第4話 春広

姿を変えたものだとすれば。

 納得のできる話だ。もともと黒川の家は日本最高の神職の家なのだから。


「矢内原の家は闇祓い……つまり邪神を祓う家系だった。今、矢内原財閥の成功も神々の加護のおかげと言って良い」


「で、わたしにその邪神を祓う手伝いをしろ、と?」


「半分は正解だ。財閥は長男が継ぎ、闇祓いの役目は次男である僕が請け負う。それが取り決めだからね」


「残り半分は?」


「僕は民俗学者なんだよ」


「ミンゾクガク……?」


 琴音は怪訝そうな表情を浮かべた。何のことだがわからなかったからだ。

 鷹秋はにやりと笑う。


「英語で言えばfolklore、民間伝承とも言うね。文字に残らない歴史をたどり、それを記録する」


「趣味ってこと?」


「まさか。これは国家と人々を救う大事な学問さ。柳田さんもそう言っている」


 柳田というのが誰なのかは知らないが、なんだか得体のしれないことだと思う。そういえば、この男、東京帝大を出ているのだった。単なる金持ちの次男坊ではなく、一応最高峰のインテリのはず。


「わたしにその手伝いをしろってこと?」


Richtig!そのとおり!


 鷹秋は満面の笑みを浮かべた。


「伝承、怪異、神々……すべてを科学的に解明し、学問にする。それに君の力が必要なわけだ」


「透視能力で有名な少女みたいに利用されるのは、嫌よ」


 ここ数年、透視能力があると世間を騒がせている少女がいる。東京帝大の山川総長までもが調査に乗り出した。

 停滞した帝国では、心霊と超常の力が幅を効かせている。だが、現実主義者の琴音はその大半は眉唾だと思っていた。


「あんなのは、見世物小屋の猿と変わらないわ」


「君を大道芸人かなにかのように扱うつもりはないよ。だって、琴音は僕の妻になるのだからね」


 にこにこと鷹秋は言う。


(わたしが、この人の妻……)


 琴音は心の中で反芻した。

 突然、ぽんぽんと鷹秋が琴音の髪を撫でる。琴音は鷹秋を見上げ、かあっと頬が熱くなるのを感じた。


「な、なにするのよ!」


「嫌だった?」


「嫌ってわけじゃないけど……子供扱いしないでほしいんだけど。というか、貴方っていくつなんだっけ?」


「僕は二十七歳だよ」


 ということは十五の琴音よりも十二歳年上か……。


(わたしよりずっと大人ってことよね)


「まあ、年上だから僕を頼ってよ。とりあえず、じっくり考えてくれていい」


 くしゃくしゃっと鷹秋に琴音は髪を撫で回され、琴音は頬を膨らませる。

 だが、不思議と嫌な気はしなかった。


 猶予は与えられている。実家のように継母や姉妹にいびられることもない。

 ここにいても何も悪いことはないのだ。


(で、でも、まだ信用したわけじゃないんだからね)


 鷹秋という男を本当に信じて良いのか、琴音にはわからない。


「さて、今日はもう夜も遅いから、寝支度をしようか」


 鷹秋の言葉に、琴音ははっとする。夫婦だということは、もしや同室で……同衾させられるのだろうか。

 

「そ、それはさすがにまだ早いというか、わたし、まだ十五歳だし、それに……」


「? 何を言っているの? 琴音には別の部屋を用意するよ」


「へ?」


 勝手に先走って勘違いしたとわかり、琴音は恥ずかしくなる。

 そして、ほっとしたような、ちょっぴりだけ残念なような、複雑な思いに襲われる。


 ところが、そのとき、部屋のふすまが勢いよく開けられた。

 けたたましい音を立て、ずかずかと一人の長身の男が入ってくる。


「おお、これが鷹秋の嫁さんか! ずいぶんと美人じゃないか!」


 大声でがははと笑うその男は、鷹秋と良く似ていた。そして、少しだけ年上なように思える。

 美形なのは同じだが、鷹秋よりも陽の気に満ちているというか、がっしりとした体格だ。


 鷹秋が琴音に対するときと打って変わり、不快感も露わに彼を睨みつけた。


「何の用だ、兄さん」


 なるほど、この人が鷹秋の兄か、と琴音は思う。矢内原財閥の後継者。

 たしか名前は……。


 鷹秋の兄は鷹秋の言葉を無視し、こちらにずかずかと近づいてくる。

 そして、琴音に大きな手を差し出した。


「こいつの兄の春広だ。よろしく頼む」


 琴音はおずおずと差し出された手を握り返した。この人はこの人で鷹秋とは違った雰囲気で、かっこいいのだけれど。


 どちらかといえば、線の細い、繊細そうな鷹秋の方が落ち着くな、と琴音は思う。そして、そんな比較をしたことを自分で驚く。

 鷹秋はなぜか不愉快そうに琴音と春広の握手を見ていた。


 春広はぶんぶんと琴音の手を振り回し、琴音は目を回す。


「いやあ、あの鷹秋がとうとう身を固めるつもりになったとは! 父上も心配していたしなあ」


「兄さん、そういう話じゃないのはわかっているだろう?」


「いやいや、そうだ。俺達を安心させるためじゃない、おまえも番となるべき存在を見つけたということだな」


 番、という露骨な言葉に琴音は赤面する。だが、番、というのは単なる夫婦だということでもなさそうだ。

 そんな雰囲気を感じた。


 春広が琴音の手を放すと、ぽんと手を叩いた。


「鷹秋と琴音ちゃんの寝室はもう用意してある」


「へ?」


 琴音と鷹秋は顔を見合わせた。

 そして、琴音はその意味に気づいて、うろたえる。


 つまり、鷹秋と同じ部屋で寝るのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る