第5話。奈波と琴海
「はぁ……」
今日は気分が沈む。
その原因ならわかっていた。
数日前、
「ミナちゃん、大丈夫ですか?」
「あ、ごめん。大丈夫だから」
私に声をかけてきたのは、同じ喫茶店で働いているホタルだった。ここは普通の喫茶店だけど、制服が可愛かったからアルバイトとして働いている。
「お客様にケツでも揉まれましたか?」
「そっちの方がマシかもね……」
あれから、ずっと澪音から連絡が無い。澪音のいない以前の生活に戻っただけなのに、私は物足りないと感じてしまっていた。
「もしかして、他のお仕事で何かありました?」
「まぁ、そうなるのかな」
私が配信してることは誰にも言ってない。
他人を信用してないわけじゃないけど、趣味でやってることを仕事と言うのは抵抗があった。それに配信での収益よりも、アルバイトで稼ぐお金の方が多かったから。
澪音と関わって私に足りないものが才能だけじゃなくて、配信と向き合うことだとわかった。こうして喫茶店で働いてる時間、私は配信者ではなくなるのだから。
「ホタルちゃんってさ、将来の夢とかある?」
「将来の夢ですか?そうですね。うーん……」
私よりも若い子。これから未来の可能性なんていくらでもあるし、叶わないような夢を抱いたって許される。だから、まだ、ホタルは取り返しがつく。
「普通が一番だと思います」
「え、普通?」
「はい。普通に生きて、普通に死ぬ。ホタルにはその方が身の丈に合ってますから」
現実的な話をされて驚いた。
ホタルは見た目だけなら、蝶々を追いかけて迷子になりそうな子なのに。こうして、個人的な話をしてみれば、その中身が酷く冷めていることがわかった。
私はホタルのことをとやかく言える立場じゃない。ただ、私もホタルのように普通に生きるべきだったのかもしれない。
「ホタルちゃんが幸せならそれでいいけど」
「はい。ホタルは普通でいられて幸せです」
夢なんて抱くから、叶わなかった時に辛い思いをする。私が曖昧な立場を続けるほど、誰かの夢を奪い続ける。
あの時、琴海は私のことを責めたりしなかった。
だけど、琴海がその気になれば、私のことを否定出来た。私の人生に価値は無い。もし、誰かの人生を狂わせているとしたら、それは澪音の価値がある人生であるとわかっていた。
エレンという才能が形として存在している。
それが世の中にどれだけ影響を与えているか。
「いらっしゃいませー」
一人になったところで、私は余計に悩んでしまう。
澪音に頼らず、私が一人で頑張るって言えば。澪音は私に関わろうとしなくなるのだろうか。澪音の夢を、人生を、凡人の私が邪魔をしている。
そんなの許されるわけがない。
バイトが終わり、私は家に帰ることにした。
スマホに入った曲の再生リスト。澪音が勝手に作ったみたいで、それはエレンが歌っている曲だった。
もったいないから、こうして移動中に聞くようにしている。無線イヤホンを耳つけて、私は日の暮れた帰り道を一人で歩いていた。
声。それは生まれ持った個性。
才能の一部という捉え方も出来るけど、上手く活かすことが出来れば、どんな声だって可能性を秘めている。
エレンには自分の声を最大限に引き出せる才能があった。曲の中で楽器の強烈な音に呑まれることなくエレンの声が歌として、曲を作り上げる。
それこそがエレンの才能にして、努力をした結果だと私は思った。才能を持った人間が努力をしたら、凡人である私に届くわけがない。
「……っ」
思わず、私は口を動かしていた。
エレンの曲を聴いて、同じように歌ってみたいと思ってしまった。誰にでも似たようなことはあるとも思うけど、私は少しだけ違う。
あの文化祭の日。
私は歌うことを諦めたはずなのに。
「おい!」
突然、聞こえた声。イヤホンを操作して音を止めると、私の後ろから誰かが怒鳴り声をあげていた。
「いま、おれのことバカにしただろ!」
「え、なに……」
顔の赤い男の人が私に何か言っている。
この辺、時々酔っぱらいが倒れているけど、絡まれたのは初めてだった。私はすぐに手にスマホを持った。
「おい!聞いてんのか!」
話し合っても駄目そうだった。私は、この場から逃げることにした。だけど、男から離れようとした瞬間、私は腕を掴まれ引っ張られた。
「痛っ……」
片耳のイヤホンを剥ぎ取るように奪われた。耳が熱い。手で触れてみると、指先に血がついているのが見える。
だけど、酔っぱらいは私に怒鳴り続けている。何言ってるかわかんないし、耳が痛くて、最悪な気分だった。
もう片方のイヤホンを取られそうになった時。
「……っ」
酔っぱらいの体が宙を舞った。
「警察、呼びますよ?」
地面に叩きつけられた男。その腕を掴み、押さえつけているのは琴海だった。今、琴海が男の体を投げ飛ばしたように見えたけど、すぐには何が起きたか理解出来なかった。
「離せよ!この野郎!」
「わたしは女ですが……」
琴海が私の顔を心配そうに見てくる。
「もう少しやっても、正当防衛で済みそうですね」
「ちょっ、琴海さん!」
琴海が何かをする前に私は止めに入った。
「私は平気ですから、それ以上は……」
「だそうです。この子の慈悲に感謝してください」
琴海が男を離した。すると、急に男が立ち上がり琴海に向かって拳を突き出した。でも、次の瞬間、琴海が男の腕を掴んで、そのまま近くのゴミ捨て場に投げ飛ばしていた。
「凄い……」
「
私は琴海に手を引かれ、歩き出した。
「あの……助けてくれて、ありがとうございます……」
「わたしは当然のことをしただけです。あの辺は酔っぱらいも多いですから、夜は気をつけてください」
知ってたけど、自分は大丈夫だと思っていた。
「琴海さん。どうして、こんなところに?」
「エレンから買い物を頼まれました」
よく見れば、琴海の手にはコンビニの袋が握られていた。澪音が琴海を使いっ走りしたのか。マネージャーと言っていたし、よくあることなのだろうか。
琴海はコンビニの前で立ち止まると、外に私を待たせて入って行った。すぐに出て来たかと思えば、また腕を掴まれ引っ張られた。
「この辺でいいでしょう」
腰を下ろせる場所。そこに私は座らされた。
「えーと……」
「怪我の治療をします」
琴海が袋から取り出した道具で私の耳を治療をしてくれる。断りたかったけど、地味に痛くて、傷が見えないのが怖かった。
「引っ掻き傷ですね。血は止まってますよ」
「よかった……」
傷を丁寧に拭いてくれてるのがわかる。
「あの……エレンは何してますか?」
「今は収録中です」
やっぱり、仕事だったんだ。
「ずっと、連絡が来なくて心配で……」
「エレンのスマホはわたしが持ってます」
「え?」
「今回の仕事が終われば返しますよ。溜まっていた仕事も今日で終わりですから」
だから、ずっと連絡が無かったんだ。
「あの……琴海さん……」
私は聞きたいことがあった。
「澪音が私と関わること。本当は嫌ですよね……?」
澪音がサボった原因は私だと思った。
「エレンのマネジメントはわたしの仕事です。エレンのイメージを崩さない為にもプライベートに関しても、ある程度は口出しをしています」
なら、琴海の意思次第で私との関係も。
「しかし、あの子の友人を奪うようなことをするつもりはありませんよ」
「それじゃあ……」
「エレンに……いえ、澪音にとって奈波さんは必要な存在だと考えてます」
澪音に私が必要。琴海に言われて、嬉しいはずなのに。私の心から迷いが消えない。まだ、私は自分の可能性を信じることが出来なかった。
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