廃墟の町、ピザの町(4)
会場はテラス席。というか、ただの庭だった。
長テーブルがドンと置かれ、周囲には何もない。山の上だから風が強く、体感温度はかなり低い。みんな薄手の服しか着ていないけれど、本当にここでやるつもりなのか? と思っていたら、すでに30人ほどの巡礼者が集まっていた。イタリア人、ドイツ人、スペイン人、その他諸々といったところで、彼ら自身も参加メンバーを把握しているわけではなさそうだ。
そのテーブルに次々とピザが運ばれてくる。ひたすらマルゲリータ。その他の種類は一切なし。飲み物は各自の注文に応じて、ビールとかコーラとか赤ワインとかが、これもどんどん運ばれてくる。
「トシ、いくら食べても飲んでも値段は15ユーロだから。食べないと損だぞ」
サムエレが僕に耳打ちしてきた。そういえば値段のことは何も聞いていなかった。なるほど、これがイタリア式というわけか。
さっき夕飯を食べたし、さすがにマルゲリータばっかりだもんなあ、と思いつつ、食べ始めると案外いける。ピザとビールの組み合わせに勝るものはない。
結局、1時間半ほどでお開きとなり、全員、ピザハウスの店内で15ユーロずつ支払って解散となった。
ところが。
主催者たちがピザハウスの中でまだワイワイやっている中、焼き立てのピザが新たに登場した。しかも、今度はマルゲリータじゃなく、サラミやマッシュルームなんかが乗っているやつだ。「まだ食うのか」と思いつつも、「味変」すると確かにまだ食べられる。
「これは別料金だろ?」
「いや、込み込みで15ユーロ」
僕は思わず苦笑いしたけれど、おこぼれにあずかることにした。ほかのみんなも、あれだけ食べて15ユーロなら文句もあるまい。それにしても、抜け目がない。主催者というか、首謀者だったわけだ。
こうしてフォンセバドンは僕にとって廃墟の町からピザの町へと印象を変えたのだった。
* * *
翌朝、フォンセバドンを出て20分ほどで標高1500メートルを超える山頂に到着した。ここに立つ「鉄の十字架」を自分の目で見ることはサンティアゴ巡礼のハイライトのひとつだ。が、近くで実物を見るとまったくの拍子抜け。というか、正直しょぼい。もっと巨大な、圧倒的な存在感のある十字架を勝手に想像していた。でも、ガイドブックにも高さ20メートルという説明があるから、冷静に考えれば、まあこんなもんだろう。ただし、20メートルというのは細長い木の柱の長さなのであり、その柱のてっぺんに乗っかった鉄製の十字架は高さにして1メートルもないように見える。なんだかロケット花火みたいだ。
こんな小さな十字架が、昨日、フォンセバドンに向かって坂道を登っていた時に見えたはずがない。いったい何と見間違えたのだろう。
鉄の十字架にがっかりしたのは僕だけじゃないみたいで、昨夜のピザパーティーをともにしたイタリア人のレアも「鉄の十字架ってもっと大きいと思ってた」と言っていた。これを見て感激する巡礼者がいるとは思えない。
十字架、というか木柱を支えているのは高さ1メートルほどの石塚だ。大小さまざまな岩石が積み上げられていて、ちょっと工事現場みたいな雰囲気を出している。巡礼者は自分の住む町から小石をひとつ持ってきて、この石塚に加えていくのだ。
今回が2度目の巡礼だという「恋の予感」のタトゥー男デニスが、十字架のわきに石を置いていくという行為の意味を説明してくれた。彼によればこうだ。人生には良い経験も悪い経験もある。全ての過去が現在の自分を作っているのは間違いないにしても、忘れたい過去、無かったことにしたい過去もある。十字架のわきに石を置いてくることで、そうした過去をここに置き去りにすることができる。
「過去の中には忘れたくない過去、自分にとってかけがえのない過去もあるはずだけど、そういうのは置いていきたくないじゃん?」
僕がそう言うと、デニスはしれっとこう答えた。
「だからさ、自分にとって嫌な過去だけを石に乗せればいいんだ」
僕は思わずうなってしまった。実によくできたシステムなのだ。
鉄の十字架を越えるとカミーノは下り坂になる。足元は土道、砂利道、岩道といろいろだけど、ほとんどが草木に囲まれた自然道で、まさしく巡礼路と呼ぶに相応しい。それに、四方八方のどこを見渡しても松林や三角形を連ねた緑色の山が広がっているという風景も心地いい。いや、正直に言うと、周囲の山々は日本と比べて木の密度が明らかに低いし、所どころ地肌ものぞかせていて「鬱蒼とした」という雰囲気は全然ない。それでも山は山だ。なんかこう、山に囲まれていると気分が落ち着くのだ。
まだカミーノが終わってないこの時点で言うのはなんだけど、フォンセバドンに向かう道と、フォンセバドンからボンフェラーダに向かう道、僕はこれらの道がサンティアゴ巡礼の中で一番好きだ。鉄の十字架はともかく、僕にとってもここがカミーノのハイライトのひとつなのは間違いない。
見晴らしのよい場所に構えたカフェで朝食をとることにした。先に来ていた数人のイタリア人にならい、僕もカフェコンレチェを注文した。それと、チョコレートケーキ、トルティージャ。ひとりのイタリア人が「トシは身体が小さいのに、よく食うなあ」と笑っていた。確かに。でも、四国遍路では、朝晩にお茶碗3、4杯は食べていたから、これでも控えめな方だ。
お皿とカップを持ち、テラス席に着こうとして驚いた。テーブルの上のパラソルに、赤、白、緑、黄、青の小さな旗がはためいていたのだ。まさかキリスト教徒の巡礼路で「ルンタ」を目にするとは!
チベットのことばで「風の馬」を意味するルンタは魔よけと祈りの旗で、どの色の布地にもチベット文字で経文がびっしりと書かれている。今年の2月にブータンを旅行した時、チベット仏教を国教とする彼の国では、風にはためくルンタを至るところで目にした。意外な場所での再会に思わず笑いが込み上げる。
でも、誰がこれを持ち込んだんだろう? トレッキング好きの欧米人がチベットから持ち帰り、このカフェの店主にお土産として渡したのか、あるいは店主自身がチベットかブータンで記念に購入したのかもしれない。そうではなくて、たまたま見かけたオンラインオークションで、パラソルの飾りとしてぴったりだと思って落札した可能性もある。
5色の旗が風を受け、周囲の山や青空と溶け合うように揺れている。その光景は、特定の宗教に縛られず、世界中から多くの人たちが集まるカミーノそのものを象徴しているかのようだ。
僕自身は信仰を持たないけれど、もし聞かれれば「仏教徒だ」と答える。カミーノには、僕のような仏教徒も、ほかの宗教を信じる人たちもたくさん歩いている。かつてはキリスト教徒のための巡礼路だったこの道は、今や誰もが歩ける開かれた旅路になっているのだ。観光地化を嘆く声もあるはず。でも、信仰を抜きにして足を踏み入れることができる道というのは、決して悪くないんじゃないかと思う。
ふと、ある小さな村を歩いた時のことを思い出した。その村では至るところに、サンティアゴ巡礼をテーマにしたアートが描かれていた。その中でも、倉庫のような大きな建物の側面いっぱいに描かれた絵が特に印象に残っている。3人の男女が、太陽に見立てた光輝く帆立貝に向かって祈りを捧げている。けれども、彼らがキリスト教徒ではないことに気づいた時、僕はその絵の意味を考え込んでしまった。
3人は、それぞれユダヤ教徒、ムスリム、仏教徒の姿をしていた。でも、この道を歩くムスリムが本当にいるのだろうか?
レコンキスタによって、キリスト教徒がイベリア半島をイスラム教徒から奪還したことは中学校で習った。そして、サンティアゴ、つまり聖ヤコブはその象徴的な存在だ。彼は「ムーア人殺しのヤコブ」とも呼ばれ、キリスト教徒の守護聖人とされた。ムーア人とは当時のイスラム教徒のことだから、そんな歴史を持つ巡礼路を、ムスリムが歩くとはどうにも想像しづらい。
信仰の違いを超えて、同じ道を歩き、同じ目標に向かうこと。そんな理想は、単なる夢物語なのかもしれない。けれど、もし誰もその理想を抱かなかったら、実現することはありえない。
もしかすると、あの壁画はただのアートではなく、巡礼者に対するメッセージだったのかもしれない。そして今、風に舞う5色の旗を見ながら、僕は再びそのことを思い出していた。
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