ピレネー越え(4)

 パンプローナはサン・フェルミンと呼ばれる牛追い祭りで世界的に知られる街だ。僕はスペインに1年間滞在したことがあるのだが、その間に牛追い祭りを見たくなって7月のパンプローナを訪れた。6年前のことだ。


 街は赤いスカーフと白の衣装に身を包んだ人たちで埋め尽くされていた。郷に入ってはと思い、一軒の土産物屋で赤いスカーフと白いシャツ、白いパンツを手に入れた。


 牛追いは翌日の早い時間だったような記憶がある。石畳の狭い通路を牛たちが猪突猛進し、人間が必死に逃げ惑う。時には死者が出ることさえある。沿道に押し掛けた大勢の観客の目の前を疾風のごとく駆けていく牛たちの姿を思い出す。


 牛たちは人間を追いながら闘牛場に誘導され、最後は闘牛士に殺されてしまう。スペイン国内でも「残酷だ」という声は大きく、闘牛は各地で廃止されつつある。でもパンプローナはなんと言っても牛追い祭りの地だ。僕はダフ屋からチケットを買って会場に入った。超満員の闘牛場は熱気にあふれ、老若男女が闘牛士を励ます言葉をバスク語で叫んでいた。意味は理解できなかったけれど、人びとの熱狂的な叫び声はいまでも耳に残っている。


 だからパンプローナは僕にとって思い出深い都市で、市街地にはうろ覚えながらも記憶が蘇る場所があったりもする。でも、さすがに今日は街なかを観光して歩こうという気にならない。何にも足止めされたくない。ウルトレイヤ。とにかく先へ進みたい。


 30分ごとに地図アプリのゴールを設定し直し、ルートを修正する。朝8時半になってようやくサダル川橋にたどり着いた。パンプローナの南西側の出口だ。結局、僕はだいぶ遠回りしながら、パンプローナの市街地の周縁部をわざわざ選んで歩いたことになる。想定していたよりも時間がかかったけれど、ようやく正規の巡礼道に戻れたのだ。心の底から安心感が湧き上がってきた。朝7時に15度だった気温が23度まで上がっていた。


 夜明け前に予約した巡礼宿までは23.8キロ。普段ならどうってことのない距離なのだが、今日はすでに17キロ、昨日からの通しでは60キロ以上歩いている。しかも昨夜は一睡もしてない。追い打ちをかけるように股ずれができていて、足を一歩踏み出すごとにズキンとした鋭い痛みが下半身に走った。このまま歩き切れるかどうか、正直なところ自分でも確信が持てない。


「無理しないでね。タクシーを使うのもアリなんじゃない?」


 スマホに妻から届いたメッセージはまったくその通りだと思う。でも、巡礼3日目にして歩くのをやめてしまったら、このあとの行程に身が入らないような気がする。

 それに。


 一昼夜プラス半を寝ないで90キロ歩くなんてことをやり遂げたら、自分が一回り成長できるかもしれない。まあ、自分のミスで墓穴を掘っただけなんだけど。


 よし、決めた。歩こう。ペースを抑え気味にし、こまめに休憩をとる。無理に急がない。焦らずゆっくりと進む。巨大な風車が並ぶ尾根に向かう坂道を上り、その先の下り坂をふもとまで進む道のりを、10時間かけるつもりでゆっくりと歩いていこう。


 カミーノはどこまでもまっすぐに伸びた平らな一本道だ。前を見ても後ろを振り返っても、カラフルなスポーツウェアに身を包んだ巡礼者たちの姿が見える。彼らは仲間と笑い合いながら、軽快な足取りで歩いている。いかにも意気軒高といった様子なのも、きっと昨夜はパンプローナに泊まって睡眠も食事もきちんととったからに違いない。


 そういえば、僕は全然寝ていないのに眠気を感じない。雲ひとつない快晴の空の下でまぶしい太陽の光を全身に浴びているせいなのか、それとも体が極限状態に入り、感覚がちょっとおかしくなっているからなのか。眠気だけじゃなく空腹感もまったくない。


 しばらく歩くと道がなだらかな登り坂に変わった。気づけば視界からすっかり建物が消え去り、農地だけがただ空間に広がっている。その先は丘陵地が続いていて、小高い丘の頂にメルセデスのロゴを細長く引き伸ばしたような三枚羽の白い風車が規則正しく等間隔で並んでいる。再生可能エネルギーの活用に力を入れるスペインは風力発電が非常に盛んなのだ。


 アスファルトの舗装路を外れ、収穫を終えた茶色い小麦畑の真ん中を突っ切るようにカミーノを進んでいく。


 すると突然、目の前に向日葵畑が現れた。左右のどちらを向いても目に付くのは黄色い向日葵の花ばかり。すごい! こんなにたくさんの向日葵に囲まれたことなんて、生まれてこの方一度もない。真っ青な空の下に鮮やかな黄色い花の映えること、映えること。まるで頭上の太陽に向かって地上の太陽たちが対抗しているかのようだ。


 最前列の向日葵を見て思わず笑いが込み上げた。花びらに囲まれた種の部分がむしり取られてニコチャンマークが描かれていたのだ。


 それにしても、こんなにたくさんの向日葵をなんのために栽培しているんだろう? 食用じゃないし、装飾用にしては数が多い。僕が昔飼っていたボタンインコはヒマワリの種が好物だったけれど、ペットのエサにしても多すぎる。となると、ヒマワリ油? スペインと言えばオリーブ。そのオリーブオイルからの連想だけど、ヒマワリ油という推測は良い線を行っている気がする。


 畑一面の鮮やかな黄色の花に圧倒されてしまい、通りすがりのスペイン人のおじさんに思わず話しかけた。


「こんなにたくさんの向日葵の花を初めて見ました!」


「いや、全然だな。ほかの年だったらもっといっぱい咲いたのに。今年は少ない方だよ」


 これで少ないとは、いやはや驚くしかない。


 向日葵畑を過ぎるとふたたび風景はだだっ広い農地に戻った。巡礼路のすぐそばに麦わらを積み重ねた巨大な藁におがいくつも並んでいる。巨大なレゴブロックみたいで、こんなに積み重ねて大丈夫なのかと心配になるほどの高さがある。もしいまこの藁におがこっちに倒れてきたら間違いなくお陀仏だろう。


 そんなくだらない想像をしながら歩いていると、道がふたたびゆるやかな登り坂になっていた。そして驚くことに、この坂道を駆け降りたり駆け上ったり、「トレイルランニング」している人たちがいる。しかも若者だけじゃなく、かなり年配のランナーまで僕の真横を軽快な足取りで駆け抜けていくのだ。僕とは明らかに身体のつくりが違う。こっちは走るどころか、そろそろ暑さが辛くなってきて休憩したい気分なのに。


 でも恐ろしいことに、日差しを遮るものが近くに何も見当たらない。巡礼路沿いに大きな木が何本か立っているものの、午前中は太陽の位置が悪くて影がすべて畑の方に伸びてしまっている。まったく、気が利かないったらない。


 ようやく見つけた木陰のスペースにはすでに先客がいた。年齢も性別もばらばらな、7, 8人のスペイン人たちで、たぶん二家族が合流した混成グループだ。彼らは楽しそうにお喋りをしながら、小ぶりのリュックを地面に降ろし、軽食をつまんでいる。その様子は巡礼の道中というよりもピクニックを思わせる。


 四国遍路でもサンティアゴ巡礼でも、誰かと歩くのは楽しいけれど、やっぱり僕は、一人歩きが巡礼の王道だと思う。ひとりで歩いていると言葉を発することがないから、その分頭の中でひたすら思考を巡らせる。なんのために苦労して猛暑の中を歩いているんだろうとか、頑張って歩き切ったら何があるんだろうとか、そもそも巡礼って何なんだろうとか、そういう巡礼についてのあれこれもそうだし、巡礼とは関係ない日常生活や人生について考えたりもする。


 これが二人以上で歩いていたら、こうした思索にふける時間はまずなくて、政治や経済、趣味や日常の雑談が話題の雑談で終わることだろう。それはきっと楽しいし、別に悪いことじゃないけれど、忙しさに追われた普段の生活のなかではなかなか考える時間がとれないような、そうした事柄に思いを巡らすことができる。これが一人歩きのご利益なんじゃないか、と思う。

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