第5話 死者の蘇生
琴音と鷹秋の同衾に、先に抗議したのは鷹秋の方だった。
「兄さん、勝手なことをしないでくれ。それは……困る」
「なぜ? おまえがずっと身を固めないから、父上にご心労をかけたんじゃないか。嫁ができた途端に別室で寝起きするのでは、父上が卒倒してしまう」
「しかし、まだ正式に婚姻したわけでもないのに……」
「もう口づけぐらい済ましているだろう。いまさらだ」
そういえば、琴音は鷹秋に強引に唇を奪われたのだった。あのときの感触を思い出して、琴音はどきりとする。
あれは契約だと言っていた。なにかの理由があったのだと思う。とはいえ、琴音にとっては初めての口づけだったわけで。
胸の奥が焦げ付くような、複雑な感情が琴音を支配する。
そのときとは一転、鷹秋は琴音との同衾に消極的だ。琴音は自分に興味がないのか、とちょっと微妙な気持ちになる。
だが、冷静に考えれば、鷹秋は琴音を気遣ってくれているのだろう。そこには感謝するべきだ。
琴音はしばらく考えて、手を上げる。
「あのう、わたしは別にこの人と同じ部屋で寝てもいいですけど」
はぁっ!?という顔で鷹秋がこちらを向く。
「何を言っているかわかってる? 男と同じ部屋で寝るというのは……その……つまり……」
「あら、夫婦なら当然のことじゃないの?」
琴音はちょっと楽しくなって、そんなふうに鷹秋をからかう。
義兄となる春広の前では隠しておいた方が良さそうだが、所詮、契約結婚なのだ。鷹秋もこの様子なら、琴音に手を出さないだろう。
それなら、なるべく不安要素を排除しておいた方が良い。鷹秋の父に変な目で見られれば、琴音もこの屋敷にいづらくなる。
(いや、まだここにいると決めたわけじゃないんだけどね……)
琴音の言葉に、春広は何がおかしいのか「はははは」と笑う。
「こいつよりも琴音ちゃんの方が頼りになりそうだ。ああ、俺のことは気軽に春広でもお兄さんでも、好きなように呼んでくれればいい」
「それでは、よろしくお願いしますね、お兄さん」
琴音は言ってから、春広の妻の存在が気になった。弟が結婚していないのを気にしているぐらいだ。
おそらく妻帯者だろうし、そうすれば彼女は義理の姉となる。
だが、琴音が尋ねると、春広は微笑んだ。
「妻は二年前に亡くなったよ」
琴音は息を飲み、それから慌てて「ごめんなさい」と言う。
まずいことを聞いてしまった。これで気を悪くされたらどうしよう。実家の家族なら、機嫌を損ねれば暴力を振るわれかねない。
だが、春広は優しかった。
「わかるはずもないことなんだから、気にしなくていい。むしろ俺から話すべきだった。俺には子供もいないからね、だから鷹秋と琴音ちゃんには期待しているよ」
琴音は一瞬、その言葉の意味がわからず、それからみるみる顔を赤くする。
つまり、鷹秋と琴音に矢内原の後継者を作れ、と言っているわけで。それは鷹秋が琴音を「女にする」ということだ。
鷹秋が渋い顔をする。
「兄さん。琴音をからかうのはやめてくれ」
「おっと、すまないすまない。そんなに怒らないでくれよ。鷹秋の大事な琴音ちゃんを取ったりはしないから」
「そういう兄さんこそ、早く再婚相手を見つけるべきだ」
「あいつより良い妻なんて見つからないさ」
春広はかなりの愛妻家らしい。遠い目を視るような顔をする。
鷹秋も少し困ったような顔をしていた。
「奈津さんだって、兄さんが別の人と幸せになるのを望んでいるじゃないのか」
奈津、というのは亡くなった春広の妻だろう。春広という男は立ち振舞もかっこよく、恵まれた立場にある。そして、優しい性格のようだ。
そんな彼が愛してくれるというのは、きっと幸せなことだったのだろう、と琴音は想像した。もし、琴音にもそんな相手がいれば……。
琴音は鷹秋を見て、それからぶんぶんと首を横に振る。あくまで契約結婚の相手だ。変な期待はしてはいけない。
春広は琴音の仕草を見て、くすりと笑う。
それから、鷹秋の肩をぽんと叩いた。
「奈津だったら、きっとあの世でも俺に『別の女と幸せになるなんて許さない。ずっとあたしのことを見ていてよね!』ぐらいのことは言っているさ。嫉妬深いヤツだったからね」
「義姉さんはそんな人では……」
「そんなヤツさ。俺は知っている」
そして、春広はつぶやいた。
「だが、奈津が本当のところどう思っているか知る方法があるのなら、いや、死者を蘇らせる方法があるのなら、俺は直接尋ねたいね」
<あとがき>
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