだった。
それでも、貴方が作ってくれるカレーには興味があった。茶化すどころか乗り気になって、期限を決めてくれたことも嬉しかった。
だから、イエローハウスの話をした。実際に行ってくれたのかしら。何も言わないから、わからない。今でさえ言葉が少ないのに、夫婦になんてなれるのかしら。
日曜日、私は、私が一番好きな格好で、貴方のマンションに行った。私はステージに立つとき、よくブルーのシャツとデニムを着ていた。
整理整頓されていて、心地のよい生活感も同居した部屋。育ちがいいのだろう。きっと、普通の家庭で、優しいお母さんのカレーを食べて育ったのね。
貴方のカレーを食べたとき、本当はずっとマズいと思っていたの。でも、別れを切り出すのが嫌で、最後まで食べてしまった。真剣に見つめてもらえて嬉しかった気持ちも、本当。
コンビニで水を買って、三分の一くらい飲んでから、駅まで歩いた。方向を間違えていたらしく、全然違うところに来てしまった。どこかの家からカレーの匂いがしてくる。
自分に呪いをかけてしまったみたい。大嫌いなカレーが、まるで貴方そのものに置き換わってしまった。嫌悪感は切なさに変わっている。
追いかけてはくれなかったのね。スマホにも、連絡はない。
早く帰って、歯を磨かなくちゃ。胃からせりあがってくる匂いよりも、こみあげてくるものを感じながら、私は駅を目指した。
了
華麗にともに去りぬ 黒川未々 @kurokawaP31
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