第14話

 土曜日の午後。

 待ち合わせ場所は、駅ビルのローカフェ。


 そこに、彼女はいた。


 白のワンピースに、落ち着いたベージュのカーディガン。

 すっかり痩せて、頬もこけて、それでも――


 彼女は“彼が愛していたあの子”の面影を残していた。



 彼はぎこちなく彼女の向かいに座る。

 テーブルにはアイスコーヒーが二つ。


 私は見えない席に隠れていた。

 透明の衝立の向こう、観葉植物の陰から、ふたりを“観察”する。



「……元気そうで、よかった」


「……うん。あんたも、相変わらずって感じだね」


 声のトーンは硬い。

 けれど、涙ぐんでいる様子はない。


(泣かないんだ。強いな、やっぱり)



「……あの、急に連絡して、ごめん。話したいことがあって」


「寝取っておいて、“話したいこと”?」


 彼の言葉がかすれる。

 彼女の口元が一瞬だけ、冷たく歪む。


「……ごめん」


「謝らなくていいよ。あたし、別に未練ないし」


「……ほんとに?」


「うん。むしろ感謝してるよ」


 彼が驚いたように顔を上げる。



「どうして?」


「おかげで、気づけたから。

 “愛される”って、信用じゃなくて、管理だったんだなって。

 誰かと付き合うのって、自分の価値を誰かに委ねることなんだって」


「……そんなつもりじゃ」


「でも、結果的にそうだった。

 だから――ほんとに、ありがとう」



 ……それは、笑顔だった。

 でも、ぜんぜん綺麗じゃなかった。


 怒りでも、悲しみでも、悔しさでもなくて――

 ただの、諦めだった。



(ああ、だめだ。これ以上、彼に喋らせちゃ)


 私は立ち上がる。


 ふたりの席に近づく。



「やっほー、お邪魔するね」


 彼も彼女も、顔を上げる。

 彼の表情が凍りつく。

 彼女の目が、すっと細くなった。


「……あなた、誰?」


「“今の彼女”です。彼と、いま一緒に暮らしてる」



 私の言葉に、彼が口を開こうとするが、

 私は先に言葉を放つ。


「この人ね、私のこと、毎晩泣きながら抱くの。

 元カノの名前、絶対に言わないようにしてるのに、無意識に“ごめん”って呟くの。

 可愛いでしょ?」


 彼女の顔が、ほんのわずかに歪んだ。


 でも、やっぱり泣かない。

 泣いてくれない。



(ねえ、泣いてよ。叫んでよ。罵ってよ。

 じゃなきゃ、私が勝ったって、証明できないじゃん)



 「……そう。そっちが“本音”ってわけね。

  だったら、もう何も言うことないよ」


 彼女はゆっくりと立ち上がり、私の顔をまっすぐに見て言った。


「最後に、一つだけ忠告してあげる」


「なに?」


「“壊すこと”に夢中になってるとね――

 いずれ、“自分の中身”が空っぽになるよ」



 彼女はそれだけ言って、去っていった。


 私はその背中を見送って、初めて気づいた。


 心臓が、少しだけ、痛かった。

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