第25話 ラベル

 淳史さんは亮二さんが被害者だと言っていた。

 やっぱり……亮二さんは……。


「杉田君……キミが……」

「驚く事でもないとは思うけど? 奴に害されたのは俺だけって訳じゃないだろ。現に彼女だって平然と振る舞う事は出来てはいても、心の中に消えないものをずっと抱え続けている」

「杉田さん……私はもう大丈夫よ」

「表向きはね……これ以上、何も起こらないという保証はないよ」

「だけど……動いてくれた事で状況は把握出来たわ。それで多少の安心は得られたから……」

 それって……瞭良さんが言ってた……。


『コレ……探偵にとっては意味変わりますよ。依頼人を守るってのは理解しますが、警護というには違いがある。依頼の最中に接触した人物まで、正直、守りきれないですよ』


 ……そういう事だったのか。


「本当はそれが目的だったんだろ」

 亮二さんのその言葉に、彼女はそっと目を伏せた。

 そして、一呼吸置くと目線を上げ、口を開く。


「あなたたちと早水さんの助言もあって、彼の顧問に就く事で彼の立場を守れる。同時に私の立場もね……プライベートは仕事の後からついてくるわ。そう思っている。彼ともそう話したから……」

「仕事が盾になって堂々と振る舞えるのは気兼ねないだろう。だが……いつまた同じような状況になるとは、否定も肯定も出来ないだけに常に付き纏う深いキズだ」

 ……亮二さん……。


 淳史さんから聞いた言葉が頭の中を掠めていく。

『治らない傷だと分かっているから、亮二はそんな自分を捨てたんだ』


「そうね……だけど私以上に……緋色の事が……」

「緋色の事なら心配ない。そうだろう? 早水さん」

「ああ。杉田君の言う通り心配ない。緋色は探偵に戻る。俺の元でね」

「早水さんのところで……そう。それなら本当に心配ないわ。緋色をお願いします」

「ああ、任せてくれていい。元の探偵事務所を再開する話にはなっていたんだが、そうなるとね……」

 重く落ちる早水の声に、亮二さんが後を続ける。

「九埜の名前もあがる事になるからな」

「どういう事……?」

 僕は分からず、亮二さんに訊く。

 亮二さんは、僕に目線を向けると答えた。


「俺たちには名簿がある。探偵の名簿がね。だからユウ、お前も『katharsis』の探偵として名簿に載っているよ」

「あ……そっか」

「退職しても三年間は保管されるが、一時的な閉鎖で退職という訳でもないからな、名前が残ったままだ。廃業した方が簡潔だろ。どのみち、九埜の悪名は真っ当な探偵なら大抵は知っている。事務所名にキズがついたのは言うまでもない事だしな」

「そっか……そうだよね。だけど亮二さん……九埜に事務所も名前も残ってるって……」

 亮二さんは、ニヤリと笑みを見せると立ち上がり、カウンターの中へと入った。

 そして、バックバーへと目線を向けると僕に言う。


「ユウ。『バカルディ』作って」

「え? あ……うん」

 急にどうしたんだろうと不思議に思いながら、バックバーから一本のホワイトラムを手に取った。

「この中から何故、それを選んだ?」

「何故って……バカルディってラムベースだろ」

 僕は、ボトルのラベルに目線を落とした。

 クスリと笑みを見せながら亮二さんは言う。

「ラムなら他にもあるけど?」

 試すような目を向ける亮二さんに、僕は呆れたように溜息をつくと答える。

「オーダーがバカルディじゃなければね」

「流石、バーテンダー」

「探偵だよっ。さっき自分で言ったんじゃないか。僕は『katharsis』の探偵として名前が載ってるって」

「ああ、そうだよ。だから、ね?」

「だからってなんだよ……」

 僕は、また溜息をつくとシェーカーを取り出し、氷と共に材料を入れるとバカルディを作り始める。

 リズム良く流れるシェーカーを振る音、カウンター前に座る淳史さんたちが僕に注目している。

 その音が止まると、亮二さんがカクテルグラスをカウンターに置いた。

 僕はシェーカーのトップを開け、グラスに注ぐ。

 グレナデンシロップが混ざっているこのカクテルはピンク色だ。


「誰が飲む?」

 亮二さんの声に。

「俺、飲んでいいスか」

 瞭良さんがグラスを手に取った。

「瞭良……お前って空気読めない奴だよな」

「え? 淳史先輩、なんスか、それ」

「いや……いい。お前にピンクって、なんか似合わねえな」

 呆れた顔を見せる淳史さんだったが、瞭良さんの事を深く理解しているようだ。

「問題ないでしょ、俺……」

 瞭良さんは、バカルディを一口飲むとこう続けた。

「『本物』だから」

「はは。そうだな」

 互いに見せる笑みが、互いを信頼している事を物語っていた。


「ここにいる探偵は信用して貰っていいっスよ、神崎さん。あなたの依頼を受けた探偵……中川 ユウくんをね」

 瞭良さんの言葉を裏付けるように亮二さんが、ベースに使ったホワイトラムのボトルを、ラベルを見せるようにカウンターに置いた。

 瞭良さんは、ボトルの隣にグラスを置くと言葉を続ける。

「単にラムとは言っても、ラムにも数種類あるからね。グレナデンシロップを混ぜてピンク色だけど、ユウくんが使ったのは無色透明のこのホワイトラム。コレをシュガーシロップに変えれば『ダイキリ』になるけど『ダイキリ』に使うホワイトラムに決まりはないんスよ」

「決まり……?」

 不思議そうな顔をする彼女に、瞭良さんはボトルのラベルを指差すと答える。

「バカルディを作るなら、バカルディ社のライトラム……バカルディ・ホワイトを使うのが決まり。それ以外のラムで作ったら、それはバカルディじゃない、バカルディと言って出してはならない。もしも出したら、それは偽物って訳。その昔、裁判沙汰にもなったホントの話っスよ。だから……」

 瞭良さんの目が僕を真っ直ぐに捉えた。


「それを知ってる彼も『本物』って事」


 瞭良さんは、ボトルの隣に置いたグラスを再び手に取ると、それを飲み干した。

 ニッと笑みを見せる瞭良さんに、僕は照れ隠しに笑った。

 空になったグラスを瞭良さんから受け取ると、僕は彼女に目線を移す。



「神崎さん……僕からの提案だけど」

「ええ。どんな提案でも受け入れるわ。ここにいる探偵は皆、信用出来るから」

「うん……」

 僕は、静かに頷くと真剣な表情で彼女に言う。


「あなたの依頼には、周囲にいる人たちの存在を浮き上がらせる……それは解決に向けての方法の一つでもあったんだろうけど、浮き上がった存在はそれぞれの境地に立たされる事になる。だから」

 僕は、彼女を真っ直ぐに見ると言った。



「契約解除に同意して欲しい」

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