第10話。奈波と水槽
「ねえ、
澪音と私は自主的に活動を休止することにした。
公式な発信はしていないから、いつだって戻ることが出来る。だけど、とりあえず一週間は様子見ということになった。
元々、エレンの人気があるからなのか、ネットで炎上はしているけど。エレンを庇うような意見の方が多い気がした。
だからか、澪音も思い詰めている様子はなく、後のことは
「うん。水族館行きたかったし」
お互いに暇。というわけでもなかった。私はバイトがあるし、澪音も仕事がある。ただ、気分転換に休みを取って、二人で水族館に行くことになった。
平日の昼間だからか、水族館の中は想像していたよりもずっと静かだった。時々、水槽を見ている人が居たけど、とてもじゃないけど声をかけられる雰囲気ではなかった。
「水族館に来るのなんて、いつぶりだろ」
水槽の中を見ながら隣の澪音に会話を求めた。
「
「え、いきなり、なに?」
「この水族館。有名なデートスポットらしいよ」
今日、水族館に誘ったのは私の方だけど。
「いやいや、彼氏と一緒に行ったデート場所に友達連れて来ないでしょ。ていうか、恋人なんて一度も出来たことないし」
恋愛とは無縁の人生だった。配信することが楽しくて、気づいたら歳を重ねていた。ただ、それでも私は恋愛に興味がわかなかった。
「わたし、学生の頃から奈波に彼氏がいないのが不思議だった」
次の水槽に向かいながらも会話は続く。
「私、そんなちょろい女に見えてた?」
「違うよ。奈波、凄く可愛かったから」
「あの頃は……化粧とか頑張ってたし……」
それでも、私の本性までは隠せなかった。
「私、男の人が苦手なんだ」
「それは初耳かも」
「お父さんがね……凄く厳しい人で……」
幸せな家庭なんて、子供の頃には想像も出来なかった。だって、私の家庭は簡単に壊れてしまったのだから。
「私のこと殴ったんだ」
「マジか……」
「キッカケは些細なことだったと思う。もしかしたら、私が余計なこと言ったせいかもしれない。でもね、それが原因で離婚することになったんだ」
お母さんは私のことを守りたかったんだと思う。
それでも、両親の離婚するまでの間、最悪な空気に子供ながらまいってしまった。あの時、人間の本性を初めて見た気がする。
「最近ではマシになったけど、昔は男の人の顔を見れなかったくらい酷かったんだよ。ただ、今はかなりマシになった方だから」
「ごめん」
誰かに謝ってほしいわけじゃない。
「私、澪音に自分のこと知ってほしいから話したんだよ」
だから、彼氏とかくだらない話を二度と口にしないでほしい。そこまでは言葉にしなかったのは澪音なら伝わっていると思ったから。
「澪音?」
澪音が私の手を握ってきた。
「わたし、奈波のこと何も知らなかった」
「話さなかったのは私の方だし」
きっと、高校生の頃は私も澪音のことを信用していたわけじゃない。過去の嫌な記憶なんて、他人に軽々しく話せるわけがない。
「今なら澪音のこと信じられるから」
過去の私を救ってほしいわけじゃない。
今の私を見てほしいから、澪音に話をした。
「ありがとう。奈波」
優しい笑顔を見せる澪音。ただ、少し悲しそうに見えたのは、私が余計なことを話したからだと思った。
でも、これでまた一歩澪音に近づけた気がする。
私と澪音の間にある、途方もない道。
少しでもいいから、私は澪音に近づきたかった。
澪音が次の水槽に吸い寄せられるように歩いて行った。その水槽に展示されているのは、何匹も漂っているクラゲだった。
「わたしさ、生まれ変わったらクラゲになりたい」
「どうして?」
「何も考えなくてよさそうだから」
私は来世があるとは思っていない。
人生は一度きり。本当に来世が存在しているとしたら、澪音だって、クラゲに生まれ変わりたいなんて考えないと思った。
「奈波は生まれ変わったら何になりたい?」
「私は……」
少し、意地悪な答えを思いついた。
「澪音になりたい」
一度くらいは考えたことがあった。
もし、私が澪音として生まれていたら。私の人生は今とは違っていて、もっと、自由に生きることが出来た。
「わたしさ、自分が幸せだとは思ってないよ」
「澪音は幸せじゃないの?」
「結局、わたしには歌しかないから」
澪音が水槽に手を触れた。
「歌ってない時は、現実ばかりが見えてしまう」
私も同じ。と言いたかった。だけど、澪音の見ている世界と私の見ている世界は違う。このクラゲでさえも、澪音にとっては、歌っていない時に目を向けただけの存在。澪音の人生には必要なんてない。
「奈波、実はさ……」
澪音の声を遮るように館内アナウンスが流れた。
「ごめん、なに?」
会話を止めるほどではなかったけど、澪音の方が言葉に詰まっていた。あらためて聞こうとすれば、澪音が顔を近づけてきた。
「これ。渡しておきたかった」
澪音の手に握られたモノ。
「これって……」
「ライブのチケット」
渡されたチケットを見れば、それが誰のライブなのかわかった。SNSで告知は目にしていたし、驚くようなことでもなかった。
「転売したら高く売れるかな」
「はは。奈波以外が居たら追い出すから」
それはエレンのライブチケット。しかも、かなり前の席だし、今回のライブは大きな会場でやるから、世間からの注目も集まっている。
「大丈夫なの?」
「なんのこと?」
あんな炎上があった後にライブなんて。そう口にしようとした時、私は澪音の不安そうな顔を見て、大丈夫なわけないと思った。
きっと、ライブ会場は満席で埋まる。誰かがエレンのことを推さなくなっても、他の誰かがエレンのことを支える。何度も見てきた、世界の仕組み。
でも、もしも。世界のみんなが自分のことを嫌いになったら。誰も居ないステージで、自分の声は誰にも届かなくなってしまう。
「澪音」
私は澪音の手を握った。
「私。必ず行くから」
「そんなにわたしの生歌が聞きたかった?」
全部、私の妄想かもしれない。
だけど、こうして手を握れば、澪音の心がわかる気がした。繋がれた手と手が、私と澪音に足りない言葉を補ってくれる。
「あーあ。奈波にそんな顔させるつもりなかったんだけど」
「え、変な顔してた?」
「うん。正直、惚れるところだった」
私は澪音の手を離した。
「心配して損したかも」
「えー奈波の言葉。嬉しかったのに」
澪音を置いて、私は一人で歩き出した。
「奈波」
私に聞こえるくらいの声で澪音が呼び止めてきた。本当は置いていくつもりはなかったから、すぐに立ち止まった。
振り返ろうとした。だけど、私の体が動くよりも先に背後から伸びてきた腕に体が抱きしめられる。
「ちょっ、澪音……」
痛い。澪音がこんなに力があったことも驚きだけど、これだと澪音の顔が見えないから、何を考えているかもわからない。
「クラゲってさ、共食いするらしいよ」
「……」
「わたしにぴったりだと思わない?」
澪音は自分以外の人間は才能に喰われる方が悪いと思っている。それは澪音が天才だから言えることで、私も澪音に食べれる人間の一人だと思っている。
「なら、私のことも食べてよ」
私は澪音の腕を掴んだ。
「……やだ」
子供のように否定をする澪音。私の体から澪音が離れたのは、他のお客さんが来たから。澪音は平然を装っていたけど、最初に感じた不安そうな顔は最後まで元には戻らなかった。
再び繋がれた私と澪音の手。
そこから、澪音の考えは何も伝わってこなかった。
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