第8話

 彼は、翌日から私に話しかけなくなった。


 LINEも来ない。視線も向けてこない。

 授業中はまるで私が存在していないかのように振る舞い、

 廊下ですれ違っても、目をそらす。


 ……うん、いい感じ。

 “怖がってる”のがよく伝わる。


 でも、それだけじゃ足りない。

 私のことを、忘れないでいてほしい。

 拒絶しても、嫌っても、心のどこかに“私”を残していてほしい。


 だって――


(あなたはもう、私の“中”に入っちゃったんだから)



 彼女はまだ、彼と付き合ってるらしい。


 でも、前と同じじゃない。

 昼休みに並んでいても、距離がある。

 彼女が何かを言うと、彼は苦しそうに笑う。

 まるで、知らない言語を話す相手と会話しているような、ぎこちなさ。


 ……そのたびに、私の胸の奥で、ぬるい快感が湧き上がる。


(壊れていく音って、意外と静かなんだな)



 放課後。

 私は、彼がバイトに向かうタイミングを見計らって、大学裏の駐輪場で待ち伏せた。


 彼が自転車に乗ろうとしたそのとき、声をかける。


「ねえ、ちょっとだけ話、しよ」


 彼はびくりと肩を震わせて、でも何も言わなかった。


「五分だけでいいから」


 逃げるのかと思った。

 でも、彼は小さく頷いた。

 そのまま、私の前に立つ。



「……もう、やめてくれよ」


 第一声は、それだった。


「なにを?」


「全部。もう……彼女が、信じられなくなってる」


「それって、私のせい?」


「おまえしかいないだろ……」


「そうだね。でも、“見た”っていうのは本当だよ?」


「は?」


「だって、ホテルの前で、私とあなたはキスしてたじゃん」


 言葉を切ったあと、私は彼の顔を見た。


「私ね。あなたのキス、忘れられないの」


「……っ」


 彼が息を呑む音が聞こえた。


「……俺には、彼女がいるんだ」


「うん。でもさ、彼女と話してるときのあなたと、

 私といるときのあなた、どっちが“本物”なの?」


「それは……」


「嘘つかないで」


 私は一歩踏み出して、彼の胸に指を置く。


「嘘、つかないで」



 しばらくの沈黙のあと、彼はうつむいた。


 でも、逃げようとはしなかった。


 そのまま、私の指先を振り払わずにいた。


(ふふ、もう逃げられないよ)



 その夜。

 彼女のSNSは、唐突に“非公開”になった。


 投稿も全削除。フォローもフォロワーもゼロ。


 誰が見ても、“何かが起きた”のがわかる。


 だけど、私だけは知ってる。

 その原因が、他でもない“私”であることを。


 彼女の居場所は、これからどんどん狭まっていく。

 彼の心も、私に侵食されていく。



 愛されたいわけじゃない。

 ただ、壊したいだけじゃない。


 私は――


あなたの“すべて”になりたいだけなの。

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