バタバタ


 健一君が小学五年生になる頃、お父さんの仕事の都合で転勤をすることとなりました。

 他県への引っ越しとなり、幼い頃から仲良く遊んでいた友人たちとの別れは、辛く寂しいものでした。しかしもともと好奇心旺盛だったこともあり、新天地が楽しみでもありました。

 そうして新学期が始まる前になんとか引っ越しをしようとしましたが、入居する予定の社宅マンションに現在住んでいる入居者の引っ越しは、仕事の都合により4月下旬頃となっているそうです。そのため一時的に健一君達家族は、仮住まいに身を寄せる形になりました。


 お父さんが紹介をしてもらったその仮住まいは、古い木造の一軒家です。

 古びた木造建築だったため、お母さんは最初難色を示していましたが、立地が良くしかも会社が家賃を全額負担してくれることになり、結局その家への引っ越しが決まりました。

 健一君は引っ越し日が、待ち遠しくて仕方がありませんでした。

 というのも一軒家に住む際には、自分だけの部屋を持っていいと、両親から約束をしてもらえたからです。今まで住んでいたマンションは、部屋数が限られていることもあり、二つ下の弟と一緒に部屋を使わなければなりませんでした。年々自分だけの部屋が欲しいと思っていた健一君は、張り切って荷物をまとめ始めました。


 引っ越し初日、早速荷物を開けて部屋に持って行こうとしましたが、お母さんからすぐにまた引っ越すのだから、荷ほどきは必要最低限にするようにと怒られてしまいました。

 せっかくの自室だというのに、布団とランドセルだけが置かれたなんとも寂しい風景になってしまいました。

 引っ越しで忙しかった一日だったので、少し落ち着いた頃に数冊の漫画を取り出すくらいなら、きっと怒られはしないだろう──…。健一君はそんなことを考えながら、疲れもあって夜更かしすることなく眠りにつきました。 



──バタバタ



 それほど大きな音ではありませんでしたが、聞き慣れない物音で健一君が目を覚ました瞬間、驚愕します。

 真上の天井から、白い靴下とベージュの半ズボンを履いた子供の足が二本、バタバタと走るような動きを見せながら、ぶら下がっていたのです。


 驚きのあまり叫ぼうとしましたが、声は出ず、身体も動きませんでした。

 それどころか、瞬きはできるのに、目を閉じることができません。

 どうすることもできないと悟った健一君は、ただただ呆然と、真上で忙しなく動く足を眺めるしかありません。

 やがて足の動きは弱まり、重力に抗う力も尽きたのか、ただゆらゆらと揺れているだけになりました。 そして、次にまばたきをした瞬間、あの足は消えていたのです。

 妙に生々しく、どこか見覚えのある足だったため、生きた人間が天井から落ちてきたのかと思いました。けれども、天井には穴ひとつ開いておらず、その考えが間違いだったことを思い知らされました。

 夢だったのだろうと一縷の望みを抱きながら、健一君は頭から布団を被り、無理やり再び眠りにつきました。 


 翌朝、すっかり天井からぶら下がっていた足のことなどは忘れて、健一君は新しい学校へと登校しました。

 幸いなことにすぐに何人かと仲良くなれたので、学校生活は問題なさそうです。


 そうして迎えたその日の夜、布団に入り天井を見上げたときになって、ようやく足のことを思い出しました。

 あれは結局夢だったのだろうか、それとも本当に足が天井から生えるようにぶら下がっていたのだろうか。そして今日もあの足を見なくてはいけないのだろうか。そんな考えばかりが脳裏に浮かびます。



──バタバタ



 考えすぎていつの間にか眠ってしまった健一君は、やはりあの音で目が覚めました。

 なんとなくまた見ることになるだろうという予感があったため、昨日ほどの驚きも恐怖も感じません。

 ただ、身体は動かず、声も出せないため、健一君は忙しなく動く足を見つめるしかありませんでした。

 足は、まるでその場で必死に走っているかのようにしばらく動き続けたあと、諦めたようにだらりと伸び、静かに揺れ始めます。

 決まった法則性があるかは分かりませんが、揺れが収まりかけた頃にまばたきをすると、足は消えてしまいます。

 ただ途中で目を覚まされる以外に実害がなかったため、健一君は友人や両親にもそのことを話しませんでした。



 5月初旬。

 引っ越し業者の関係で、予定より少し遅れて健一君家族は社宅へ引っ越しました。

 ようやく片付けも終えて落ち着いた頃、健一君は新しい学校でできた友達を何人か呼び、家で一緒にゲームをして遊ぶこととなりました。


「そういえばケンちゃん、ここに引っ越す前は、どこから学校に通ってたの?」


 ゲームの対戦も落ち着いた頃、お母さんが用意してくれたおやつを食べながら、友人のA君が健一君に尋ねます。


「●●町の××にある家だよ」

「もしかして木造の一軒家?」


 B君が驚きのあまり健一君の言葉を遮るように、少し緊張感のある声で問います。

 実際木造の一軒家だったので、健一君は頷きました。


「えー!」

「お前すげーな!」


 二人が各々好き勝手に反応をします。

 さすがにおかしいと思った健一君は、意を決して質問しました。


「多分みんなが考えてる家だと思うけど…。何かあるの?」


 A君は気まずそうに視線を逸らします。

 B君もしばらく天井を見遣ったあと、やはり健一君とは視線を合わせないようにしながら、いつも元気な彼にしては珍しく小さな声量で教えてくれました。


「あの家、少し前に高校生が、首吊って死んじゃったんだよ…」


 あのバタバタと動く足の意味を、健一君はようやく何だったのかを悟りました。

 ですが、記憶の中のあの足は、もっと小さな子供のものであった気がしてなりません。


「じ、自殺ってこと?なんで……」


 A君とB君は目を合わせます。

 今度はA君が、首を横に振ってから、言いにくそうに口を開きます。


「わかんない。でもあの家で首吊ったの、その子だけじゃない。何人かいるんだ」

「しかも成人してない子供ばっかり」


 B君の言葉に健一君はとうとう青褪めます。


「そんなに…?」


 そんな恐ろしい所に住んでいたとは夢にも思いませんでした。

 お父さんやお母さんはこのことを知っていたのか分かりません。今はもう引っ越してしまったので、聞いても教えてくれないかもとは考えました。

 すっかり黙り込んでしまった健一君を見て、A君は心配そうな声で言葉を続けます。



「みんな死ぬ前に、天井から自分の足が見えるって言ってたらしいけど、健一君は大丈夫?」



 健一君は視線を落としました。

 視線の先には、天井から生えていたよく似た足と最近買ってもらった、ベージュ色の半ズボンが見えます。



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