第13話。奈波と曇天

 自分の部屋。いつものように私はスマホでSNSを見ていた。エゴサは時々するけど、今はエレンのこともあって避けていた。


 どうせ、根も葉もない話を広げられて、私や澪音みおのことを傷つけるような言葉を目にするから。いくら澪音が私を庇ってくれたとしても、一度向けられた疑いを晴らすのは何よりも難しい。


「この人、またラーメンの写真あげてる……」


 自分のフォロワーのつぶやきを見ていると、それは突然始まった。私がエレンと関わったことで、フォロワーがエレンの話題を出すことは時々あった。


 だけど、そのほとんどが好意的なモノで、むしろ喜んでる人の方が多い気がした。だから、今回もエレンの名前を目にした時、不安を感じたわけじゃなかった。


「え……」


 そこに載っていた文字に私は目を疑った。


 すぐにスマホの画面を切りかえて、澪音にメッセージを送る。返事が来ないとわかれば、通話をかけてることにした。


「出ない……」


 次に電話をかける相手。長いコールを待ち続けていると、電話は繋がった。


「あの琴海ことみさん!」


「ネットに上がっているモノは本物です」


「本物って……エレンが『引退』するってことですか?」


 ライブ後に活動を休止していたエレン。突然、自分のチャンネルを使って、エレンとしての活動をすべて終了するというものを配信した。


 チャンネルを確認したけど、既に動画が消されていた。動画は琴海が消したのか。それとも初めから残すつもりはなかったのか。


「現在、エレンのアカウントにはコチラからログイン不可能になっています。今回の件はすべて、澪音の独断によるものだと思ってください」


「独断って……」


 この前の炎上の影響。いや、確かにファンのことを悪く言ったのは澪音が悪いけど、引退する理由としては弱い気がした。


 澪音が言ったのは、あくまで愚痴みたいなものだ。それが正しいと感じる人もいただろうし、エレンの言葉に同意する人間もいた。


「澪音はどこにいるんですか?」


「アナタが知らないということは、誰にも分からないということです」


「私は……」


 澪音からメッセージは返って来ない。


「私の方でいくら訂正をしても、澪音がエレンのアカウントを動かす可能性があります。このままいけば、引退という言葉も冗談では済まなくなります」


 引退するなんて、私は聞かされていない。


 琴海との電話を終わらせたのは、琴海も対応が忙しいから。エレンが引退を発表したのは琴海にとっても予想外のことで、後始末も残っていると言っていた。


「澪音……」


 澪音が自暴自棄になった。


 そう考えるのが普通だけど、天才の考えることなんて凡人にはわからない。澪音にとって、エレンとしての活動は軽い気持ちで続けてきたモノじゃないはずなのに。


 SNSでは、様々な憶測が飛び交っている。


 そこにナナという存在も加えられ、嘘や誇張された話も混ぜられていく。エレンの引退という大きな衝撃は誰にも止められないほど、広がっていくのがわかった。


「電話に出てよ……」


 何回も澪音と連絡を取ろうとしても、通話が繋がることはなかった。そのうち、スマホの電源が切られたのか、私のメッセージが澪音に届かないことはわかった。


 ここ最近、澪音とは上手くやれていると思っていた。でも、私は澪音のことを何も知らない。澪音が全部を投げ出した時、どこに行くか考えてもわからない。


 エレンが活動を引退することも教えてくれなかったし、私は初めから澪音に信頼されてなかった。


「……」


 私はパソコンに近づいた。


 休止してからパソコンに触れることはほとんどなかった。いつからか、私は配信をすることと澪音に関わることが同じくらい大切になっていた。


 だから、配信が出来なくても、澪音が居てくれるなら平気だった。思い出したくない、自分の弱さに目を背けることが出来ていた。


 弱い自分は少しづつ世界に溶けてしまう。


 夢も希望も抱けず、似たような日々を送る。


 それの何が悪いというか。何も悪くないから誰も私を責めてくれない。誰も私を助けてくれない。誰も私を見てくれない。


「私は……」


 気づいた時にはパソコンのマウスカーソルが配信開始を押そうとしていた。


「……っ」


 椅子を引いて、パソコンから離れた。


「何やってるの……私は……」


 エレンが引退を発表したタイミングで、関わりのあるナナが配信を始める。それは植えたハイエナの檻に肉を体に巻いて飛び込むようなもの。下手をすれば、売名行為だと罵られる可能性だってあった。


 澪音を失った私が、ナナとしての自分を失うことに耐えられるわけがない。でも、配信が出来ない私は何者にもなれない。奈波ななみに価値なんてない。


 私は部屋から出て、廊下を歩いて行く。


「奈波、どこか行くの?」


「ちょっと、コンビニまで行ってくる」


 お母さんの声を聞いても、自分の存在が歪んでいる感覚が消えない。玄関から外に出た時、灰色の空が雷の音を鳴らしていた。


 いつもなら雨が降りそうな時は、傘を持っていくのに今日は少しでも身軽でいたかった。


 家から離れて行くほど、早歩きになり、最後には走り出した。無駄だとわかっていても、私は澪音のことを探すつもりだった。


「澪音……」


 スマホで何度も澪音に連絡をしながら、私は走っていた。


 私は怒っているのだろうか。それとも悲しいのだろうか。我慢しないと涙が溢れそうになっているのに涙を流す理由が思いつかなった。


 もし、このまま澪音が居なくなっても。


 時間が経てば、私は元通りナナとして配信をすることも。今まで通り奈波として生きることが出来る。


 結局、その程度の関係だから。澪音は私に引退することを話してくれなかった。澪音にとって、エレンは何よりも大切なもので、私も澪音の才能に呑み込まれる側の人間でしかなかった。


 なのに、そのエレンが私の前から消えた。


 私はエレンのことを目標にしていたつもりはない。だけど、見上げていた空が消えてしまって、そこに大きな穴が空いてしまったみたいだ。


 それって、凄く怖いことだと思った。


 絶対にありえないと思っていたことが、現実になってしまった。誰も想像すらしていなかった。エレンが世界から消えてしまうことなんて。


「どうして……」


 灰色の空から落ちてきた雨粒が、私の熱い体を冷ますようだった。


 これまで澪音と一緒に行った場所を走り回り、それでも澪音を見つけられなかった。息切れをしながら、それでも走ろうとすれば、胃の中をひっくり返った。


 必死になるほど、自分のやってることがバカバカしくなる。澪音のことだから、平気な顔をして私の前に現れる可能性だってあった。


「澪音……」


 大雨の中、私がいくら待っても澪音は迎えに来てくれなかった。スマホのバッテリーが切れ、私は地面に座り込んだ。


 私は世界から切り離されてしまった。


「そんなに私のことが嫌いだった……?」


 もう誰にも届かない私の言葉。


 教室の隅で、自分の言葉を飲み込み。誰とも繋がろうとしなかった私。そんな私に最初に声をかけてきたのは澪音だったのに。


 澪音はきっと、覚えてすらないと思う。


 文化祭の日、澪音に声をかけたのは澪音が私に前を向かせてくれたから。澪音にも同じように前を向いてほしかった。


「ああ、そっか……」


 初めから、澪音には私なんて必要なかった。


 澪音が私と再会を望んだのは気まぐれで、そんな気まぐれが終わってしまっただけ。全部、澪音の暇つぶしだった。


 そんなふうに考えれば、鉛のように重くなっていた私の脚が動いた。このまま無駄なことを続けても何も変わらない。


「さよなら。澪音」


 私は立ち上がり、一人で帰ることにした。

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