足跡の記憶

階段甘栗野郎

足跡の記憶

今年の夏は、異常だ。


連日40度近い気温が続き、誰もがうんざりしていた。


蝉の声はもはや怒鳴り声に聞こえ、アスファルトは照り返しで歪み、そこを歩く人影すら蜃気楼のように揺らいでいた。


そんなある日、俺は地元の友人・浩司から妙な話を聞かされた。


「この前、南団地の裏のバイパスで、変なもん見ちまってさ」


「変なもんって?」


「昔、女の焼身自殺が有ったと言われる場所なんだけど」 


「・・・裸足の女が、アスファルトの上に立ってたんだよ。」


「昼間、38度超えてた日だぜ? あんなとこ、靴履いてても焼けるのに」


南団地の裏手には旧道とバイパスが交差している細い歩道があり、昼間でも人通りは少ない。


特にこの暑さでは、誰も好き好んで歩こうとはしない。


「それって、ホームレスとかじゃないの?」


「いや、違う。髪が長くて、花柄のワンピース着ててさ。」


「顔は見えなかった。けど、ずっと下を見て動かねえんだよ。」


「信号が変わっても、車が通っても」


浩司は言ったあと、苦笑いを浮かべた。


「俺が見間違えたってことにしてもいいんだけどさぁ」


「でもな、その翌日に行って見たら、バイパスに変な足跡があったんだよ。」


「焦げた、足跡が地面に焼きついたみたいな」


「あれ、何だったんだろうな?」


俺はその話を聞いた翌日、少し興味本位で南団地の裏手まで足を運んでみた。


正午を回った頃で、アスファルトの表面温度は確実に60度を超えていたと思う。


まるで焼けた鉄板の上を歩くようだった。


問題の場所は、信号のない横断歩道がある歩道の切れ間だった。


人ひとり分のスペースに、確かに「何か」が残っていた。


濃く黒ずんだ、左右の足型。


土踏まずまでくっきり見てとれる、それは明らかに裸足のものだった。


「・・・本当に、有った。」


俺は手袋をしたまま、足跡に触れてみた。


指先に熱は感じたが、それ以上に、異様な「感触」が残った。


柔らかい、まるで、人肌がそのまま張り付いているかのような。


慌てて手を引っ込め、俺はあたりを見回したが、住宅街の外れで、人影はない。


だが、熱で揺れる道路の向こうから何かを感じた。


視線ではない。もっと粘つくような、ねっとりとまとわりつく「存在感」。


俺は、その場をすぐ離れた。


それから数日、奇妙なことが続いた。


俺のスマホの歩数計アプリが壊れたように動き始めた。


外出していないのに、日に何千歩もカウントされている。


しかも、時間帯は決まって深夜0時から4時の間。


履歴を見ると、そのルートはいつも同じだった。


自宅から、南団地の裏手、あの足跡の場所だ。


そして、そのバイパスの交差点と自宅を、ただ往復している。


まるで、誰かが、俺のスマホを持って、その道を歩いているかのように。


そのことを浩司に話すと、彼の表情は一気に曇った。


「・・・それさ、俺もなってたんだよ。お前に話す前から。」


「夜中、寝てる間に勝手に歩数が増えるんだ、でもな、数日前に止まったんだ」


「止まった日、夢見たんだよ。バイパスの上に、あの女が立っててさ。」


「俺のスマホ持ってて、言ったんだ。「次は、あなた」って」


冗談めかして笑おうとしたが、浩司の目は笑っていなかった。


「お前にも、来るかもしれないぞ。」


俺は、苦笑いをして、その日は自宅に帰った。


それからというもの、俺の部屋では音がするようになった。


夜中、床をペタ、ペタと裸足で歩くような音。


玄関ではなく、窓側から始まるのが妙だった。


俺の部屋はマンションの三階で、ベランダの下は道路だ。


ペタ、ペタ、ペタ。


ペタ、ペタ、ペタ・・・。


俺は、冷や汗をかき、布団にくるまりながら音を消そうと耳を塞ぐ。


だが、それは次第に近づいてきて、そして、止まる。


ちょうど、俺の枕元あたりで。


ある夜、俺は金縛りに遭い、目だけが開いていた。


暗がりの中、目を凝らすと、そこに足が見えた。


黒く焼け焦げたような、左右の足。


土踏まずまで赤黒くただれ、皮膚はめくれている。


「かえして・・・」


女の声が、足元から響くように聞こえた。


「かえして・・・わたしの、足・・・」


俺は叫び声をあげて、目を覚ました。


全身汗まみれで、喉はカラカラだった。


目覚めた部屋の中には、窓際の床に「濡れたような足跡」が、2つだけ残っていた。


その翌日、浩司が自宅で倒れているのが見つかった。


部屋の中で、スマホを握りしめたままの姿だったという。


病院に運ばれたが、異常はなかった。


病気も外傷もなく、ただ、放心状態で意識が戻らない。


医者は「熱中症によるショック状態」と言った。


だが、俺は思った。


あれは、彼女が来たのだと。


そして、俺のスマホも、画面を確認すると夜中の歩数計はゼロだった。


けれど、「地図アプリ」のログだけが、なぜか残っていた。


南団地の裏手、例のバイパス。


そこに、ひとつだけ残るピン。


「立ち止まった位置」が記録されている。


その場所は、女の足跡が残っていたあの場所。


俺は、今でも考える。


あの足跡は、誰のものだったのか。


なぜ、俺たちのスマホに執着したのか。


もしかしたら、灼けたアスファルトに立ち尽くしながら、


「助けて」と声を上げられずに死んだ、そんな女がいたのかもしれない。


誰にも気づかれず、誰にも知られず、


ただ、そこに焼き付いた足跡だけを残して。


今もなお、あの場所に「立っている」のだとしたら


次に、その足が向かうのは・・・


・・・いや、それは考えない方がいいのかもしれない。



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