廃墟の町、ピザの町(6)
僕は巡礼を始めたフランスのサン・ジャンで、フランス語表記の巡礼手帳を手に入れた。また、それとは別に、日本から日本語の巡礼手帳も持参した。カミーノと「姉妹巡礼路」である和歌山県の熊野古道の巡礼手帳と一体化したもので、東京・有楽町にある和歌山県のアンテナショップで手に入れたのだ。そして、目の前の巡礼手帳はスペイン語表記のもの。スタンプは押さなくても記念品に相応しい。
「いくらですか?」
「3ユーロよ」
サン・ジャンで手に入れたフランス語版は2ユーロだったけれど、まあ1ユーロ高いくらいはどうということもない。それに、ドナティーボ(寄付制)と違い、金額が決まっている点に安心感がある。「ひとつください」と言って茶色い表紙の巡礼手帳を受け取った。
パスポートや現金を入れている財布代わりのジップケースに真新しい巡礼手帳を仕舞った。思いがけない土産物に、少し浮き浮きした気分になった。
そのまましばらく歩いて次の町に入ると、教会の入り口からまた声がかかった。
「スタンプ、いかが?」
いや、さすがにもう十分と思ったけれど、さっきの教会ではスタンプを押してもらったのに、こっちでは断るというのも悪い気がして足を止めた。もちろん、目の前のおばさんはその事実を知るはずもないのだが。
スタンプを押してもらい、目の前の小皿に目をやると、置かれた硬貨の数がひとつ前の教会よりもずいぶんと少ない。立地の違いか、あるいは巡礼者たちも「もういいや」と思うのかもしれない。
ポケットの中の小銭では30センティモ硬貨が一番大きかった。中途半端だし、安すぎるかもと思ったけれど、それを小皿の上にそっと置いてきた。
* * *
自動車がすれ違う瞬間、後部座席から少年が身を乗り出し、「ブエン・カミーノ!」と叫んだ。こんなふうに車から声をかけられるのは初めてだ。遠ざかる車に向かって思わず手を振った。
アスファルトの舗装道路をひたすら歩き続け、カンポナラヤという町に入る。町の入り口にラウンドアバウトがあり、その真ん中にウエイトリフティング選手をかたどった銅製のオブジェと五輪マークがそびえていた。すぐに頭に思い浮かんだのは1992年のバルセロナオリンピックだったけれど、ここからバルセロナは直線距離で600キロも離れている。東京と岡山ほどの距離だ。
不思議に思いながら調べてみると、2016年のリオデジャネイロオリンピック、女子ウエイトリフティングで銅メダルを獲得したリディア・バレンティン・ペレスという選手がポンフェラーダ出身だということが分かった。ポンフェラーダはすぐ隣の町だから、彼女もカンポナラヤには何かしら縁があるのだろう。
また、この町で「オリンピックの森」を作るというプロジェクトが行われたことも知った。これは国際オリンピック委員会が気候変動や環境問題への対策として推進する「オリンピック・フォレスト・ネットワーク」の一環で、ナラ、クリ、トネリコ、ヒイラギなど、1000本の在来樹木が荒れ地に植えられたそうだ。
町のウェブサイトには「スペインのスポーツ活動や旅行によって発生する二酸化炭素排出量を相殺すること」が目的だと書かれている。「旅行」には当然、巡礼も含まれるだろう。巡礼者である僕たちもわざわざこの地を訪れ、歩きながら二酸化炭素を排出しているわけで、この森が将来的にどれほどの二酸化炭素を吸収してくれるか、期待せずにはいられない。
カンポナラヤを過ぎ、ビジャフランカが近づくにつれて、風景の中に葡萄畑が増えてきた。そういえば、カミーノを歩き始めた最初の週は葡萄畑をよく見かけたけれど、このところはすっかりご無沙汰になっていた。
ビジャフランカは歴史とともに発展してきた町だ。ガイドブックによると、11世紀に巡礼人気が高まるとともに町が繫栄し、今では巡礼者にとっての重要な拠点のひとつとなっている。町の入り口には公営のアルベルゲ・ムニンシパルがあるし、町の中心部には規模こそポンフェラーダ城には及ばないものの、立派な城も残っている。しかし、由緒ある巡礼の町の巡礼路は、大広場周辺が大規模な工事の真っ最中で、道はガタガタだった。
人口4000人のビジャフランカはほどよい大きさの町で、今夜の宿泊地にこの町を選ぶ巡礼者は多いだろう。でも、僕は10キロ先のトラバデロに予約を入れてあった。どうも僕には、メジャーな町や村を外して宿を選ぶようなところがある。
地図を確認すると、ビジャフランカから先はずっとアスファルトの舗装道路が続いているようだ。カミーノでは珍しく、歩行者専用の通路が道路の脇に1段高く設けられている。疲れが溜まってくる一日の後半になると、こうした歩きやすい道のありがたさが身にしみる。
間もなく午後2時。日差しが最も強い時間帯に差しかかっている。今朝の気温は18度で、なんだか暖かくて気持ちいいなあ、なんて思っていたのに、それが今は35度にまで上がっていた。毎日、雲ひとつない快晴が続いているけれど、ここまで気温が上がるのは久しぶりだ。それなのに、不思議と暑さを感じないのは、涼しげなせせらぎの音のおかげかもしれない。道路のすぐ左側をバルカルセ川が流れているのだ。
たまに通り過ぎる自動車を別にすれば、騒音を立てる人工物は何ひとつない。そして、人の気配もまるでない。
いつもと同じだけど、この時間になると巡礼者たちが姿を消す。まるで、世界で自分だけがこの道を進んでいるかのような錯覚に陥ってしまう。これをどう感じるかは日によって違うけれど、今日は妙に心地いい。理由はせせらぎだけじゃなくて、まわりの風景にもありそうだ。さっきから、左右にずっと山が見えている。しかも、しっかりと木々が折り重なって、厚みのある「本当の山」が作り出されている。深い緑色の風景の中を歩いていると、心がとても落ち着くのだ。
あとは宿のあるトラバデロの町に向かうだけだから、急ぐ必要は何もない。日差しは相変わらず強いけれど、山々の緑と川の流れを楽しみながら、のんびりと歩こう。
この道路沿いには、あまり間隔を開けずに休憩所が用意されている。どこも木陰が確保されていて、ベンチに座れるのが嬉しい。ふと上を見上げると、枝に緑色のイガグリがなっている。これ、全部クリの木か! スペインでも栗を食べるのだろうか。どんな料理になるのか、ちょっと気になる。
トラバデロまであと4キロという地点に小さな集落があった。閉鎖された巡礼宿の軒先でちょっと長めの休憩を取ることにした。今日はここまで、すでに30キロ近く歩いている。
ふと視線を上げると、さっき集落の入り口で見かけた60代くらいの夫婦が、ゆっくりとこっちに歩いてくる。僕の近くまで来ると、イタリア語で何か話しかけてきたけれど、僕はイタリア語が全く分からない。それでも、身振りや表情から察するに、この巡礼宿が営業しているのかどうかを尋ねていることは何となく分かる。
「閉まってますよ」と伝えるつもりで僕が首を横に振ると、夫婦は顔を見合わせて、何やら話し合いを始めた。どうやらこの宿を当てにしていたようだ。
「トラバデロ……クアント……?」
「トラバデロ」、「どれくらい」という単語が聞こえた。イタリア語とスペイン語は似ているので、これは分かる。「4キロ先にあります」とスペイン語で答えると、彼らはすぐに理解したようで、「ああ、そうか」といった表情を浮かべた。言葉が似ているというのは便利なものだ。
「君もそこまで行くのか?」
「はい、そうです」
それを聞いて、夫婦は少し安堵したようだった。トラバデロには宿があるはずだし、僕も行くのだから、そこまで歩けば何とかなると思ったのだろう。僕も、彼らが無事に宿を取れることを願いながら、再び立ち上がった。
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