最終話

 それから私と彼女は、買ってきた花火がなくなるまで火をつけては燃え尽き、また次の花火に火をつけるということを繰り返した。

 できるなら、この時間がずっとずっと終わらなければいいのに。

 そんなふうに思っていた。

 この時間が終わってしまえば、それはきっと私と彼女との時間の終わりになるのだ。

 花火をしながら考えた。

 彼女が東京にいる間に告白していれば、ディズニーランドに行ったあの日に告白していれば、私が自身の気持ちにもっと早く気付いていれば、彼女の答えも変わっていただろうか。

 だがいくら考えたところで、時間は戻らない。

 恋にはタイミングがある。それは、良くも悪くも、起こるべきタイミングでやってくる。

 私が今、このタイミングで彼女を好きだと思い、告白したことに、きっとなにか意味がある。私はそう思いたかった。

 彼女にはこの新潟の地で今の生活があり、仕事がある。

 私とともにアルバイトに通っていた大学生の頃とは、きっと背負っているものも、恋愛に対する姿勢、理想も違うだろう。

 私はそれは数年前に別れた元カノから、これでもかというくらいに思い知らされたことがあった。そのままその人とは別れた。

 今ならその理由が、痛いほど理解できる。

 だから彼女の答えもすんなりと受け入れることができたし、それに、もしかしたらどこかでその答えをわかっていたのかもしれない。

 それでも―、ただ今はこうして彼女との残された少ない時間を、最高の思い出として焼き付けておきたかった。

 この暗い砂浜に浮かび上がる花火の輝きのように。


 そして花火は尽き、私は彼女と花火を片付けて再びふたりで彼女の車へ乗り込んだ。

 それから新潟駅のロータリーに戻ってきた。

 なんだか、朝からの出来事があっという間だったようにも思うし、とてもとても長いいち日だったようにも感じられた。

 彼女は車をロータリーの端につけ、停車した。

 私は助手席を降り、車に載せてもらっていた荷物を取り出すと、急に寂しさが込み上げてきた。

 私は名残惜しむように「今日は本当にありがとう、楽しかったよ」そういうと、彼女へ自然と手を差し出していた。

 そして彼女と私は、最後に握手をした。

 それから発進した彼女の車を、見えなくなるまで見送った。


 まるで映画みたいだなと思った。

 後日、友人にこの話をすると同じことを言われた。

 そう、まるでひとつの映画みたいな旅で、青春を感じた甘酸っぱいいち日だった。

 あの日のことは15年近くが経ち、細かい部分はもう覚えていない。

 もしかしたら、このつづってきた文章の中にも、私の想像や美化された思い出があり、それは彼女目線で見たときには全然違っているのかもしれない。

 あの日、彼女がどんな服を着ていて、どんな髪型をして、どんなネイルをしていたのか、私はもう覚えていない。

 それでも頭の中に焼き付いたあわい思い出は、今でも私の心に在り続けている。

 誤解がないように記載しておくが、決してあの頃に戻りたいとか、あの日のような恋愛がしたいとか、今の生活に満足していないから懐かしんでいるだとか、そういうことではない。

 ただ、たまに振り返って、私にもそんな時代が、そんな青春もあったのだと思うと、まるで心の中に暖かい火が灯るような、そんな気持ちになれるのだ。

 思い出とは、青春とは、そんなふうにしてずっと、そっと、私の人生を彩り続けるものなのだろう。


 了

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あの夏、新潟にて― 木幡光 @hikarunpages

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