第10話

 「なあ、おまえってさ……なんで、そんな顔できるんだよ」


 彼の声は、ひどく静かだった。

 怒鳴りもしない。責めもしない。

 でも、明らかに何かが壊れた音がした。



 場所は、大学裏の人気(ひとけ)のない駐輪場。

 夕焼けが灰色にくすみはじめた時刻。

 私たちは、互いに顔を向けたまま、言葉を失っていた。


 数日前、私は“彼女”を潰した。

 あの子はSNSを消し、大学にも来なくなった。

 すでに“いない人”として処理されはじめている。


 その事実に、私は快楽と安心を覚えていた。

 でも、目の前の彼は――


 まるで、私が大切にしてきた“歪み”ごと、黙って燃やしてしまいそうだった。



「おまえ以外、何も感じなくなればいいのに」


 彼の目が、私の奥を見ていた。


 「飯食っても味がしねぇし、音楽聞いても何も残らない。

 勉強してても、夢見ても、全部、頭の中でおまえが割り込んでくる」


 私は、嬉しかった。

 でも、同時に、少し怖かった。


「それって……私のこと、好きってこと?」


「好きなんだろうな、たぶん。……でも、たぶん違う」


「え?」


「“壊されるのが気持ちいい”だけだ。おまえといると、何もかもどうでもよくなるから。

 自分がクズになってくのがわかるけど、止めたくない」


 ――ああ。

 この人、ほんとに落ちてる。


 なのに、なのにどうして――

 その目が、あんなに虚ろなんだろう。



「彼女は、俺のこと好きだったよ。優しかったし、支えてくれたし、俺も……好きだった」


「……」


「でも、今はもう、思い出すのも面倒くさい。

 それって、おかしいよな? 普通、引きずるじゃん? 罪悪感とかさ」


「ううん、正常だよ」


「だろ? ……だからこそ怖いんだよ」


 彼は、私の顔をまっすぐに見て、こう言った。


「おまえに触れてる時間だけが、現実みたいでさ。

他の全部が、夢みたいに薄くなるんだよ。

それが、たまんねぇくらい……気持ち悪いんだよ」



 私は、返事ができなかった。


 嬉しいはずなのに。

 勝ったはずなのに。


 その言葉は、“私の勝利”じゃなかった。

 それは、彼自身の崩壊だった。



 それでも私は彼の腕にそっと手を伸ばす。


「私が“現実”でいいんでしょ? なら、それでいいじゃん。ね?」


「……」


「私だけが、あなたの中にいれば、それでいい。

 他の全部、消してあげる」



 その夜、彼は私の部屋に来た。


 服を脱ぐ手は震えていて、

 目はどこか遠くを見ていた。


 でも、私は知ってる。

 これは“執着”だ。私にしか与えられない“毒”。


 彼の身体が、心が、全部私だけで染まっていく。


 それが、何よりも、嬉しい。

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