第2話 心に残る人

「…もう一度、会いたいな。」


そう願いながら瞼を閉じる。

しばらく寝れずに音楽を聴いていたが気がつくとまた、夢の中にいた。



ソファに並んで彼と座っている。

テレビがついていて、画面がゆらゆらと光を放っているけれど、何を映しているのかはわからない。

横にいる人の存在だけが、やけに強く感じられた。


私の肩にそっと腕が回される。

筋肉質で熱い、その感触に胸が詰まる。

夢の中の私は、現実の私よりずっと素直で、怖いほど近い距離にいるその人から目を逸らせなかった。


「俺のことまだ好き?」


耳元に落ちてくる低い声に、心臓が跳ねた。

その人の髪からふわりとシャンプーの匂いがした。

現実よりもずっと近くて、ずっと優しい空気がそこにあった。


ゆっくりと、指先が私の髪に触れる。

ひと房、ふた房と指で梳かれるたび、ぞくりと背筋が震えた。

見上げた瞳の奥に、自分しか映っていないような視線があって息を飲む。


ふいに唇が重なった。

一瞬で離れたのにまたすぐに戻ってきて今度は少し深くなった。

柔らかくて、甘くて、切なくて、泣きそうになるほど嬉しかった。

夢だってわかっているのに、夢であることを忘れたくなる。


「このままずっと一緒にいたいな…」


ぽつりと漏れた彼のその声が胸に刺さった。

目が熱くなるのを必死で堪えたけれど、どうしようもなかった。

夢の中なのに、こんなにも苦しい。


私は何も言えず、その胸に顔を埋めた。

硬い胸板と、服越しに伝わる体の温かさが愛おしくて、怖かった。



次の瞬間、目が覚めた。

天井が妙に白くて、無音の部屋が冷たく感じた。

夢の中の匂いも、体温も、声も、一瞬で全部遠ざかっていく。

けれど、心臓はまだ夢の続きを求めるみたいに速く打ち続けていた。


「…夢の中に戻りたい。」


弱々しく呟いて、もう一度瞼を閉じた。

けれど、さっきまで隣にいた人がまた出てくることはなかった。



街へ出ると、人の波がいつもより眩しく見えた。

イヤホンから音楽が流れているのに、何も耳に入らない。

現実に戻っても、心の奥ではさっきの夢の続きを探してしまう。


本当はわかっている。

私にはもう別の人がいて、ちゃんと幸せにしてくれようとしていることも。

それなのに、あの腕の中に戻りたくてたまらない自分がいる。


夢であの人に抱きしめられた記憶は、甘くて、切なくて、罪みたいに胸を締めつける。

昼間の光の下では隠しきれないほど、私の心はまだ、あの人の影を引きずっている。

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