16. 【閑話】「勇者」

 リアルテイ要塞での勝利の報は、瞬く間に王都へと届けられた。


 数年間変わることのなかった魔王軍四天王の一角が、勇者パーティーと正体不明の仮面の死霊術師によって退けられたというのだ。


 リアルテイ要塞は数ヶ月にもわたって膠着状態にあり、王国の兵士たちがどれほど勇敢に戦おうとも、じりじりと後退する戦況は覆しようがなく、いつかこの王都も炎に包まれるのではないかという恐怖が、王国中央においても蔓延していた。


 しかし、勝利の報はそれらを全て過去のものとする条件としては十分すぎる程だった。


 時間を待たず、正式な文書として勝利を伝えると、噂は風に乗って、次第に熱を帯びていった。


 炎牢が退けられ、氷牢の気配が消えた。

 四天王が撤退するのは、数年間で初めての出来事だったのだ。この明らかな変化は、人々の心を揺さぶった。


「まじかよ!」


 王都の大通りに面した酒場では、酔った男がそう叫び、熱狂の波に包まれる。


「勇者様がやったってのか」

「へっ、伝説も本当にあるのかもしれねぇなぁ」

「聖剣で一撃って話もあるぜ」

「仮面の一団もどんな野郎なのか気になるぜ」


 王都の大通りには、号外を配る少年たちの声が響き渡った。


「号外! 勇者リカルド様、炎牢を撃退!」


 その言葉を聞いた人々は、我先にと新聞を手に取った。そこには、要塞での激戦の様子が、臨場感あふれる文章で描かれていた。聖剣の光が闇を切り裂き、炎牢を打ち破る様子。


「本当に、やったんだな!」


 街角のパン屋の店主が、新聞を握りしめて涙を流した。彼の息子は、リアルテイ要塞の兵士として従軍していた。これまで、息子を戦地に送り出す不安で押しつぶされそうだった毎日が、一気に晴れやかになる。


「俺たちにも、まだ希望があるんだな……」


 老いた兵士が、若き勇者の功績を称えながら、静かに杯を傾けた。彼の瞳には、かつて彼自身が追い求めた、輝く英雄の姿が重なっていた。


「勇者様!万歳」

「希望だ!人類の希望!」


 各地へと広がる希望。


 この勝利の報は、王都だけにとどまらなかった。

 飛竜や伝書鳩、魔法によって、その吉報は王国全土へと次々と伝わっていく。


 王国中枢が、士気向上を図って全力で前線へとその情報を送ろうとしたのだ。

 

 カルディアによってギジャン要塞が突破された北方——その雪山に囲まれた冒険者の宿では、暖炉の火が静かに燃え、凍える兵士や冒険者たちが身を寄せ合っていた。


 数年前の酒場の賑わいは消え、皆が黙って杯を傾けている。カルディアによって生活は困窮し始め、希望は消えかけていた。


 そんな中、王都からの飛脚が宿に飛び込んできた。そして、疲れ果てた顔で、一枚の紙を宿の主人に差し出した。


「リアルテイ要塞、勝利の報でございます!」


 その声に、酒場の空気が変わった。一瞬の静寂の後、宿中がざわめきに包まれた。


「嘘だろ……」

「本当かよ、おい!」


 吟遊詩人が新しい歌を口ずさみ始め、冒険者たちは互いの背中を叩き合い、大声で笑い、涙を流した。

 彼らの瞳には、希望の光が宿っていた。


 ◇


 そして、その報せは王国の東方に隣接するガルヴェイア皇国にも届いていた。

 彼らは魔王直轄領のみと接しており、積極的な討伐には動こうとしない。彼らにとって、魔王討伐は”勇者”という特別な存在に託された、遠い世界の出来事だった。


 皇城の重厚な執務室。ガルヴェイア皇国の軍事参謀が、外交官から差し出された書状を読んでいた。


「リアルテイ要塞が……。あのリカルドなる少年が、炎牢を退けたと?」


 参謀は信じられないといった顔で首を振った。


「どうやら、あの王国は我々が考えているよりも、遥かに大きな潜在能力を秘めているようです」

「……愚かな王国だと見くびっていたが、見直さねばならんな」

「それにしても、仮面の集団か……」


 ◇


 前線……リアルテイ要塞のさらに南——王国南西方の黒牢領との前線では、数ヶ月にわたって守勢一方だった王国軍が、まさに敗北必至の状況に追い込まれていた。


 絶え間なく続く魔族の波状攻撃に、兵士たちは疲弊し、諦めの色が濃くなっていた。


「もう駄目だ……」

「この要塞も、時間の問題か……」


 そんな沈黙を破ったのは、土煙を上げて駆け込んできた一人の伝令兵だった。


「リアルテイ要塞より急報! 勇者リカルド様、炎牢を撃退!」


 はじめは誰もが耳を疑った。だが、伝令兵の血走った瞳と、その言葉の力強さが、次第に兵士たちの心に火をつけていく。


「嘘じゃねぇのか、本当なんだろうなな……!」

「勇者様が勝ったんだ! 俺たちが負けるわけにはいかないだろう!」

「持ちこたえるぞ!!」


 疲労で崩れ落ちそうだった兵士たちが、剣を握り直す。その顔には、先ほどまでの絶望ではなく、確かな希望が灯っていた。


「見ろ! 昨日に比べ、奴らの動きも鈍い!」

「言われてみれば、奴ら魔族も炎牢の敗北が響いているのか!」

「全軍、反転攻勢に転じる! 勇者様に応えろ!」


 指揮官の号令が響き渡る。

 兵士たちの間に「勇者様が勝利したのだから、俺たちも負けるわけにはいかない」という、強い使命感が生まれたのだ。


 その勢いに押されたのか、それとも四天王の敗北が相手方にも響いたのか、黒牢軍の勢いは衰え、撃退に成功した。


 それは南方の白牢・魔王領でも同様だった。


 絶望的な状況にあったはずの防衛線が、まるで奇跡のように持ちこたえ始めた。勇者リカルドの名声と功績は、兵士たちの士気を劇的に高めた。

 数日もせずに陥落すると思われたそれら戦線は、勝利の報によって、勢いを取り戻した。


 人々は歓喜に沸いた。


 それはただの一勝ではない。

 彼らの住むこの王国が、魔王軍と真っ向から戦う唯一の国であり、これまで幾度となく絶望を味わってきたからこその高まりだった。


 隣接する北東の国々は、精々が魔王領一つと接するのみで、積極的な討伐には動こうとしない。

 救援はない。


 そんな状況で現れた神託と加護を得た「特別な存在」が、たった一人の若き勇者と、その仲間たちだった。


 王都の大聖堂でも、勇者リカルドの勝利を祝う催事が開かれた。幾度かの内乱を経て、今ではその権威を失いかけていた聖教にも、この日ばかりは多くの信徒が教会に詰めかけ、勇者の勝利を神に感謝した。


「勇者リカルド様は、神に選ばれた子。その奇跡の力が、我々に希望を与えてくださったのです」


 司祭が語る。


 街のあちこちで、人々は勇者リカルドの活躍を語り合った。


 勇者リカルドは、単なる一人の英雄ではなく、人々の心を一つにする希望の象徴となった。


 

 ——勇気を持ち、勇気を与える者。


 リカルド・エンブリオが、勇者として希望を灯し始めた初めての勝利だった。

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