巡礼者たちの群れ(2)
翌朝、宿を出ると町全体が霧に包まれていた。なんとも幻想的な光景だ……などとはまったく思わず、まさか一昨日みたいに昼から雨になるんじゃないだろうな、と戦々恐々とする。先週、メセタを歩いていた日には、果てしなく続く青空をうんざりした気分で見上げていたのに、今はあの晴天が恋しい。
朝8時というのは多くの巡礼者が歩き始める時間らしく、カフェを出たら通勤ラッシュみたいになっていた。後ろを振り返ってみると、前方にいるのと同じくらいの数の巡礼者が続いていて、僕はちょうど列の真ん中にいる。でもきっと、実際にはどこにいても、自分がやっぱり行列の真ん中を歩いているように錯覚するんだろう。
目の前の川から湯気みたいに霧が立ち上っている。この霧、全部が川から発生しているんだとしたらすごい! 一体いつから霧を吐き出しているんだろう?
昨日と同じような長い橋を渡ってポルトマリンの町を出る。霧で視界が悪いおかげで、今日は橋の上でも恐怖を感じない。思いがけない霧の効用だ。
橋を渡ると、カミーノは松やブナの木々に囲まれた林道へと続いていく。登り始めはみんな元気いっぱいだけれども、時間が経つにつれてペースが落ち始める人が増えてくる。そのせいで、列が先頭集団といくつかの後続集団に分かれ始める。僕は後続集団をどんどんと追い抜いて先頭集団に躍り出た(と言っても、もっと先には別の集団があるはずだけど)。僕には経験が無いけれど、マラソンもきっとこんな感じなのかもしれない。
1時間ほど歩いているうちに霧が少し晴れてきた。霧の合間から青空が覗き始めた。良かった! 今日は雨に打たれることもなさそうだ。朝は気温14度で少し肌寒いくらいだったけれど、ずっと土道や砂利道の登り坂を歩いているせいで暑くなってきた。リュックを下ろしてパーカーを脱ぐ。そのパーカーをバックパックに括り付けていると、スペイン人の青年に声をかけられた。
「どこから来たの?」
「日本から」
もし、この後にアニョハセヨとか言われたらどうしようと思っていたら、意外にも「コンニチハ」という日本語が返ってきた。
青年の名前はマルティン。大学の仲間と5人でカミーノを歩いているのだという。マルティンは日本語のフレーズや単語を色々と知っているのだが、どれも日本のアニメを観て覚えたそうで、「無駄無駄無駄無駄!」などと学習成果を披露してくれた。マルティン、それ、いつ使うつもりなんだ?
スペインで放送される外国映画は吹き替えが多い。だから、てっきり日本のアニメも吹き替えで放送されていると思い込んでいたけれど、実際には字幕の方が多いそうだ。それで、アニメの中のセリフを覚えるわけだ。
しばらく一緒に歩いてカフェで休憩、日本やスペインの話題で盛り上がる。
「スペインで一番おすすめの旅行先は?」というテーマで、全員の意見が割れたのが面白い。5人が5人とも、自分の出身地を挙げるけれども、たぶん日本ではこうならない気がする。生まれ故郷と関係なしに、東京、京都、大阪、北海道、などと答えそう。
話題が好きなスペイン料理に移った。
僕が「パエリアが好きなんだよね」と言うと、「あれはバレンシア料理だから」と冷ややかな反応が……。そうだ、以前も同じ失敗をやらかしたんだった。
中にひとり、チュロス推しの女の子がいたけれど、そう答えた瞬間、ほかの4人から一斉にツッコミが入った。
「いや、それスペイン料理じゃないから!」
全員で大笑いする。
結局、「クロケッタ」と「カチョポ」が良いという結論に落ち着いた。クロケッタはスペインのコロッケで、僕も何回か食べたことがある。カチョポは初耳だったけれど、牛肉とハムとチーズの揚げ物でスペイン版のカツレツといった食べ物らしい。見かけたらぜひ試してみることにしよう。
お喋りに夢中になりすぎて、つい休憩が長引いてしまった。次の町で宿泊するというマルティンたちに別れを告げて、ここからはシフトを早歩きモードに切り替える。登り坂を進んだと思えば、すぐに下り坂、それがまた登り坂に変わる。アップダウンの繰り返しは決して楽ではないけれど、高い場所から遠くを見渡せるのは気持ちがいい。
不思議なことに、どこから眺める景色も、これまでにカミーノのどこかで見たという既視感がある。サリアからこっち、ポルトマリンを別にすれば、これまでの総集編を歩いているような気分になる。
パラス・デ・レイの町では、適当に入ったバルで一杯やっているうちに飯時を逃してしまった。夕飯までの時間を潰すために、しばらく町をぶらつくことにした。バルやカフェではワイワイと賑やかに楽しんでいる巡礼者の姿が目立つけれど、もちろん地元の人も多い。広場の一角でヨガをやっている若者もいれば、カフェのテラス席でトランプに興じるおじさんたちもいる。
少し興味を引かれてゲームの様子を観察することにした。
日本のトランプのスート(柄)はスペード、ハート、ダイヤ、クローバーの4つだけど、スペインではそれが、硬貨、コップ、剣、棒にそれぞれ変わる。そして、日本と違って各スートは10枚ずつしかない。
おじさんたちはそのカードを使い、僕にはルールが分からないゲームを4人でプレイしていた。四角いテーブルの真ん中に緑色のフェルトのマットを敷いているのがちょっと麻雀っぽい。手札を順番に1枚ずつ捨てていき、最も強いカードを出したプレイヤーが場のカードを総取りする。
15分ほどゲームを眺めていたけれど、強さの基準は結局よく分からなかった。そもそも見慣れない柄のカードは、数字すら一目で把握できないのだ。そのうち飽きてきてしまい、僕はテーブルを離れた。
空腹に耐えながら町を歩き回っているうちに、ようやくいくつかのレストランが店を開け始めた。行ったり来たりしながら目星をつけていた店の前に戻ると、入り口の看板には19時オープンとある。テラス席で欠伸をしている店員をつかまえ、
「今の時間、夕飯食べられますか?」
もう19時を回っているので訊くまでもないのだけど、念のためそう尋ねると、
「さあ、どうかな。厨房が開いていれば食べられるけど」
うーん、スペイン時間、まったく当てにならず。
いったん店の奥に消えた店員からオーケーをもらい、無事にテーブルにつけた。僕が注文したのはシーフードのパエリア。マルティンたちなら「これは本物のパエリアじゃないから!」と言いそうだ。でも、とにかくこれが僕の好物なのだ。運ばれてきたのは、エビ、牡蠣、アサリ、ムール貝の豪華なパエリアで、隠し味に醤油が効いているように感じたのは気のせいなのかどうか。
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