第11話。奈波と魔女

 水族館に行った日から、澪音みおと顔を合わせる時間がほとんどなくなった。澪音がライブのリハーサルで忙しいらしくて、抜け出す暇も無くなったからだそうだ。


 何度もメッセージで『奈波ななみに会いたい』と送ってくる澪音。最初は丁寧に返していたけど、そのうちスタンプを送って、適当に流していた。


 いくらエレンが何度もライブを成功させていると言っても、次が失敗しないとは限らない。ちゃんとリハーサルをやってもらって、完璧なライブをやってほしかった。


「エレンってさ、彼氏と同棲してるらしいよ」


 そんな話を聞いたのはどこでだっけ。


 私の噂話ならたいていのことは聞き流せる。だけど、澪音の噂話が嫌に耳に残るのは、私がエレンの正体を知っているからだった。


 自分だけがエレンの正体を知っている優越感。そんな感覚が抱けるほど、お気楽な性格なら、私は悩んだりはしなかった。


 だって、私の中ではエレンよりも、澪音の存在が大きいから。今の私は澪音に触れることも、話すことも出来る。そんな澪音の陰口を言われて、何も思わないわけがない。


「もっと、遅く来ればよかったかな」


 エレンのライブ当日。


 私が会場近くの喫茶店で時間を潰していたのは開演の時間よりも、かなり早く着いてしまったから。


「相席。よろしいかしら?」


 いきなり、声をかけられて驚いた。


 視線を向けると、綺麗な女性が立っていた。すぐに周りに目を向けてみると、他の席が埋まっていることがわかった。


「えーと……」


 席を譲りたかったけど、時間潰す為にゆっくり飲んでいたキャラメルマキアートがまだカップ一杯に残っている。


「どうぞ……」


 私の前に座った女性。大人の女性という感じだけど不思議な雰囲気がある。掴みどころがないというべきか。あまり関わったことのない相手に戸惑ってしまう。


 長い沈黙。彼女の手元に飲み物が用意されるまで会話が無かった。そのせいで、余計に自分の飲み物が減りずらかった。


「ごめんなさい。お邪魔だったかしら」


 私の様子に気づいたのか声をかけられた。


「いえ、そんなことは……」


「アナタの運命に興味があったの」


 警戒心。それがまったくなかったわけじゃない。


「何かの勧誘ですか?」


「ふふ。そんな無粋なことをするつもりはないわ」


 彼女が手を差し出してくる。


「相席のお礼がしたいの。もし、よければ手相を見せてくれるかしら」


「……」


「お金を取るつもりはないわ。ここはお気に入りの場所なの。出入り禁止にされるのは困るのよ」


 私は重い空気に耐えられず、手を差し出した。彼女の細い指が私の手を掴んでくる。まるで、割れ物を扱うように、優しく、触れてきた。


「そうね。臆病だけど、大胆な性格。万全とは言えないけど、健康的。仕事と恋愛に関しては迷いを感じやすい。才能は……」


 彼女が言葉を止めた。


「私に才能はないと思いますよ」


「ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」


 私の手のひらと彼女の手が重なった。


「とても、綺麗に見えたのよ」


「……っ」


 もし、才能があるなんて言われたら、すぐにでも私は立ち去っていた。ただ、これが詐欺師のやり方なのだとしたら、私は感心すらしてしまう。


「これから先の未来で、アナタには大きな困難が待ち受けているわ。それを乗り越える為の才能がアナタにはある」


「困難って、信じられないですよ……」


「ふふ。冴えない占い師の戯言だと思って、聞き流してもらって構わないわ」


 やっぱり、彼女は占い師だったんだ。


「お店とか出してるんですか?」


「ええ。ただ、お店の場所を秘密よ」


「どうしてですか?」


「偶然の出逢いこそが、運命。こうして、わたしとアナタが出逢ったことも、運命だと思っているわ」


 彼女は私の手に何かを握らせた。


「……っ」


「それがわたしがアナタにしてあげられることよ」


 私の視線は握られた手に向けられる。


 ゆっくりと、確かめるように手を開けば、そこにあったのはギターのピックだった。昔、似たようなモノを持っていた気もするけど、そんなわけがないと思った。


「あの……え?」


 顔を上げた時。彼女の姿は無かった。


 代わりにテーブルの上には二人分のお金が置かれていた。今の出来事が白昼夢でないことを示すように。


「……お人好し過ぎでしょ」


 せめて、名前くらいは聞きたかった。胸にモヤモヤを抱えたまま、私は喫茶店から立ち去った。




月棺げっかんの魔女……」


 ライブの会場に入る待ち時間。並んでいる間にSNSで調べてみると、そんな名前が出てきた。ネット上で噂になっている占い師みたいだけど、魔女というのは少しばかりおおげさだと思った。


 容姿の情報が、私がさっき会った人と一致している。噂になるくらいだから、よく誰かに声をかけているのかもしれない。


 でも、彼女の言っていたお店の場所だけは調べても出てこなかった。お金、受けるつもりはなかったんだけど。


 そうこうしてるうちに会場に入ることになった。


 澪音から渡されたチケット。番号を間違えないように確かめながら歩いて行くと、あらためて澪音に渡されたチケットの価値を知ることになった。


 振り返れば、この会場の広さがよくわかる。


 一万人以上の人間がエレンのライブを見に来ることになる。それはエレンの才能が作り上げてきた結果だと思った。


「最前列って……」


 着いた私の席はステージの目の前だった。近過ぎると逆に見えずらいと思ったけど、贅沢は言ってられない。澪音から渡されていた応援グッズを手に持って、始まるのを待つことにした。


「……っ」


 エレンのライブが始まる。


 ステージ上では、誰かが居るのは見えるけど顔は見えない。これだけ大きなライブであっても、エレンは顔を出すつもりはない。


 澪音は気楽に楽しんで欲しいと言っていた。私の周りに居る人達もエレンの動きの一つ一つに反応するように声を出していた。


 でも、私だけは違っていた。


 音楽と共にエレンの声が会場に響き渡る。体の芯まで伝わる音。初めて聞く、エレンの才能から生み出された本気の歌声。


 すべてが合わさって、エレンの才能は最大限に引き出される。エレンが本物であることを証明する歌は、私の心に刻み込まれるみたいだった。


 これが、本当の澪音だとすれば。


 澪音の才能は本当に恐ろしいと感じてしまった。




「……」


 あっという間に終わってしまったエレンのライブ。私の中に満足感はなく、胸の奥にしまっていた劣等感みたいなモノが溢れ出していた。


 あの場所は私にとって、場違いな場所だとわかっていた。あの席は、本当にエレンのことを好きな人が居るべき場所だったのに。


 私が会場から出た時。


 空には綺麗な月が浮かんでいた。


 立ち止まった私の横を通り過ぎて行く人達。誰も月を見ようとしないのは、空の月よりもまばゆい輝きを放つ星を目にしたからだと思った。


 きっと、私が憂鬱になることは間違っている。


 ただの石ころを月や星と比べることは愚かなことだった。暗闇に溶けてしまえば、石ころを見つけられる人間なんていなくなる。


「澪音……」


 あの会場で私は澪音の存在を感じることが出来なかった。同じように澪音も私のことを見つけられなかったと思う。


「月に手は届かないけど、わたしには届くよ」


 その声を聞いて、私は振り返った。


「やっほー奈波」


「澪音……」


 まったく顔を隠そうとしない澪音。だけど、澪音がエレンだと知っている人はここにはいない。通り過ぎて行く人の波の中で、私と澪音はお互いの距離を詰めた。


「それじゃあ、行こっか」


 澪音に手を掴まれ、二人で歩き出した。


 まだ、今日は終わっていない。

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