第7話



 日曜日の午後、彼からの連絡は来なかった。

 昨日、あれだけ身体を重ねたのに。名前まで呼んで、何度も絶頂してくれたのに。


 画面に表示される「未読」のままのトークルームを、私はひとつ指でなぞる。

 無言のまま放置するってことは、きっと彼女と一緒なんだろう。


(……まだ“彼女の彼氏”でいるつもりなんだ)


 失笑がこぼれる。

 いや、嘲笑に近いかもしれない。


 なら、こっちも“動く”番だ。



 私はスマホを開いた。

 彼のSNSのフォロー欄から、彼女のアカウントを探す。

 そこに載っていたのは、よくあるリア垢と繋がった、鍵もかかっていない“裏垢”だった。


 プロフィール欄に記された電話番号。

 “推し活用”として開設していたサブ端末の番号らしい。


 私は、非通知設定に切り替えたまま、ショートメッセージを入力する。


「彼氏さん、最近夜遅くに他の女の子と会ってますよ。

 こないだも、ホテル街の前で二人きりでいるの見ました。

 黙ってるのは可哀想だと思って」


 送信。

 わずか1秒の躊躇もなかった。



 次の日。月曜日。昼休み。


 彼と彼女が、いつもの場所――中庭のベンチに並んでいた。

 でも、雰囲気は違っていた。明らかに。


 彼女はうつむきがちで、言葉も少ない。

 一方の彼は、気まずそうに目を逸らして、必死にフォローしようとしていた。

 でも、誤魔化せてない。手つきも、口調も、笑顔も。


(ああ、いい顔)


 私は少し離れたベンチから、カフェラテ片手にその様子を眺めていた。

 彼女の瞳が彼に問いかけるたび、彼の嘘が積み重なるたび、

 私の中にひたひたと、悦びが溜まっていく。



 午後の講義では、彼は私の隣には来なかった。

 ひとつ後ろの席。距離を置くように座る。


 気づかないふりをして、私は前を向いて講義を受ける。

 でも、耳だけは後ろに向けている。

 彼の筆の音、椅子のきしみ、落ち着きのない気配。


(怯えてる。揺れてる。最高)



 その日の夜。大学の最寄り駅。

 駅前の喫煙所の隅で、彼が私を待っていた。


 目の下には隈。

 どこか疲れたような表情。


「……おまえ、なにかした?」


「何かって?」


 私は、わざと少し笑ってみせた。

 目だけが、何も笑っていないことに、彼は気づかない。


「彼女……昨日からずっと様子がおかしい。

 “他の女といるの見た”って、誰かにメッセージ送られたって……」


「そっか。かわいそうに」


「……おまえだろ?」


「証拠あるの?」


 問いに問いを重ねる。

 あくまで冷静に、感情は交えずに。


「……あのさ、何がしたいんだよ」


 彼の声に、ほんの僅かに苛立ちが混じっていた。


 私は一歩近づき、耳元にささやく。


「私はただ、“正しい場所”にあなたを戻してるだけ」


「俺は……間違ったことをしたと思ってる」


「ううん、違うよ。あなたが間違ったのは、彼女のもとに戻ろうとしたこと」


 私は、彼の頬にそっと触れる。

 かつて彼女がしていたように。

 だけどもう、それは“私の手”でしかありえない。


「彼女には、あなたを守れない。

 あなたの“全部”を知ってるのは、私だけだよ」


 彼の瞳が、恐怖とも、戸惑いともつかない色に染まっていく。


(もっと怖がっていいよ。怯えて、逃げて、でも……絶対に離れられない)

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