瞬き

森についての反復思考

瞬き

 その日の夜は目が冴えてよく眠れなかった。梅雨終わりで湿気ったベッドシーツの気持ち悪さもあったが、一番は昼に三時間ほど昼寝をしたからだろう。無理に目を瞑ってても寝れない時は寝れない、ということを知っていたからか、そういった時はよく、まあ、あんまり良くないんだが、眠くなるまで何かしらの動画を見る、といった悪しき習慣があった。睡眠用クラシックBGM、どっかしらのアーティストがやってるラジオ、謎に英語字幕がある無断転載のアニメだったり。

 充電ケーブルに繋がったスマホを枕のすぐ横に置いて、動画を聞き流す。高校物理の授業動画だ。生憎俺は根っからの文系で、今年受験する大学も文系だもんで、こういった動画はただの睡眠用BGMに成り下がっている。エネルギーがどうとか、力の向きがどうとか、ひとつの単元が終わったところで、ぽーっと脳みそが寝る体勢に入る。寝るぞ、寝るぞと自覚した瞬間に、スマホがヴヴヴヴヴと音を出して振動した。恐怖心よりも眠気が勝ったからか、イライラしつつも、目を擦りながらスマホに目を向けると、一本の着信だった。

 ヴヴヴヴヴもう三時ヴヴヴヴヴか、こんなヴヴヴヴヴ時間に誰だヴヴヴヴヴ、国際電ヴヴヴヴヴ話ナントカヴヴヴヴヴ詐欺か?ヴヴヴヴヴ拒否るヴヴヴヴヴか?

 なんて、考えても考えてもスマホの振動は止まない。もう何コール目だろう。番号の頭は080だから国際電話ナントカ詐欺ではないか。じゃあ、なんだ。どこで電話番号が漏れた。アダルトサイトじゃあるまいし。スマホはずっと振動している。あまりにも不気味で、無視してやろうかと思ったが、その電話の主が誰だかとっちめてやろうとも思った。何語かも知らない自動音声だったら三秒も経たずに切ってやろう、そうも思いながら、興味本位で応答のボタンを押した。


 電話の先は環境音と、おそらくエアコンらしき何かの音でサー、ザーといった音しか聞こえてこなかった。三十秒くらいして、きっとイタズラ電話か何かの類かと感じ、電話を切ろうとしたら、


 「あ、あー、うわ、やっと繋がったわ、もしもし、ナツメです。覚えてる?小中同じだったさ、覚えてないか。マサ、あー、マサフミくんの電話であってますか?」


 と、聞こえた。

 

 「はい、マサフミですけど、えっと、誰ですか?」


 「ナツメだよ。ナツメ。流石に覚えてないよな。小中同じって言ってもわかんないよな。中学はほとんど行ったようで行ってないと同じようなものだったしな。」


 「あー、あー、ちょ、ちょっと待って、整理させて、」

 

 小中同じで、俺の名前を知っている、男で、"ナツメ"。多分俺をマサと呼んでた。同世代で、長年会ってない人物。

 

 あー、思い出した。声の主は、あのナツメだった。転勤族の親の影響で栃木から引っ越してきて、小三、小四だったかもしれないけど、まあそんくらいの時に転校してきて、同じ公立の中学校に進学したっけ。クラスが別だったのは悲しかったな。えっと、俺が一年二組でアイツが三組で。まあ、別だったけど仲は良かった、はず。


 だけど、中一の秋にナツメは消えた。理由は分からなかった。しばらく来ないなと思ったら、家ごと消えていたらしい。引っ越しか、夜逃げか、神隠しか。そう噂されていた。一時は校内の一大ニュースだったが、秋が終わるにつれ、そういった噂も消えていった。ナツメは忘れ去られたのだ。まるで友人が死んだかのように、俺も酷く、酷く悲しんだ記憶があるが、時間と共に悲しみも薄れ、彼を忘れてしまったことを深く恥じた。


 「ごめんごめん、思い出したよ、久しぶり。会いたかった。」


 「おー、はは、やっとか。本当に忘れ去られてたらもうダメだったよ。」


 今思えば、深夜三時に電話してきた事を疑問に思うべきだったが、もうとっくのとうに目は覚めていたものの頭が回ってなかったからか、それか懐かしさからか、不思議とこの状況を受け入れすぎていた。まず、何を話そうか。今まで何をしていたか、次にあの家の話か、いや、一旦雑談をした方がいいか。てか、誰経由で電話番号を知ったのか。聞きたい事は色々あったけど、とりあえず、「元気?」とだけ、尋ねた。そのまま、元気と返してくれれば安心だったが、彼は全くの逆で、むしろ悩みすら抱えているらしかった。


 「ごめんね、重たい話になると思うんだけどさ。僕ずっと、孤独と暗闇が怖いんだ。それで、最近ね、人形を買ったりさ、あと、黒いものを全て捨てたんだ。それでもまだ怖いんだよ。あのさ、人が人らしく生きるためには、黒、って切っても切り離せなくてさ。」


 ふいに話を切り上げたくなった。

 ただ、もう逃げられなかったのも仕方なかったかもしれない。


 「あの、最近ね、よく寝れなくて、あ、えっと、どっちかっていうと、寝たくないっていうか、えーっと、寝る時って、目を閉じるでしょ。どれだけ黒から逃げようと思っても、目を閉じると、そこは延々と、黒が広がるんだよね。それが怖いの。目を閉じると、もう別の世界にいるっていうか、それと同じ原理で、瞬きすることが怖いの。だからずっと目を開けてるんだけど、目が痛くて、痛くて。そういえば子供の頃ね、夜、目を瞑れば一瞬で朝になると思ってたんだよね。ぱちぱちって目を瞬かせてると、どこかの地点で夜から朝になってるんだよ。その間、自分の身に、何が起きてるかわからない。」


 さっきまで泣きそうな、または何かに怯えてるような声で話していたが、次の瞬間、「何が起きてるかついにわかったんだ。」と嬉々としたような、自慢をするかのような声でまた、話し始めた。


「つまりさ、睡眠って瞬きなの。瞬きをする度に世界は変わってるんだよ。僕ね、実際に1日かけて瞬きをする回数を数えてみたんだ。1万6874回だったんだよ。つまり、僕は1万6874回瞬きをする度に僕は1万6874回死んで、瞬き後の1万6874個ある平行世界で生きてるんだ。瞬きによって殺された過去の1万6874人の自分は孤独と暗闇の間で生き続けるっていうか、実際、孤独と暗闇って互いに作用しあってるじゃない。でね、でね!だからね、つまり、う、瞬きをしなければ僕は僕らしく生きてけるの!う、天才だと思わない!僕が消えたのってう、瞬きの、うっ、せいなんだよ!ね!う、マサ!それだけ伝えたく


 ピロン。

 通話を終了しました。


 4:32。

 太ももの間に両手を挟んで、無理やり手の震えを止める。作動中のエアコンの音、風が窓に当たる音、カーテンが擦れる音、今は全てが忌々しい。


 ナツメは、ナツメでは無くなった。

 アレは、なんだったんだ。


 その夜はもう寝れなかった。瞬きをする度にアイツを思い出して、目を閉じれば閉じるほど寝れなくなる。呪いが移った。アイツが伝播させたんだ。寝れない。寝たくない。そんなわけないのに、あまりにもバカげてるのに、どうしても瞬きがしたくなくて、どうしようもないまま、途中で止まった物理の授業動画を無心で眺めていた。

 もちろん、俺が通話を切った後、ヴヴヴヴヴ、ヴヴヴヴヴ、と、アイツから何度も何度も何度も着信が来ていたため、すぐに着拒にした。

 

 朝五時半になって、シャワー、着替えて、ご飯、歯磨き。親に昨日徹夜しただろ、もう受験生なんだから、と叱られる。ふと、鏡を見ると目のくまが大きく、まるで痣か打撲痕のように、青と紫が混ざりきって出来たような色になっていた。あの電話さえなければ普通の一日だったろう。ちょっと早めに通学路に向かい、途中のコンビニでエナドリを買って、飲みながら電車に乗車する。あとは、いつも通りだろう。ホームルーム、授業、十分の休み時間、それを四回繰り返して、昼休み、授業、ホームルームの順番だ。


 これといった部活動も無く、電車に体を任せたまま、スマホを眺める。夕方の六時頃。いつも通りに帰宅すると、疲れ、あと昨夜のこともあると思うが、嘘のような睡魔に襲われた。ソファの上で制服も、汗と湿気でぐしょぐしょになったシャツすらも着替えずに、倒れるように寝た。いや、むしろ、寝ているかのように倒れていた。

 親もそんな俺を気にかけて、特にそっとしておいてくれたらしい。目覚めたのは深夜0時越えた頃だった。そうなると、もう夜は眠れないだろう。全く、学ばないなあ、俺って。なんて思いながら、おもむろにテレビを付ける。

 ソファから起き上がり、くしゃくしゃになった制服と、汗が乾燥して過度に冷たくなったシャツを脱ぎながら、目を擦りつつ、とある局の深夜ニュース番組を見ていた。


 速報 栃木のアパート内で変死体か 瞼が欠けた状態で発見 他殺の可能性も

 凶器とみられるハサミのようなものがアパート周辺から見つかっており、


 その報せを聞いた瞬間、あの電話はナツメの遺言だったのだ。と、思ってしまった。

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