第3話村の朝とキャリーカート

 朝の光で目が覚めた。

 薄い布団の上で体を起こすと、木の壁の隙間から差し込む陽の光が、室内を柔らかく照らしていた。

 ――昨日まで、俺は自分の部屋に引きこもっていたはずなのに。

 今、目を覚ましたのは異世界の、知らない少女の家だ。


「……なんだ、夢じゃなかったんだな」


 寝ぼけた頭でそうつぶやくと、隣の囲炉裏の前で何かをしている小さな背中が見えた。


「おはよう、おにーちゃん」


 振り返ったレンが、にっこりと笑う。

 昨日と同じく、少し大きめの服を着て、袖をまくり上げている。

 かまどの火を起こし、湯を沸かしている最中だった。


「……おはよう。もう起きてたのか」


「うん。村のみんなより早く動かないと、いろいろ言われるから」


 その言葉に、胸が少し痛む。

 レンは俺が見ていないところでも、ずっとそうやって耐えてきたんだろう。


「……俺も手伝うよ」


「え? でも……」


「いいから。昨日は世話になったし、何もしないのも落ち着かない」


 レンは一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに小さく頷いた。


 ◇


 外に出ると、朝の空気が冷たくて気持ちよかった。

 遠くの畑ではすでに村人たちが働いている。

 こちらをちらりと見ては、また作業に戻る。

 ――やっぱり、俺はよそ者だって顔をしてるな。


「じゃあ、この水桶、水汲み場まで運ぶの手伝ってくれる?」


「任せろ……とは言えないけど、やってみる」


 レンが両手で抱えようとしていた木の桶を、俺は代わりに持ち上げようとする。

 ――重い。想像以上に重い。

 ふらつきながら、なんとか数歩運んでみたが、ふと気づく。


「……あれ? これ、入る量少なくないか?」


 桶の内側をのぞくと、満杯にしてもほんの少ししか入らない。

 この往復を何度もしなきゃいけないのか? 効率悪すぎだろ……。


「レン、もっとたくさん入る容器ってないのか?」


「え? そんなの、村にはないけど……」


「そっか……じゃあ、ちょっと待ってろ」


 俺は頭の中で、現代でよく使っていたものを思い浮かべる。

 ――たしか、家にあったよな。冬に灯油を運ぶやつ。


「……灯油用のポリタンク、出ろ」

『承認』

 その瞬間、目の前に青いポリタンクが“コトン”と落ちてきた。

 レンが「えっ!?」と声を上げ、目を丸くする。


「な、なにこれ!?」


「えーと……俺の持ち物みたいなもんだ。桶よりたくさん入るだろ?」


 ポリタンクを持ち上げてみる。桶より重くなるが、容量は段違いだ。

 ただ、これを運ぶとなると――。


「……そうだ。キャリーカートも出せばいい」


 頭の中でイメージを固めると、

『承認』

今度は折り畳まれたキャリーカートが目の前に落ちてきた。

 それを広げ、ポリタンクを乗せてみる。


「よし、これならいける!」


 キャリーカートを引くと、ガラガラと音を立てて砂利道の上を滑っていく。

 レンはぽかんと口を開けたままだ。


「すごい……こんなの見たことない!」


「だろ? これなら一度でたくさん運べるし、楽だ」


 俺はにやりと笑い、水汲み場のある広場までカートを引いていった。


 ◇


 水汲み場のある広場に着くと、すでに何人かの村人が水を汲んでいた。

 俺たちが近づくと、作業の手が止まり、視線がこちらへ集中する。


 ――ガラガラと鳴る車輪。ポリタンクの青さ。

 見慣れぬ道具に、村人たちは目を見開いていた。


「……あれは……なんだ?」


「見たことねぇ道具だな……」


 小さくつぶやく声があちこちから聞こえる。

 さらに、近くで遊んでいた小さな子どもたちが、興味津々といった顔でこちらに駆け寄ろうとした。


「すげー! 何あれ!」


「見てみたい!」


 しかし、その子たちの腕を、すぐさま親たちが引いた。


「やめなさい! あの人はよそ者だよ!」


「近づくんじゃない!」


 厳しい声に、子どもたちはしょんぼりと立ち止まり、後ずさる。

 その光景に、俺は胸が少し重くなった。

 ……そりゃ、突然現れた見知らぬ男が怪しまれるのもわかる。

 でも、あの期待に満ちた目に、胸がちくりと痛んだ。


 俺はポリタンクの蓋を開け、水汲み場に水を

入れレンに空のポリタンクとキャリーカートを

渡す。


「じゃあ、水、汲むのは任せた」


「うんっ!」


 レンが張り切って川に水を汲みに行く

 桶を使って汲み上げた水をポリタンクに移し、キャリーカートに乗せると――


「……こんなに一度に運べるなんて、すごい……!」


 レンが目を輝かせる。

 俺は少し照れながら、肩をすくめた。


「俺、こういうのしか取り柄ないからさ」


 口にした瞬間、苦笑いがこぼれる。

 でもレンは首を横に振って、真剣な顔で言った。


「そんなことないよ。私、すっごく助かってるもん」


 その言葉に、胸がじんわりと温かくなる。

 村人たちの視線はまだ厳しい。だけど、この少女がこうして笑ってくれるなら――。


「……これからも手伝うよ。しばらくは、ここにいるつもりだし」


「ほんと? やった!」


 レンはぱっと顔を輝かせた。

 でも、その笑顔の奥に、どこか影があることを俺は見逃さなかった。

 この村で、彼女がどれだけ孤独だったか……その片鱗を、ようやく理解し始めていた。


 ――俺はまだ、この世界で何ができるかもわからない。

 だけど、少なくとも彼女をひとりにすることだけは、したくなかった。

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