かくれんぼ
瑠璃子ちゃんは、夏や冬の長期休みに入ると、よく父方の祖父母の家に、家族で遊びに行きました。
お婆ちゃんはとても優しく、よく絵本を読んでくれたり、おにごっこ等をして遊んでくれるうえに、孫の好きなお菓子や料理を作ってくれます。
けれども、お爺ちゃんは寡黙で、あまり遊んでくれないし、会話もほとんどありません。縁側の藤椅子に座って、いつも新聞や分厚い本を読んでいる姿が印象的でした。まれに話しかけてくることがあっても、難しい話や少し意地悪なからかいばかりです。
そのため、瑠璃子ちゃんはお爺ちゃんのことが苦手でした。
小学校一年生の夏休み、その年も祖父母の家に遊びに行きました。
夕飯前、お爺ちゃんが珍しく話しかけてきて、なんと一緒にかくれんぼをして遊んでくれると言うのです。
隠れるのは家の中のみ・時間は15分だけという制限付きで、二人きりのかくれんぼを始めました。
鬼役は瑠璃子ちゃんで、百数え終えたのでお爺ちゃんを探し始めます。
普段住んでいているマンションとは違って、祖父母の一軒家の広さは小さな彼女にとって、まるで迷路のように感じます。途中お母さんに、もう少し静かに探しなさいと叱られながらも、興奮気味に次々と扉や襖を開け放ち、あちこち探し回ります。
けれども、5分経っても、10分経っても見つかりません。
お爺ちゃんは大分小柄ですが大人なので、子供の瑠璃子ちゃんよりも当然大きいです。家の中にはあまり、大人が隠れられるような場所がないはずです。
それなのに、15分という時間を過ぎても、まったく見つけることができませんでした。
瑠璃子ちゃんは仕方がないので、降参の声をあげました。
すると家の奥のほうから声が聞こえました。探し尽くしたはずの和室、祖父母の寝室からです。
「おーい、瑠璃子。こっちだこっち」
急いで和室へ向かうも、やはり姿が見えません。
その部屋には大きな桐箪笥がありますが、さすがに此処にお爺ちゃんは隠れられないだろうと思い、手付かずでした。念のため中を確認しようと近付いたとき、部屋の隅からまた声がしました。
驚いて振り返りますが、視界に入るのは隅の壁に沿うようにかけられた、いくつものお爺ちゃんのジャケットと、合わせるようにぶら下がっている一着のズボンしかありません。
一瞬気のせいかと思いましたが、また同じ方向から声が聞こえました。
ようく見てみると、なんといくつか壁にかかっているジャケットの中に紛れるように立ったままのお爺ちゃんがいました。
瑠璃子ちゃんが驚いて声をあげると、濃いベージュ色のジャケットから、得意げな顔をしたお爺ちゃんが出てきます。よく考えれば、ジャケットをかける場所に、ズボンが一着ぶらさがっていたことがおかしいのです。ジャケットと一緒に背景として佇んでいたお爺ちゃんに驚きつつも、その大胆な隠れかたにただただ驚きました。
暗がりや狭い場所に身を縮めて隠れていたわけでもなく、堂々と身体の一部を出したままかくれんぼをやりきったのです。
「もう一回!もう一回やろう!」
「もう晩御飯だからしまいだ。ほら、ババの手伝いしに行きな」
不満の声をあげても、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、両親ですら笑って夕飯の手伝いを促すばかりで、もう一度かくれんぼをすることはできませんでした。
またいつかお爺ちゃんの気が向いたときに、かくれんぼをしてもらおうと思い直し、瑠璃子ちゃんも渋々ですがようやく諦めました。
そうしてその年の夏休みは終わり、秋が来て冬休みに入ってすぐの頃。
お爺ちゃんが亡くなりました。
原因は心臓発作で、寝室で胸を押さえたままうつ伏せになって倒れていたそうです。
あの夏休み以降、祖父母の家には行っていなかったため、もう一度会ってお話することも、かくれんぼをしてもらうこともできなくなってしまいました。
瑠璃子ちゃんはお母さんに手を引かれながら、その冬初めてのお葬式に参加しました。
そうしてまたいくつかの月日が過ぎ、小学二年生の夏休みが始まったので、例年通りお婆ちゃんの家に遊びに行くこととなりました。お爺ちゃんのお葬式以来の訪問です。
お婆ちゃんは落ち込んだ姿を見せることもなく、変わらず瑠璃子ちゃんに優しく接してくれます。
その日到着してすぐ、両親とお婆ちゃんたち三人は、車で少し遠くへ買い物に出かけました。宿題を片付けたかった瑠璃子ちゃんは、ついて行かずに一人で留守番をすることにしました。
お婆ちゃんの家は、居間と寝室にしかエアコンがありません。風があり比較的涼しい日は、家中の窓を開け風を取り入れて過ごすことがよくあります。周囲の住民も高齢者が多く、静かな環境ということもあり、蝉の鳴き声だけが響いてきます。
両親たちがでかけて一時間ほどが経った頃、晴れていた空が急に曇り、激しい雷鳴とともに、強い雨が降り始めました。
家中の窓を開けていたため、このままでは雨が中に入ると察して、瑠璃子ちゃんは慌てて駆け回りながら窓を閉めていきました。最後に向かったのはお婆ちゃんの寝室です。
寝室の窓は一つしかなく、それを閉めようとしたとき、部屋の隅から声が聞こえました。
「おーい、こっちだこっち」
聞き覚えのある声でした。
咄嗟にその方向へ振り返ると、部屋の隅には以前見たときと同じように、ジャケットがかけられています。
そして一着のズボン――いえ、ズボンを履いた二本の足が、あの日お爺ちゃんが隠れていた場所と同じ位置に、じっと佇んでいました。
足しか見えないというのに、不思議なことにお爺ちゃんの雰囲気にどこか似ている気がします。そう考えると、先程聞き覚えがあると思った声も、お爺ちゃんに似ていたような気さえしてきます。
けれども瑠璃子ちゃんにははっきりと、そこにいる”何か”が、お爺ちゃんではないという確信がありました。
「こっちこっち。こっちにおいでー」
瑠璃子ちゃんが近づきも返事もしないでいると、何度も何度も呼びかけられます。そのうち荒くなった呼吸が聞こえ、いつか行った動物園で嗅いだことがある、鼻を摘まみたくなるような異臭が漂ってきます。
そうこうしているうちにジャケットがゆっくりと動きます。中に居る”何か”が出てこようとしているのだと、瞬時に理解しました。
見てはいけないと分かっているのに、魔法にかかったように身体が硬直し、まったく動かせません。そしていつの間にか涙が溢れており、しゃくり声ばかりで、まともな言葉も出てきません。
なす術もないまま”何か”が完全に姿を現そうとしたとき、近くで雷が落ちました。
その瞬間、瑠璃子ちゃんはようやく身体を動かせるようになりました。部屋の隅から視線を外し、そのまま靴も履かずに家の外に飛び出します。
しかし雷雨のため遠くに行くことはできません。瑠璃子ちゃんは家の庭で、門の近くに植えてある柿の木の下にしゃがみ込み、両親とお婆ちゃんの帰りを待ちました。もうあの家に一人でいたくないからです。
どれくらい時間が過ぎたでしょう。雨もあがり蝉の鳴き声が再び辺りに響き、まとわりつくような暑さに気持ち悪くなってきた頃、ようやく車が帰ってきました。
車から降りた両親とお婆ちゃんは、柿の木の下にいる瑠璃子ちゃんを見つけて驚きました。お父さんが慌てて瑠璃子ちゃんを抱き上げます。
両親達が帰って来てくれたことに安心した彼女は、何故あんなところにいたのかという問いかけに、答える間もなく気絶するように眠りに落ちました。
次に目を覚ましたのは、お婆ちゃんの家ではなく、自宅のお部屋のベッドでした。
ずっと雨に打たれていたせいか、夏だというのに風邪をひいてしまったようです。眠る瑠璃子ちゃんを病院に連れて行き、幸い大事には至らなかったのでお薬をもらい、そのまま自宅へ帰ってきたと、お母さんは瑠璃子ちゃんの看病をしながら説明をしました。
お父さんはお婆ちゃんの様子を見るために、まだお婆ちゃんの家にいるそうです。
お母さんの看病もあり、すっかり熱の下がった瑠璃子ちゃんは、お婆ちゃんの家にもう一度行くかと問われましたが、頑として首を縦には振りませんでした。病み上がりということもあり、お母さんも戻ることを強要することはありません。
瑠璃子ちゃんの変化に気づいていたのか、あの日を境に夏休みの間、お婆ちゃんの家を訪れることは一度もありませんでした。
しかし冬休みにまた、あの家に行かなければならないのかと思うと憂鬱でたまりません。どうにか行かないようにできないかと、ずっと考えていましたが、想像よりも早くその機会は訪れます。
今度は、お婆ちゃんが亡くなったのです。
お留守番のときと違って今回は親戚も大勢集まり、一人になるようなことはありませんし、葬儀場に滞在する時間が長いため、あの家にいなくていいという妙な安心感さえあります。
そんな葬儀の最中、待機室で親戚のおばさんたち数人が隅っこに集まり、ひそひそと内緒話をしていました。おばさんたちは小声だと思っているようですが、正直大きな声に入る部類だったので、嫌でも会話が聞こえてきます。
「去年お爺さんを亡くしたばかりだってのに、大変ねぇ…」
「仲の良いご夫婦だったから、引っ張られちゃったのかしら」
「やぁだ、怖い!この間会ったときは、孫の花嫁姿見るまでは、死ねないわーなんて言って元気そうだったのよ。心臓発作だっけ?」
「そうそう。聞いた話じゃ、部屋の隅で倒れてたんだって」
「掃除でもしてたのかしら?……いやぁねぇ、明日は我が身よ」
「相当苦しかったというか…あれだったみたいよ。だから顔見せしなかったんでしょ?」
「ああ……やっぱり、見せられないってそういうことよね」
「お爺さんが気に入っていたジャケットを握りしめて、苦しみながら死ぬなんて悲惨すぎるわ…」
以降瑠璃子ちゃんは祖父母の家に行くことはなくなりました。お婆ちゃんの葬式が終わり、一年後に祖父母の家が取り壊されることとなってもです。
あの日あの和室に居た”何か”の正体は、今も分かりません。
ただそれ以来、瑠璃子ちゃんは一人でお留守番ができなくなってしまいました。
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