三
「こんな貴重な経験をさせていただけるなんて」
僕は実に素直に感激しているのだ。
だが金剛原さんは、あまりに神妙な言い方をしたせいか笑いだした。
「ごめん、ごめん」
言った拍子か、手元からまた一匹逃げ出した。
すかさず僕はつかまえて、
「『念ずるべし』」
事なきを得た。
「ありがとう」
「魔力がなくてもお役に立てる。嬉しいんですよ」
僕はなぜ、魔力もないのに実技系である魔術訓練大学校の博士課程なのか。
魔力のない人間には二種類ある。魔力に晒されて影響を受ける人間と受けない人間である。前者は魔力に対し無防備であり、危険から距離を置くべきと判断される。後者は魔力に対し耐性がある、魔力を駆使する人間と同じ環境で活動可能と判断される。
僕は魔力がないが魔術に関心がある。そのため将来の就職先としては魔力が問われない祐筆を目指し、魔導文字解読を学ぶために魔術訓練大学校博士課程へ進んだ。今日はこのように逃げた文字をつかまえても影響がない。ありがたいと思っている。
「いやね、魔力があったほうがかえって危ない仕事のひとつとも言えるんだよ、今お願いしている仕事は」
金剛原さんによると、巫術科の教員や学生のうちには、『散』の『呪』に縛られた書物を目の前にすると失神する人があるのだそうだ。
「あてられちゃうんだろうねえ」
「そうですか。触って火傷をする人があるとは聞いていましたが」
あ、またつかまえた。
「『天より降る』」
「頼りになるねえ」
また調子に乗りそうになり、そんなあ、とかなんとか言いながら作業に戻った。もうすぐ退勤時間だ。
「『
「おや。逃げる奴も増えてきたなあ」
クリーニング自体はまずまずの進捗ではないだろうか。金剛原さんが作業室の空気清浄魔法を強化してくれたので快適な作業ができた。魔術は便利だなあ。
「ところで、今日の作業をしてみて、さ」
気が緩みそうになったところで突然大先輩のひとことが飛んできた。
なんでもないことを言われているようで、これは緊張する話の予感がするのだ。
「どう思った? この資料」
「うわあ」
口頭試問の始まりのような空気になった。
「ええと、綴じ糸と帙の紐部分が補修されているということで、
「うんうん。今日はページの綴じ違いなんかを見つけたら付箋を挟む約束だったけど、僕もそれは見つけなかったな。ほかは?」
ほかにも何か気づくべきところがあったのか。なんだろう。
「おっと。『多くはあらず』」
まだ一匹飛び出してきた。
「ありがとう。もう、しまおうか」
全七巻を片付けながら、僕は落ち着かない。
「たとえばさ、」
「はい」
「この『秘帖』って、引っかからない? 僕だけかな。ちょっと時代が新しい言葉なような気がするんだよね、体感的に」
言葉の古さ、新しさへの直感が働くほど、僕は資料や史料に触れていないんだなあと反省させられることを金剛原さんは時々言う。
「新しめなんですか。となると」
『天文方秘帖』を扉付きの書架に収めて、あとは退勤してよいのだけれど、もう少し話していたい流れになって来たぞ。
「金剛原さん的にはこの資料、あやしいと見てらっしゃるんですか」
そもそもの話なのだが、天文方の秘術を記した、と謳う書物は偽書だらけだ。大鷲谷先生もご自身を偽書鑑定家にしてコレクターだと自嘲されていて、先日天文方関連の偽書ばかりを集めた解説付きの目録を出版して好事家の話題になった。偽書には偽書が造られる背景や事情があって、それはそれで価値はあるのだ。
「僕はこうして初めてクリーニングするところから関われた資料なんで、これから読み解いて分析して、どちらなのか明らかになるの、わくわくしていたところなんですよ。もう答えが出そうなんですか」
「だってねえ。そんな秘術全七巻が、きれいにそろって出てきただけで、ちょっと、ねえ」
「はあ」
僕も実はそこが引っかかっていたのだが、言わないほうがいいと思って黙っていたんですが……
「それにここだけの話、この全七巻、二千円だったんだよ」
「二千円ですか……」
金額だけでは判断できないけれど、学食で一番高いランチのような金額を聞かされるとなんとなく脱力してしまう。
「二千円なのに『散』なんか使ってるんですか。しかも封じても出てくるような。偽書なら凝ってますね」
「そこだよ」
金剛原さんが、にやにや笑い始めた。
ところが僕は、続きの話を聞けなくなった。
図書館全体に、出し抜けに警報が響き渡ったのだ。
☆☆☆☆☆
前篇完結。
後篇は年明けに更新します。
早いですがどうぞよいお年を(◍•ᴗ•◍)
ご恵贈 倉沢トモエ @kisaragi_01
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