巡礼者たちの群れ(1)
目の前の光景に思わず唖然とした。いったいなんなんだ、これ?
顔をどっちに向けても巡礼者だらけ。見える範囲だけで100人以上はいるんじゃないか。町中にあふれんばかりの巡礼者たちがゾロゾロと歩いている。
サンティアゴ巡礼において、サリアは特別な意味を持つ町だ。徒歩での巡礼を成し遂げるためには少なくとも100キロを歩かなければならないが、サンティアゴから見てこの条件を満たす最大の町がサリアなのだ。だからここから歩き始める巡礼者は多い。そんな話はこれまでに何度も聞いたけれど、まさかこれほどとは思わなかった。
サリアの中心地は小高い丘の上にあり、そこへ続く急な坂道や階段が町のあちこちにある。この坂と階段の入り組み方が、どことなくポルトガルのリスボンに似ている。ただし、サリアの町なかはトラムが走っているわけではない。
坂道を上り、町を抜ける頃には、巡礼者たちが林の中を通る一本道のカミーノに合流し、自然と長い行列ができていた。僕も巡礼行列の一員になってしまった。
カミーノの道沿いで、露天商がキーホルダーやワッペン、赤いひも付きの白い帆立貝を広げていた。驚いたことに、その前に行列ができている。列をなす巡礼者たちのお目当ては露天商の男性が用意した巡礼スタンプだ。
僕がサン・ジャンで手に入れた巡礼手帳にはスタンプ欄が104マスある。毎日、バルやレストラン、アルベルゲなどでスタンプを押してもらい、残りはあと19マス。これがサリアから歩き始めた場合、サンティアゴまでは4、5日の行程だから、普通にスタンプを押していくだけだと20にも満たない。だから、彼らには積極的にスタンプを集める誘因があるのだ。
露天商の方にもスタンプを置くメリットは大きい。スタンプを客寄せにすることで、土産物を手に取ってもらえることはもちろん、スタンプ台の隅にさりげなく置かれた「寄付箱」に、巡礼者たちが小銭をけっこう入れていくのだ。
歩き進めると、やはり林の中の道端で、民族衣装を身にまとった旅芸人風のカップルが音楽を奏でていた。横に立てかけられた看板には手書きの「スタンプあります」。そして、彼らの前には、例によって寄付箱がデンと置かれている。ちらりと中をのぞくと、コインの山に混じって数枚の5ユーロ紙幣の姿さえ見える。似たような光景はこの後も繰り返し目にすることになる。
やっぱり、集まる人間が増えると色んな商売(と言っていいのか分からないけど)が成り立つものなんだなあ、と妙に感心した。サリア以前とは道が変わった、という気がする。
カフェに人があふれるのも新しい光景だ。巡礼路沿いのカフェで、店内もテラス席も満席などというのは、大都市を別にすれば見たことがない。そして、テラス席では真っ昼間からビールを空けて、空瓶が何本もテーブルの上に並んでいる。今までとはちょっと空気感が違う。
「お客様以外のトイレの利用はご遠慮ください」という張り紙はよく目にしたけれど、店員が実際に巡礼を追い出している場面を目撃した時は、思わず苦笑いしてしまった。
最初のうちこそ、今までとまったく違うカミーノの光景を面白がったりもしたけれど、否応なしに目につく巡礼者たちの群れに囲まれながら、僕はだんだんとふてくされた気分になってきた。
サリアを過ぎてから誰にも「ブエン・カミーノ!」と声をかけられなくなった。僕から挨拶すれば相手にびっくりしたような顔をされる。その後ぎこちなく返してくれれば良い方で、完全に無視されることさえある。
もちろん、あまりにも人の数が多いので、誰彼構わず声をかけるわけにはいかない。そんなことをすれば、「やあ! やあ! やあ! やあ!」と、歩きながらひたすら挨拶マシンと化してしまう。そんなことは理解しているけれど、それでもささやかな交流が消えてしまったことが僕には残念だった。たくさんの巡礼者に囲まれながら、かえって孤独感を募らせるとはなんとも皮肉なものだ。
サリアから歩き始めた巡礼者は一目でそれと分かる。3、4人かそれ以上のグループで、みんな例外なく軽装。まるでハイキングかピクニックにでも来たかのような雰囲気を放っている。そんな巡礼者たちの姿を見ていると、ちょっとモヤモヤした気持ちになる。そんな気楽に、最後の100キロを歩いただけで巡礼達成? 冗談じゃない。こっちは3週間以上も前から700キロ近く歩いているんだ!
カミーノは誰にでも開かれた道だ。巡礼のスタイルは人それぞれでいいはずだし、そもそも宗教色の薄れたカミーノはレジャーのひとつ。実際、僕だってスタンプラリー感覚で歩いている。だから身勝手な言い分なのは百も承知だけど、どうしても喉に引っかかるものがある。数日前に見た道標に書かれていた落書きを思い出した。曰く、「イエスはサリアから歩き始めたわけじゃない」。
今日は休憩を取る気に全然ならなくて、ほとんど歩き詰めだ。ウルトレイヤ。ひたすら先に進みたくなる。
* * *
遠くに白い町が見えてきた。あれがポルトマリン? 歩き始めて5時間、ずいぶんと早足で歩いてきたことになる。
たぶん、「ポルトマリン」はガリシア語だ。スペイン語だったら「プエルタ・マリーナ」。直訳すれば「海の港」だけど、実際にはポルトマリンは海ではなくてミニョ川のほとりにある。
そのミニョ川が目の前に迫ってくると、圧倒的な大きさに息を飲んだ。カミーノを歩き始めて以来、こんなに大きな川を目にするのは初めてだ。この地に住む人たちが海の港と名付けた理由がよく分かる。ミニョ川を眺めながら、さっきまでのモヤモヤした気持ちがだんだんと晴れてきた。
町の手前には長い橋が架かっている。高い所が苦手な僕にとって、この橋を渡るのは恐怖でしかない。広い二車線の側道が歩行者用通路になっていて、周りはみんなキャッキャとはしゃぎながら身を乗り出すように写真を撮っている。でも、僕としてはできるだけ欄干には近寄りたくない。ミニョ川から広がる美しい風景を横目でチラッとだけ見て、あとは前方に意識を集中させる。
30キロ近く歩いてきたはずなのに、不思議と疲れをまったく感じない。まだまだ余裕で歩けそうだけど、今日はすでにこの町で宿を取ってしまった。
町の中心地にあるサンニコラス教会で夜7時からミサがあるという。せっかくなので、参加してみることにした。
僕はクリスチャンじゃないけれど、基本的にはミサに参加しても問題はないだろう。派手な装飾などない、白い石造りのシンプルな教会に足を踏み入れると、中にはすでに多くの人が集まっていた。となりの男性が「人が多いなあ」と呟いていた。
緑のローブを着た神父が祭壇に登場すると、会衆が一斉に立ち上がった。裁判所の傍聴風景を思い出す。説法はスペイン語なので、僕にはまったくちんぷんかんぷんだ。でも、たぶん聖書の一節を引きながら僕らにキリスト教の教えを語っているのだろう。
説法の合間にみんなで短いフレーズを復唱したり、「アーメン」と口にしたりする。ハレルヤとか別の聖歌をいくつか歌い、神父が「汝の隣人を愛しなさい」とかなんとか言ってから、周りの人たちと握手を交わした。最後は列に並び、神父から味のしない小さな丸い菓子をもらう。口で受ける人も手で受ける人もいる。僕は口に入れてもらった。これは、「キリストの肉を象徴するもの」なのだと後から知った。
ミサが終わり、若い男性が教会の入り口に座ってスタンプ台をセットすると、参加者が巡礼手帳を片手に列を作り始めた。なんだ、ほとんどみんな巡礼者だったんだ。今日の午前中に抱いていたモヤモヤとした感じはもうすっかり消えていた。どこから歩き始めようと巡礼は巡礼だ。僕も列に加わり、サン・ジャンと日本から持参した2冊の巡礼手帳にスタンプを押してもらった。
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