第3話

 加瀬ひよりの誕生日は、9月の終わり。

 彼女のInstagramには、部屋いっぱいのバルーンとケーキ、

 「最高の誕生日でした♡」ってコメントとともに、豪華なサプライズの写真が並んでた。


 でも――そこに悠真はいなかった。


 「……ひよりの友達が、企画したんだって。俺は……呼ばれなかった」


 そう言って、悠真は笑った。

 でもそれは、もう笑顔じゃなかった。


 「誕生日当日、一緒にいると思ってたんだ。去年までは、そうだったから」

 「でも今年は……前日に“ごめん、予定入っちゃった”って言われてさ」


 薄暗い学生会館のベンチ。閉館間際の空間で、彼はただぽつりぽつりと言葉を落とす。

 誰にも言えなかったことを、静かに吐き出すみたいに。


 「……もしかして、飽きられたのかな」


 私は黙って、隣に座っていた。

 その沈黙が、彼を責めないということを、ちゃんと伝えるために。


 「変わらないねって、よく言われる。悪気ないのは分かってるけど……俺、自分のままでいたら、愛されなくなるのかなって」


 それを聞いて、私は初めて、彼に触れた。

 震える指先を、そっと、包み込むように。


 「悠真くんのままで、いいんだよ」


 その瞬間、彼は何かが切れたように、俯いて肩を震わせた。

 泣いてはいない。でも、泣けないだけだった。


 だから私が代わりに、抱きしめてあげた。

 誰にも言えない弱さを、隠していた場所ごと。


   ◇


 「ごめん、俺、今……すごく、情けないよね」


 「ううん。……ずっと、こうしてあげたかった」


 誰かに優しくされることを、彼は長い間、拒んできたんだと思う。

 “いい彼氏”でいようとして、“いい人間”であろうとして、

 本当は誰かに縋りたかったのに、その感情を捨ててきた。


 私はそれを拾って、手のひらに乗せるだけ。


 「ねえ、悠真くん」


 「……なに?」


 「“寂しい”って、言っていいんだよ。

  “苦しい”って、言ってもいいの。……それが、弱さじゃないって、知ってる?」


 悠真は答えなかった。

 でも、抱きしめ返してくれた。

 熱を帯びた胸が、私の身体に重なって、

 そのまま少し、距離が近づいて――


 ……唇が、かすかに触れた。


   ◇


 それはほんの、数秒の出来事だった。

 でも、確かに境界を越えた一瞬だった。


 「……ごめん」


 「謝らないで。……嬉しかったから」


 罪悪感。優しさ。戸惑い。

 全部わかってる。

 でも、それでも私は、彼の胸に額を当てて、静かに笑った。


 「ねえ、悠真くん。……もし今日が、私の誕生日だったら、キスしてくれた?」


 その言葉に、彼は一度目を伏せて――

 でも、もう一度だけ、私を見て。


 「……多分、同じことをしたと思う」


 その答えが、私を勝たせた。

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