廃墟の町、ピザの町(5)
道端にカスティーリャ・イ・レオン州の設置した道標が立っていて、いつもどおり、「カスティーリャ」の部分がスプレーで塗りつぶされている。その上の方、「キリストはキングだ」という誰かの落書きがあり、「キング」に斜線が引いてある。そして、その横に「クッキー大好き!」。なんかこう、落書きの無節操ぶりに思わず笑ってしまう。
いくつかの小さな町を経由しながら歩き続けて、ポンフェラーダに着いたのは午後3時ちょっと前。昨日よりも距離は長かったはずなのに、かかった時間はむしろ短い。でも、それは決して歩きやすかったという意味じゃない。というより、町に着いた瞬間、自分でも意外なほどぐったりとしていた。ひたすら下り坂が続いたせいで、完全に膝にきている。これが平地だったら、8時間歩いてもまだ余力があったはずなのに。
ポンフェラーダでは、17世紀から続く、「ランブリオン・チュパカンディレス」という宗教行列が有名だ。黒いローブに身を包んだキリスト教の同胞団の団員たちが鐘を鳴らしながら町を練り歩き、聖週間(イースター前週)の訪れを告げる。同胞団員の銅像が目抜き通りに立っているのだが、これが三角錐のとんがり帽子と目出しマスクという異様ないで立ちなのだ。僕は一目見て、KKK(クー・クラックス・クラン)かと勘違いした。
ひょっとすると、この同胞団が、『星の巡礼』に出てくる秘密組織「RAM」のモデルになったんじゃないか?
物語の主人公パウロは、RAMの一員として秘密の儀式に参加し、精神的な試練を受ける。その舞台がまさにポンフェラーダだ。物語のクライマックスは、パウロが指導者ペトロに導かれ、城の近くで儀式に臨む場面。そのポンフェラーダ城が僕の目の前で存在感を示している。すると、あの儀式が行われたのは、僕が今まさに立っているこの場所かもしれない。儀式の後、パウロが城の奥へ向かうという描写はなかったけれど、僕はあの城門の向こうを見てみたくなった。
全くの偶然だけど、水曜日の今日は町なかの博物館だけじゃなく、ポンフェラーダ城の入場料も無料らしい。このチャンスを逃す手はない。
まあ、みんな考えることは同じのようで、たくさんの家族連れが無料デーを狙って門の前に集まっていた。通常料金は6ユーロ。浮いたお金で、バルでビールが2杯飲める!
門を入ってすぐ右手にあるチケット売り場で「どこから来ましたか?」と尋ねられた。僕は「日本から」と答えたけれど、まわりのスペイン人は住んでいる県を答えている。城壁のすぐ内側に、順路を示す黄色い矢印が描かれていた。誘導係の女性に「カミーノと同じですね!」と言うと、笑いながら「そうね」と答えてくれた。
ヨーロッパの城を訪れるたびに思うのは、その圧倒的な堅牢さだ。石造りの壁は時を超えてそびえ立ち、まるで歴史そのものが具現化したように感じられる。ポンフェラーダ城は12世紀に建てられたというから、今から800年も前の代物だ。それにしても、まともな建築機械もなかった時代に、よくもまあこんなものを造り上げたものだと感心する。石ひとつ運ぶのも途方もない労力だったはず。領主たちの権力は、現代のどんな独裁者よりも強大だったのではないだろうか。
順路に沿って進んでいくと、城壁の上に続く通路や塔の小部屋を巡ることができる。見晴らしのいい場所に立つと、眼下には古い町並みが広がり、遠くには青い空を背にした丘陵が続いている……のだが、高所恐怖症の僕はあえてピントをずらし、景色を直視しないようにする。日本と違い、本気で落下防止を狙うような柵は設置されていないのだ。
城壁の内側に降りると、中庭と呼ぶには広い空間があった。地面の上にはプラスチック製の簡易椅子がずらりと並び、奥には舞台らしきものが設置されている。音響装置まで用意されているところを見ると、ここではコンサートが開かれることもあるのだろう。
中庭の奥に進むと、城の内部が展示コーナーになっていた。ポンフェラーダの当時の暮らしを伝える品物やパネルが並んでいる。一応、どれもさっと目を向けてはいたけれど、正直、この頃には暑くてそれどころじゃなくなっていた。
太陽がじりじりと照りつけ、風もほとんど吹かない。城の見学の大部分は屋外、つまり城壁の上や中庭の移動がほとんどなので、日中の強烈な日差しの下ではなかなかにツライものがある。冷えたビールの一杯でもあればと思いながら、それでもなんとか見学を続け、気がつけば滞在時間は60分ほどになっていた。
ふと、日本のことを考える。日本でも美術館や博物館に入館無料デーを設けたらどうだろう? とにかくたくさんの人たちに足を運んでもらうことだ。せっかくの文化財に閑古鳥を鳴かせたままにしておくのはもったいない。そんなことを考えながら、僕はビールを求めてバルに足を向けた。
* * *
翌朝、目を覚ました瞬間から、太ももや足首、肩回りに筋肉痛があった。昨日の山下りで普段使わない筋肉を酷使したせいだろう。それにしてもタイミングが悪い。今日は33キロの長丁場なのに。
ポンフェラーダを出て、しばらく小さな町を歩いていると、道端のベンチに腰掛けたおばあちゃんと目が合った。背筋をピンと伸ばし、膝の上にビニール袋を抱えている。僕が「ブエン・カミーノ」と挨拶するよりも早く、おばあちゃんは袋の中から真っ赤なトマトをひとつ取り出した。
「ほら、持っていきなさい」
少し不格好な、カボチャみたいに横長のトマトだ。家庭菜園で採れたものだろう。お遍路で四国を歩いていた時は、こんな風にしてよくミカンをもらった。
「ありがとうございます!」
僕が受け取ると、おばあちゃんはニコニコしながら、「そこに水道があるから。お水を汲んでいきなさいね」と指差した。本当に、四国遍路のお接待みたいで気持ちが和む。道端に立ち止まり、さっそくトマトにかぶりつくと、果汁が口いっぱいに広がった。喉が渇いていたので本当にありがたかった。
立ち止まっていたのはほんのわずかな時間だったのに、再び歩き出した途端、筋肉痛が戻ってきた。太ももの、膝から10センチほど上のあたりが左右ともにズキズキと痛む。歩みを進めながら意識を向けると、お尻の上部、腰に近いあたりにも鈍い痛みを感じた。こんなところの筋肉まで使って歩いていたのかと、自分で驚いてしまった。
そして、もうひとつ学んだことは、登り坂と下り坂、それに平地で使う筋肉がそれぞれ違うということ。平坦な道を歩いていて、傾斜がわずかについた瞬間、まるでスイッチが切り替わるように、痛みの場所がスッと移動する。
筋肉痛が気にならなくなった頃、教会の入り口から「スタンプ、いかが?」と声が飛んできた。こういう「呼び込み」は珍しい。これも何かの縁かと思って教会に立ち寄った。
巡礼手帳に押してもらうスタンプはもちろん無料。でも、スタンプ台の横に置かれた皿には小銭がそれなりに積まれている。目の前でそれを見せられると、僕も何がしかの心付けをしておかないとマズイよなあ、という気持ちになる。
僕がスタンプを押してもらっている間も、おばさんは道行く巡礼者たちに声をかけていたけれど、「要らない」とぶっきらぼうに言い放つ巡礼者もいれば、「スタンプ、タダなの?」と聞き返す巡礼者もいる。どうやら、無言の圧力を感じているのは日本人の僕だけではないようだ。
僕の場合、お金を払う(寄付する)こと自体は全然構わないのだが、自分で金額を決めなければならないという点に決まりの悪さを覚える。チップも同じだけど、相場を知りたいのだ。さあ、ここはいくらにするべきか。ポケットから小銭を全部取り出し、1ユーロの半分、黄色の50センティモ硬貨を皿の上にそっと置いた。
「巡礼手帳はいかが? スタンプを押すためのスペースは足りる?」
おばさんがにこやかにそう尋ねる。ちょうど昨日で巡礼手帳の片面がスタンプで埋まり、まだ裏面が丸ごと残っている。あと10日ほどでサンティアゴに到着する予定なので、巡礼手帳のスタンプ欄が足りないということはない。でも、テーブルの上に輪ゴムで束ねてある巡礼手帳の表紙を見ているうちに、買ってもいいかという気になってきた。
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