第18話。奈波と覚悟

 あの島から、私は一人で帰ってきた。


 澪音みおはいつでも退院することが出来るけど、あの病院に居続けるのは澪音の意思らしい。それを向日葵ひまわりが追い出すわけもなく、しばらくこっちに帰って来るつもりはないそうだ。


 自宅に戻り、私は自分の部屋でスマホを使って電話をかける。本当なら、もっと早くこうするべきだった。


琴海ことみさん」


奈波ななみさん……」


 今にも消えそうな琴海の声。エレンの仕事の対応で疲れているのか。それとも、見つからない澪音を探し続けた疲労か。私は澪音ではなくて、琴海の為に真実を告げることにした。


「澪音が見つかりました」


「……っ!」


「澪音の居場所は答えられません。ただ、生きてはいます。だから……」


「よかった……」


 安堵するような琴海の声に私は胸が締め付けられる。澪音の状態のことを琴海に話したら、きっと琴海は私を縛ってでも澪音のところに行くと思う。


 だから、私が伝えた真実は澪音が生きているという事実だけ。手術のことに関しては、私には話す覚悟がなかった。


「琴海さんは澪音を連れ戻すつもりですか?」


「……今は、あの子の帰る場所を用意してあげられません。ただ、もしも、澪音が本当に望むなら。引退も考慮するべきだと思っています」


 エレンが引退すれば、琴海は仕事を失う。きっと、澪音が琴海に言えなかったのは、前の仕事を辞めてまで澪音の手伝いをしてくれた姉に対して悪いと思っているからだと思った。


 でも、琴海の考えてることは全然違う。澪音が望むなら、琴海はエレンの引退も受け入れるつもりだった。


 それにエレンはもう。この世界には居ない。


「琴海さんは、エレンが居なくなっても平気ですか?」


「平気というのは、仕事のことですか?」


「前の仕事、エレンのマネージャーをする為に辞めたって聞きました。なのに、エレンのマネージャーも続けられなくなったら、琴海さんは大変じゃないですか?」


「……」


 長い沈黙だった。


 他人の私が踏み込んでもいいラインはとっくに超えてしまっている。それでも、澪音に会うのは琴海ではなく、私が向日葵に選ばれてしまった。


 澪音の話をすべて知ったからこそ、琴海から逃げてはいけない。私が黙ってしまったら、澪音と琴海を繋ぐものが無くなってしまう。


「正直、驚いています」


「え、驚いてる……?」


「私が仕事を辞めた理由。澪音は黙っていたんですね」


 琴海が仕事を辞めたのはエレンのマネージャーをする為ではなかったのだろうか。


「もしかして、何か事情があったんですか?」


 私は聞きたいと思った。でないと、私はずっと他人のままだ。


「私がエレンのマネージャーになる前は、ずっと家に引きこもっていました」


「引きこもっていた……」


 それは初耳だった。


「働いてた会社でのことです。私は後輩の女の子にセクハラをしていた男の腕を掴みました。その男は偉い立場に居る人間だったようで、私の行動に激怒し、他の人間を使って私を追い詰めるように仕向けました」


 ただ吐き出される言葉。そこには何の感情も込められていない気がする。


「その時、私は何とも思いませんでした。それは自分が正しいことをしたと信じていたからです」


「じゃあ、辞めた理由って……」


「……私が助けたはずの女の子が自宅で亡くなったという話を聞いたからです」


 そこで初めて琴海の苦しみが伝わってきた。


「彼女は私と同じように追い詰められ、最後には耐えられなくなった。ただ、死因は自殺によるものではなく、過労だったそうです」


「過労って、全部会社が悪いんですよね?」


「後から、彼女には無茶な仕事を押し付けられていたとわかりました。会社側も非を認めましたが、その頃には私は会社に行くことが出来なくなっていました」


 自分が余計なことをしたせいで、他人の命が奪われてしまった。そんな現実を優しい琴海が耐えられるわけがない。


「毎日、私は自分のことを責めていました。自分の行いが、他人の命を奪ってしまった。そんなことが頭に浮かんだ時、彼女の後を追うことも考えたことがあります」


「それは……」


 私なら、きっと。琴海と同じことを考えていたと思う。もし、澪音が手術ではなく、自らの命を絶つ選択をしていたら、私は澪音の後を追っていた。


 琴海の話を聞いて、澪音は琴海が死ぬ可能性を考えてしまったのかもしれない。少しだけ、私が自意識過剰なだけかもしれないけど、澪音は私のことをよく知っているから。


「そんな時、私を部屋から連れ出したのが澪音です。エレンとして幅広く活動をしたいから、自分のことを手伝ってほしいと、お願いをされました」


「二人はあまり仲が良くないと思ってました」


「元々、私と澪音は仲が良かったわけではないです。私が姉となった時から、両親の愛情も妹の澪音に向けられるようになり、私は姉として妹を守る必要がありましたから。正直、鬱陶しいとすら、感じていました」


 私が文化祭で澪音と演奏をした後、私と澪音の関係は高校を卒業するまでは続いていた。ただ、その中で澪音は一度も琴海の話を口にすることはなかった。


 きっと、お互いにちょうどいい距離感を見つけていたんだと思う。そんな澪音が、仕事で大きな後悔を背負ってしまった琴海に手を差し伸べた。


「私は澪音のこと。誰よりも尊敬しています」


 澪音は周りの人間は全部、踏み台にすると言っていた。ただ、それは澪音の強がりで、本当は誰よりも臆病だと私は知っている。


「でも、私は……澪音の為に何も出来ない……」


 琴海なら、澪音のことを救えるのだろうか。


 今の話を聞いたら、琴海には澪音のことを支える理由があるとわかった。だったら、澪音の居場所を話して、琴海に迎えに行ってもらった方が、みんな幸せになれると思った。


「奈波さんにとって、一番大切なモノはなんですか?」


 それは私がずっと答えを出せなかったこと。


「奈波さんが、配信者として活動していることは察しがついています。澪音が最近、コンタクトを取った相手はナナさんしかいませんから」


「私には配信者としての才能がありません。だけど、私にとって、配信は命と同じくらい大切なモノでした……」


 私が世界と繋がる方法。


 世界で一人じゃないと、自覚させてくれる方法。


「でも、私は……」


 病院で澪音と顔を合わせて、考えが変わった。


「澪音とずっと一緒に居られるなら、配信者も辞められます。だから、私にとって、一番大切なモノは澪音です」


 私は澪音の一番になれなくてもいい。それでも私は澪音のことを支えたいと思った。澪音には返しきれないほど、大切なものを与えてもらったから。


「余計なお世話かもしれませんが、奈波さんは配信者を続けるべきだと思います」


「どうして、ですか?」


「……あの子は言ってました。今の幸せは、歌うことよりも、奈波さんが配信者として活躍する姿を見ることだって」


「……っ」


 私と澪音はどこまでもすれ違っていた。


 結局、私は自分勝手だった。


 澪音にずっと、私の為に頑張ってくれていたのに。


「琴海さん……」


 もし、澪音の願いが私の幸せなのだとしたら。


 私が配信者を辞めるのは絶対にダメだ。それをやってしまったら、誰も幸せになれない。


「澪音のこと。全部私に任せてくれませんか?」


 澪音は琴海のところに私が連れて帰る。


「初めから、そのつもりですよ」


 電話越しに琴海の笑った顔が想像出来た。


 やっぱり、澪音は馬鹿だと思った。琴海なら、どんな澪音だって受け入れてくれる。話し合わずに逃げるなんて臆病者だ。


 私は、もう逃げたりしない。


 覚悟は決めた。


 後は行動をするだけだった。

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