第19話。奈波と澪音

 私は大きな荷物を背負って、島まで戻ってきた。


 港から真っ直ぐ病院まで向かって、澪音みおの居る病室に行くことにした。病室の扉を開け、澪音と顔を合わせようとした。


「っ、居ない……」


「澪音さんなら屋上ですよ」


 律月りつきに言われて、私は屋上に行くことにした。


 屋上は誰かが洗濯をしたのか、シーツのようなものが干されていた。風に揺れるシーツの向こうで景色を眺めている澪音を発見した。


「澪音!」


 私は澪音に駆け寄った。


「……」


 澪音が振り返って、私の顔を見てくる。


 すると、ポケットに入れていたスマホが鳴った。


奈波ななみ、来てくれんだ』


 澪音からメッセージアプリで文字が送られてきた。


 この島を出てから、一度も澪音にメッセージを送らなかった。だから、少しは寂しがってるかと思ったのに、相変わらず平気そうな顔をしている。


「こんなところで何してるの?」


『日光浴』


 そんなふうには見えなかったけど。


 ただ、澪音が屋上から飛び降りて自殺をするような人間だとは思っていない。だって、本気で死ぬつもりがあるなら、手術を受ける前に終わらせていたと思うから。


「いつまで、こんなところにいるの?」


 私の言葉が聞こえないふりをする澪音。その沈黙は本人ですらわからないという意味だ。答えながないから、黙ることしか出来ない。


琴海ことみさん、心配してたよ」


『お姉ちゃんには、そのうち連絡する』


「そのうち、ね……」


 本当なら、琴海にすべてを話して、澪音のことを迎えに来てもらうのが正しいと思う。だけど、澪音はもう子供じゃない。


 澪音は自暴自棄になってるわけでも、人の気持ちも考えずに能天気になってるわけでもない。自分で選んだ選択に向かって、澪音は一人で歩いている。


「私にはいつ連絡するつもりだったの?」


「……」


 澪音の手が止まっていた。


 私が島に来たのは、向日葵ひまわりが律月に頼んで私を呼びに来たから。向日葵が気を使ってくれなかったら、私は澪音とずっと会えなかった。


「澪音にとって、私は……その程度の関係だったの?」


 怖い。澪音が頷いたら、私が澪音の心に触れることは絶対に出来ない。この場所に居る意味すら失われてしまう。


『そうかも』


 送られてきた決定的なメッセージ。


 ただ、それが否定的なものでないと私は安心していた。本当に拒絶をする気があるなら、もっと強い言葉を使っているだろうし。


「そっか」


 私は背中に背負っていたケースを澪音の前に置いた。ケースの蓋を開けて取り出したのは、貯めていたバイト代を使って買った、新しいギターだった。


 久しぶりだから、上手く音が出せるか不安だった。だけど、今を壊す為には私が頑張らないといけない。


「私の人生は、あの日に変わった」


 つたない演奏。私がギター弾くのは、あの文化祭のあった日以来だった。何かに影響を受けて、文化祭でライブをやるなんて突拍子もない話をバカ達はやり遂げてしまった。


 下手くそな演奏、歌詞カード丸読みの歌。ブーイングの嵐に耳を傾けずに、好き勝手やって。文化祭のステージをめちゃくちゃにした。


 なのに。


 あの瞬間が何よりも楽しくて、私の記憶に今でも焼き付いている。それは澪音も同じだと知っているからこそ、このギターを買ってきた。


「でも、私は澪音にずっと隠し事をしてた」


『隠し事?』


 私はギターを思いっきり鳴らした。


 叫び声の代わりとは思わない。だって、これじゃあ、私の気持ちは何も伝わらない。ただ、後押しするようなものが欲しかった。


「私、本当は歌を歌いたかった」


 文化祭の時、最初は私が歌う予定だった。だけど、ギターの練習もまともに出来なくて、あのままだと何もかも中途半端になると思った。


 そんな時、私はクラスメイトの澪音に歌ってもらうことにした。澪音の声が好きで、澪音に歌ってほしいと。私は自分が歌うことを諦めた。


「澪音に歌ってもらったことは正しいかったと思ってるし、私には歌の才能も無かった。だけど、私が気にしてるのは……澪音のステージの上に立たせたのが自分だと気づいたから」


 澪音がエレンになったキッカケは私にある。そして、そのエレンは才能の花を咲かせ、無慈悲に枯れてしまった。


「その苦しみは、私のせいだよ」


 澪音が顔を横に振った。


「ごめん、澪音。私のせいで……」


 きっと、昔の自分が今の澪音と出逢っていたら、私は後悔することしか出来なかった。だけど、それは澪音を余計に傷つけるだけ。澪音は誰かの責任にしたいとは思っていない。


「これは私のわがままだから」


 私はギターを澪音に押し付けた。


「……?」


「エレンの物語は終わらせない」


 まだ澪音は私のやりたいことが、わかってないようだった。私は澪音の手を掴んで、ギターの弦に触れさせる。


「ほら、こうやって……」


「……っ!」


 突然、澪音の手が私の手をはらった。


「澪音……?」


 澪音はギターを抱えたまま地面に座り込んだ。


『なにをさせるつもり?』


「決まってるでしょ。演奏」


 うつむいた澪音。手に握られたスマホには何も打ち込まれていない。私の目的を理解したのか。それとも、まだ考えているのか。


「……っ」


 ギターの上にぽつぽつと涙が落ちる。


「どうして、泣いてるの……?」


 私は澪音に触れようとした。


『わたしにはむりだよ』


 そのメッセージは澪音らしくないと思った。


 歌の才能があるからと言って、他の音楽に関する才能があるとは思っていない。だけど、エレンなら不可能だって可能に出来る力があると私は思っていた。


 エレンが死んだら、澪音も死ぬことになる。


 これから澪音が自分らしく生きる為にはエレンが必要だった。だから、私は澪音のことを、もう一度同じ場所に引きずり出すつもりだった。


「ここで諦めるの?」


『もうぜんぶおわった』


「なら、さっさと琴海さんのところに帰ればいいでしょ!こんなところでアナタは何してるの!」


 私は澪音の体を掴んで揺らした。すると、澪音の体は力なく地面に倒れた。まるで、澪音の心が折れてしまったかのように。


「私は……ずっと澪音のことが羨ましかった」


 倒れたまま動かない澪音に私は言葉を向ける。


「才能があって、かっこよくて。歌が上手くて、優しくて。そんな完璧な人間、私とはつり合わないと思ってた」


 凡人の私が澪音に関わるべきじゃなかった。


「でも、今の澪音は全然かっこよくない!」


 うじうじして何もしない澪音。昔の自分を見ているみたいで、イライラする。才能がある人間の挫折なんて見せられても、同情なんて出来るわけがなかった。


「私は澪音の自分勝手で少し強引なところが、好きだった。私のことを必要としてくれる。私のことを求めてくれる。それが、私は嬉しかったの!」


 私の瞳から、勝手に涙が溢れてくる。


「お願い、澪音……」


 震える声で、私は言葉を口にする。


「私のこと、頼ってよ……」


 澪音と同じくらい私もわがままだった。


 病気のこと話してくれない澪音のことを私は一瞬でも疑ってしまった。だけど、誰だって怖いことがあるとわかっていたはずなのに。


 私は澪音の隣に居てあげられなかった。手を握って、大丈夫だって、言ってあげられなかった。


「澪音……?」


 澪音が体を起こして、私の体に抱きついてきた。


「ちょっ、澪音……」


 スマホが鳴っている。画面を見ようとしたのに澪音に抱きしめられてるから見えない。スマホを見ないと澪音の言葉がわからない。


「これじゃあ、何も伝わらないよ……」


 澪音が強く私の体を抱きしめてくる。


「ねえ、澪音……」


 ううん。私達の間に言葉なんて必要なかった。


『ありがとう』


 私と澪音の心は、ずっと繋がっているから。


 怖いことなんて、何も無かった。

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