第2話アセトン村へ、そして

 少女は、レンと名乗った彼女は、まだ小さな手で俺の袖を握りしめていた。

 俺たちはあの草原を後にし、騎士団が指し示してくれた道を歩いていく。


「……本当に、助かったのか?」


 俺はまだ信じられない気持ちでつぶやく。

 だがレンは少し俯きながらも、小さく笑った。


「うん……でも、怖かった。村の外に出ると、時々ああいう魔物がいるの……」


「そっか……」


 この世界は、俺がゲームで見たような、

剣と魔法と魔物が存在する世界らしい。

 さっきの戦闘で身をもって知った。

 けれど――魔法は俺には使えなかった。

 使えるのは、あの“召喚”だけ。


「お前、ひとりで外に出るのは危ないんじゃないのか?」


「……でも、私、村であんまり歓迎されてないから。誰も一緒に来てくれないし……」


 言いにくそうに、レンはぽつりと言った。

 その横顔は、普段は明るいんだろうと思わせるのに、どこか影が差している。


 ◇


 小さな丘を越えた先、木々の向こうにぽつんと建物が見えてきた。

 粗末な木の柵で囲まれた集落――アセトン村。


「……ここが、アセトン村か」


 近づくと、畑で鍬を持っていた老人がこちらを見て眉をひそめる。

 他の村人たちも、視線を向けてはひそひそと話し合っているのがわかる。


「レン、お前、また村の外に出て……」


 中年の男が近づいてきて、レンをにらむように見下ろした。


「ご、ごめんなさい……でも、今日は――」


 レンは言いかけて、ちらりと俺を見た。

 村人の視線が一斉に俺へ集まる。

 俺はとっさに頭を下げた。


「……怪しいやつじゃないです。道でこの子が魔物に襲われてて……それを、助けただけで」


「……お前が? 剣も持ってないのにか?」


 中年の男は半信半疑の目で俺を見た。

 俺はあの“召喚”のことを説明するわけにもいかず、曖昧に笑うしかなかった。


「と、とにかく、この人は私の命の恩人なの! だから……今日はここに泊めてあげて!」


 レンが必死に言うと、男は腕を組んで唸った。


「……村長に相談だな。こっちへ来い」


 ◇


 村の中心にある一番大きな家――といっても、質素な木造の建物――へ案内され、村長と呼ばれる白髪の老人に会った。

 老人は俺をじっと見て、ゆっくりと口を開く。


「……外から来たのか?」


「ええ……まあ。ちょっと、わけありで……」


 正直に言えば「異世界から来た」となるが、それを言っても信じてもらえないだろう。

 俺は当たり障りのない言葉を選ぶ。


「レンを助けてくれたのは事実のようじゃな……なら、一晩くらいなら、わしの家の納屋を使え」


「ありがとうございます……!」


 俺は深く頭を下げた。

 レンはほっとしたように笑顔を見せる。その笑顔に、俺の胸の奥がまた少し温かくなった。


「……でも、わしらはよそ者には厳しい。しばらくしたら、出ていってもらうことになるじゃろう。それは覚悟しておけ」


「……わかりました」


 俺は頷いた。

 面倒ごとが嫌いな俺が、わざわざ異世界の村に泊まるなんて――自分でも信じられない。

 けれど、目の前の少女が少しでも笑ってくれるなら……それでいいか、と思えた。


 ◇


 村長の家を出たあと、俺はしばらく立ち尽くした。

 夕方の風がひんやりと頬を撫でる。

 ――さて。納屋を使えと言われたが、どうしたものか。

 村の端まで戻るのは面倒だし、そもそもどこに納屋があるのかも聞いていない。


 そんな俺の袖を、またしてもレンが引いた。


「……私の家、来る?」


「えっ?」


 俺は間抜けな声を出した。

 レンは小さな体で必死に言葉を繋ぐ。


「私、ひとりで暮らしてるから……部屋、余ってるよ」


「……いや、でも……」


 たった十歳の少女の家に、俺みたいなよそ者の男が泊まるなんて……。

 俺が言葉を濁すと、レンは袖を引く手に力を込めて、真っ直ぐ見上げてきた。


「いいから、おいで?」


 その言葉に、俺はさらに迷った。

 大人として、それでいいのか?

 だが、その迷いを見透かしたように、レンの瞳がかすかに潤んだ。


「……嫌なの?」


 その声に、胸がぎゅっと痛んだ。

 助けた相手を拒むようなことを、俺は今しようとしていたんじゃないか。


「……わかった。……わかったよ。お邪魔させてもらう」


 俺がそう言うと、レンの表情がぱっと明るくなる。


「ほんと? よかった……!」


 袖を引く手が、さっきよりも強くなった。


 ◇


 村の外れにある、小さな家。

 木の扉を開けると、ほのかに薪の匂いがした。中は質素で、土間と小さな囲炉裏、薄い布団が二組。

 壁際には、子ども用の机と、木の棚。

 確かに、ひとりで暮らすには広すぎるくらいだ。


「……狭いけど、どうぞ」


 レンが少し照れくさそうに言う。

 俺は周囲を見渡し、ふと胸の奥が痛くなるのを感じた。

 この年で、こんなところで、ひとりで生きてるのか――。


「……ありがとうな、レン」


 俺は頭を下げた。

 レンはくしゃっと笑って、薪をくべ始める。


「ごはんは、すぐ用意するから!」


「いや、そんな……俺が何か作るよ。ちょっと待て」


 俺は頭の中でイメージを広げる。

 ――さっき出したペットボトルやあんパン。なら、別の食べ物だって……。

『承認』

 そう思って両手を前に出すと、またもや目の前におにぎりが落ちた。

 中身は――コンビニおにぎり。ツナマヨ味。


「……ほんとに出てくるんだな、これ……」


 俺は小さく笑い、袋をレンに差し出した。


「ほら、これでも食べな」


「なにこれ!? 見たことない……でも、いい匂い!」


 レンは目を丸くして、慎重におにぎりを手に取った。

 次の瞬間、口いっぱいに頬張り、嬉しそうに笑う。


「おいしい……!」


 その笑顔に、俺の胸の奥がじんわりと温かくなった。


 ――この世界で俺は、これからどうなるんだろう。

 けれど、少なくとも今は、目の前の少女を笑わせられた。それだけで十分だと思えた。

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