第8話 従者は聖女に仕える。
聖女の従者となってからは、ほとんどを彼女の側で、従者兼護衛として過ごした。
食事の時も教師から授業を受けるときも、常に聖女の隣に立ち、会話をするでもなく、黙々と仕事をこなした。
だが、流石に聖女が支度をしている時や風呂の時には、側を離れる事ができた——といっても、剣術や体術の鍛錬に当てられてしまうのだが、あまり親しくない人間の隣に長時間立っているよりはずっとましだった。
その時も、いつも通り剣術の鍛錬をしていた。
夕闇に沈んでいく庭園の中、ラモンは一心に剣を振っていた。
一段落して、休憩をしようと植木の側に置いている水筒を取りに寄る。
途端、植木ががさりと動いた。
(——え。)
ラモンは驚いて、咄嗟に植木の裏を覗きこむ。
果たしてそこには、膝を抱えて座る、金色の頭があった。
——聖女である。
「——え、なんで。」
聞くや否や、聖女はばっと顔を上げて叫んだ。
「やっぱばれた!!」
彼女はすっくと立ち上がって逃げ走っていく。
いや。
「いやいやいやいや。」
ラモンは手の届くすんでのところで聖女の腕を掴んだ。
「待ってくださいよ。どこ行くんですか、なんでいるんですか。」
聖女は今頃湯浴みをしているはずだ。
そう思って聞くと、聖女は目を逸らして黙りこくってしまった。二人の間に気まずい沈黙が落ちる。
ラモンが何を言ったものかと考えあぐねていると、しばらくして彼女が口を開いた。
「お風呂が……。」
(——?)
「お風呂が、嫌だったの。」
——いや、子どもか。
ラモンの記憶が正しければ、聖女は今年で十二歳になったはずだ。十歳のラモンでもそんな事は言わないし、孤児院でも一桁代の子どもからしか聞いた事のない文言だった。
ラモンが年上の情けない姿に愕然としていると、彼女は手を突き合わせながら告げた。
「お願い!もう少しここにいさせて。鍛錬の邪魔とか、しないから。」
言葉の語尾が震えたような気がして、ラモンはつい、言ってしまう。
「まあ、邪魔しないなら別にいいですけど。」
すると聖女はぱっと破顔した。
そうしてルシアの前で鍛錬をして数分、もう空は藍色に染まっていて、満月は煌々と輝いている。
ルシアは邪魔しないと言ったもののやはり暇だったのか、ラモンの少し遠くに立って鍛錬の真似をし始めていた。
とはいえそれはお世辞にも「木の枝をぶんぶん振っているだけ」以上には言い難かった。
——というか、最早やけくそである。枝を縦横無尽に振り回して、ラモンの真似をしようという意識はもう見られない。
——少し。ほんの少しだけ苛立ってしまって、ラモンはルシアに近づいていく。そのまま枝を掠め取って目の前に構える。
「見ててください。こう両手で持って、前に構えて——。」
——斜めに突き出す。
滑らかな枝に反射する月光がその軌道に沿って線を描く。枝が風を切り二人の前髪を揺らす。途端、ルシアの顔がぱっと華やいだ。
「すごい!すごい!!どうやってやったの!なんでそんな素早く——。
ねえ、ねえ!もっかいやって!」
ラモンが、ルシアと同じ枝で技を披露した事で実感を持ったのかルシアはしきりに声を上げる。
ラモンは褒められたことに少し気を良くして言う。
「じゃあ、もう一回だけですよ。」
ラモンはもう一度枝を前に構え、先ほどとは変わって斜め下に振り下ろし——その先がカーブを描く時、不意に上げられたルシアの腕に当たりそうになった。「あ。」ラモンは思わず目を瞑る。
ぶつかる、そう思った瞬間、持つ枝の感触に違和感を覚えた。
——恐る恐る目を開けると。
ぶつかりそうになっていた枝の先端はしっかと聖女に握られていた。
「——は。」
ラモンは驚愕に目を見開く。
振り下ろした剣を、しかもあの軌道で、素手で掴むなど、熟練の剣士でも難しい芸当だった。直前に見た枝の扱いからは到底想像できない。
ルシアが剣術を習っていた可能性を考えたがすぐに頭から打ち消す。
彼女は城に来る前もいい所のお嬢様だったそうだし、ましてその剣術は、敵に動きを読まれぬようあえて異国から取り入れた流派だ。習得している訳がない。
そう考えているうちに、ルシアが慌てて枝から手を離す。
「あっ、ごめんなさい!びっくりして!」
その焦りながらも穏やかな動きを見て、ルシアは一生剣を握ることは無いのだと直感で理解した。いくら剣術に目を輝かせても、いくら筋が良くても、彼女の立場がそれを許さないのだとラモンは悟った。
気付くとラモンは口を開いていた。
「そんなに好きなら、教えてあげますよ。見つからないように少しですけど。」
そう言って見たルシアの顔は、出会ってから今までで一番の笑顔だった。
「本当に!?」
「ええ、バレないようにチャンバラごっこになりますけど。」
ルシアは即答する。
「チャンバラごっこ?はわからないけど教えて貰えるなら何でもいいわ!」
「言いましたね?聖女様。」
そう言いながら、ラモンは自分の口角が上がっている事に気づいた。
ずっと、誰かと過ごす時間を求めていたことを、ラモンは思い知らされていた。
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