卵と鳥
昨日、到頭私のところにも卵が届いた。もう少しだろうと覚悟はしていたのだが、実際に届いて目の前に置くと焦りが波となって私と私の覚悟を呑み込み、流していってしまった。毎年のことだ。一年に一度卵は配達されるはずなので一年前も二年前もうまく卵を処理してきたはずだ。なのに、毎年その方法を忘れてしまう。記録などを付けるべきなのだが処理に成功すると今度は安堵の波が私を流していってしまう。その繰り返しだ。私は生憎波に流されないための錨を持っていないので流され続ける。今年中には錨を手に入れられるといいのだが。
現実的な問題について考える。卵をどう処理しようか。世間一般の人々がどうやって卵を処理しているのか私は知らないし、恐らく誰一人として他人の卵の処理方法を知っていないと思う。それはごく個人的な営みなのだ。だからといって何もしない訳にはいかない。私は最善の方法で処理しなければならないのだ。
私は心を落ち着かせるために図書館に行くことにした。静かな図書館は時として自分の家よりも考え事に適しているのだ。その時、妙案が浮かんできた。降ってきたのではなく、浮かんできたという表現の方が正しい気がする。図書館で一度調べてみよう。何か有益な情報が得られるかもしれない。私は買ったばかりの初々しい毛皮のコートに袖を通し、少し遠くても本の充実している図書館へ車で向かった。
四十分ほどでその図書館には到着した。外は湿っていて、雨はもうすぐ降る予定の地面を見つめていた。裏葉柳図書館といううらぶれた名前の割に沢山の本が揃っているので私は時間のある休日によく利用している。
私はまず最初に料理の棚を探し、次に法律の棚を探した。科学、産業、芸術の棚も順に探した。しかし、年に一度配達される卵の処理についての本は見当たらなかった。人にこんなことを訊くわけにはいかないので今度はコンピュータで検索をかけることにした。しかしなんと検索すればいいのだ?そもそも卵に関する本なんて置いているのだろうか。それでも私は一度検索するまでわからないと自分を納得させまず「卵」と打ち検索した。この画面を誰にも見られていないことを心から願った。
奇跡的、とでもいうべきか一件だけヒットした。「生息地別の鳥とその卵」という題の論文だった。どうりで書架を調べても見つからないわけだ。私は論文コーナーでその論文を借り求め読書スペースに移動した。勿論、自動貸出機を利用して題が見えないように持ち運んだ。
この論文を読んだとき、私は大きな驚駭を受けた。鳥が卵を生産していたという事実に対してまだあまり順応できていない。題を見て卵と鳥にどんな関連性があるのかと思っていたが、確かに卵がどうやって生産されているのかなんて考えたこともなかった。ただそこにあるものだと思っていた。意識の遥か外側の問題だったわけだ。一体誰までがこの情報を知っているのだろう。国は知っているだろうな。でも何故公表しないのだろう。そして何故隠しもしないのだろう。友達は知っているだろうか。多分知らないだろう。そしてこれは大きな声で言うべきではない類のものなのだろう。だから、教えるのはやめておこうという結論に達した。
それだけではなくこの論文には卵の処理方法も載っていた。そのページには三つの手順が示されていた。
一. 卵を十分茹で、黄色に変色するまで待つ。
二. 変色したら半日~一日の間日光を当てる。
三. そのまま屋外に放置する。しばらく待つと鳥が回収しに来る。
※この時、鳥を観察することができるが気づかれると攻撃されるので注意
私は家に帰ると早速卵を茹でた。雨はもう振り切っていて地面を見下げるものは太陽とそれを必死に隠そうとする僅かな雲しかなかった。卵は丁度十分間で黄色に変色した。それを一日、日の光に当て続け、私は休みを取って卵を一日中眺めることにした。
最初の四時間は何も起こらず過ぎ去った。卵はぴくりとも動かず鳥は全く姿を見せなかった。論文のいう「しばらく」に対して疑念を抱き始めた時、鳥は突然として姿を現した。
鳥は卵の隣に降り立つとそのみずみずしい灰色の翼を休ませた。そしてすぐに卵の回収作業に取りかかった。鳥はそのつるつるした卵をしばらくの間じれったく転がした後、鍵爪で卵を掴みそのまま飛び去ってしまった。四十秒ほどの出来事だったがその全てが鮮やかで現実味を欠いていた。鳥と卵は一対のペアとなって鮮やかな残像を残していった。しばらくの間、私はその残像を眺めていた。
その残像も飛び去ってしまうと、私は自分が卵をうまく処理できたということに気が付いた。今年もなんとかやり遂げたのだ。その瞬間に毎年の恒例として安堵の波がやってきた。しかし今年は吞み込まれもせず、流されもしなかった。今年はついに錨を手に入れたのだ。処理方法を覚え、忘れてしまったときの為にメモも取った。
処理方法を手に入れてから何年か続けるうちに、あることに気が付いた。毎年同じ個体の鳥が回収に来ている。同じ種類の別の個体、という可能性も勿論あるのだが私には同じ個体としか思えなかった。毎年回収に来る度に上手くなっているし安心しているのか休憩時間も伸びた。鳥にとって安心できる場所を提供できているのだと思うと、その度に少し嬉しくなる。
ふと最近思うのだがあの卵はどこに運ばれていってるのだろう。鳥が卵をつくってそれが配達されているということは分かったがその後どうなるのだろう。鳥、鳥たちの巣だろうか。そう考えるのが妥当だろうな。私には鳥たちの巣を想像することができる。海の反対側の崖だ。海にはかつての私の覚悟が溶け込み、今の私の錨が沈んでいる。彼らは知っているのだろうか。その卵にもう命が宿っていないことを。そのことを考えると、私は胸に穴が開いてしまったような気分になる。鳥たちのことを考えると、私の胸には毎年卵一つ分の穴が開いてしまうのだ。
卵 緑龜 @w1839
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