第8話 やっと

 蒼梧は白い紙を見ながらおにぎりを食べる。


 バスケの強化合宿の選抜メンバーに選出されたという内容が書かれた用紙を眺める。


『いや、勝手にそんなのに選出されても・・・』と思いつつも、だが断る方がはるかに面倒な佐伯ナオの誘いに乗らざるえなく、参加する事を決めたのはいいが問題は懸想している真桜の事だった。


 一ノ瀬真桜・・・ぽやっとしていてしっかりしていない、自分がいないとダメな女子。


 蒼梧の通っている高校は、都内でも有数の偏差値の高さを誇る進学校だ。『楽したい』という理由で適当に決めた進路であるが、入学初日に『間違えたな』と思うくらいに周りは意識の高い人間で溢れていた。


他人の価値を推し量る質問・・・値踏みするような視線・・・生まれた場所や育った環境は自分では選べない。その選べないものに対して優劣をつけ、マウントを取る。

 

『それって面倒だし馬鹿馬鹿しいよなぁ・・・』


 そう思い、変人というキャラ確定してマウントの対象から外れた男・・・結城蒼梧は誰とも交流しない生活を送っていた。


卒業まで変わらない、つまらなくて退屈な高校生活。


 それが覆された瞬間は、佐伯ナオとの出会い以外にも、あった。


「あ、あの・・・寝てる?起きて、起きてー・・・」


 うららかな陽気にすやすやと寝ていた蒼梧は、肩を優しくトントンされて意識を取り戻した。

そのまま寝起きの顔で起こした相手を見る。


『しわしわの顔・・・あ、あのキャラじゃん』


と思った蒼梧は、どうしてしわしわの顔をした見知らぬ女子が自分を起こしたのかと思ったが、次の言葉を聞いて納得した。


「あのー・・・教科書見せてくれないかな・・・?」

「ん・・・あ?」


どうせ本読んでるか寝てるかなので、すんなりと教科書を手渡すと真桜は困惑した表情を浮かべた。


 その表情を見て『あ、あのキャラじゃなくなった』と思った蒼梧は顔を机に伏せる。だが、そこで何となく思う。


『なんでこの子・・・俺に教科書見せてって頼んできたんだ?』


 人に何かを頼まれるのは、ひどく久しぶりだった。

そしてそれを面倒だと思わなかった自分にも、少し驚いていた。


 それから週に一度の選択授業だけ隣になる一ノ瀬真桜とはつかず離れずの距離を過ごした・・・わけではあるが、しっかりしているように見えて全然しっかりしていない女は何かとしわしわの顔で蒼梧に助けを求めた。


 それが実現するのが難しいようなお願いでもなく、どうせやらねばならないプリントを写させてだとか些細なものであったので断る方が面倒だったので頼みを聞いてあげた。


 すると毎回授業の前後にお菓子をくれるようになったのである。『ありがと』とお礼を言うと、嬉しそうに真桜の顔がほころぶ。


『貰ったのは俺の方なのに、あげた方が嬉しそうにするのって変なだよな』


 そんな事を思いながらも、蒼梧は自分の中の感情の変化を何となく感じ取っていた。


『真桜と居るのは面倒じゃない』


 この子は人を値踏みしたり評価したりしないし、自分に接するときに打算が感じられない。

しわしわの顔で助けを求められると、しょうがないなって思ってしまう。


『この子には俺がいないとダメなのかも。だから他の女子達にマウンティングされてる時も助けたいなって思ったし、他の男に優しくしてるのを見てるのも嫌だった。真桜はしっかりしてないから、絶対に悪いやつに騙される。俺が・・・俺がいないと・・・』


 それは蒼梧が初めて抱いた感情だった。

自覚してからもほのぼのと過ごしていたが、この強化合宿に参加することになったらと思うとほのぼのと過ごせるはずがない。


 何度か距離を詰めて『俺は真桜が』と想いを伝えようと試みているが、毎回拒まれる。


『心の準備って何だよ。別に今までと何も変わらねーじゃん。まぁ・・・今までよりも抱きしめたりキスしたりはするかもだけど』


 と顔には出さずに拗ねているバスケの天才は、隣でピスタチオの殻をむいている真桜に声をかけた。


「それむくの面倒くない?」

「美味しいよー、食べる?」

「あ」

「この間、ナーさんと行った会員スーパーで買ったやつ。塩気が美味しいよねぇ」

「ん、もう一個」

「はい」

「あ」


『美味しいけど、これ喉乾くだろうな。喉乾いて起きそうだ』と考えながらも、一度食べ始めると止まらない。ふとパキパキと殻をむいている真桜の指先を見つめる。


『小さい手だな』そう思っていると、真桜から声がかかる。


「これ固くて無理。結城やって」

「え、面倒くさい。自分でやれよ」

「だってあたしの力じゃ無理だもん。お願い」

「んー」


『めんどいな』と口には出さず、渡されたピスタチオの殻をむく。そしてそのまま自分の口に運ぼうと思ったが『え、秒で・・・』と驚いている真桜の口元へピスタチオを運ぶ。


「ん」

「ありがとう!」


 蒼梧の指が真桜の唇に触れる。

そのままそっと口の中に実を差し入れて、咀嚼するところを観察する。

咀嚼すら面倒だと思うことはざらにあるが、この時ばかりは一ノ瀬真桜に噛み砕かれるピスタチオを羨ましく感じた。


「あの・・・ジッと見られると恥ずかしいのですが?」

「俺、生まれ変わったらピスタチオになりたいかも」

「え?」

「真桜に見つけてもらって、殻をむかれて真桜に噛み砕かれたい。俺にはキスだってさせてくれないのに・・・ズルくない?」

「何かの哲学・・・?」


 茶化されて流されても困る・・・残された時間は 少ない。蒼梧はジッと真桜の瞳を見つめている。

そのまま唇に添えっぱなしの指で、ゆっくりと形の良い唇をなぞる。


 逃げられたら悲しいので、もう片方の手で細い指を掴む。恋人繋ぎはもう何度もしていた。


「俺は真桜が」

「ま」

「待たない」

「え」

「抱っこもよくてあーんもいいのに、キスと告白がなんでダメなんだよ?俺の家で冷やし中華作ってくれただろ?なのに気水はダメなのはなんで?」

「冷やし中華は茹でただけだよ?時間がかかるならインスタントでいいっていうから・・・」

「美味しかったからまた作って。焼きそばも。あと炒飯」


 佐伯ナオの母親が会員制スーパーの会員であるため、家族カードで先日3人でそこへ買い物がてら遊びに行ったのだ。


 真桜は比較的料理は得意な方ではあるが、そもそも結城蒼梧は料理をするという文化がない。

はしゃいで調味料や冷凍食品を買ったところでテンションが上がり、何度か男の部屋で料理をした。

『本当にそのうち押し倒されるかもしれない』というほど距離を詰めらて抱っこされたので、真桜はしばらく行くのを控えようと思っていた。


「イケノも行っただろ。真桜用のクッションも買ったし。あ、あとウサギも」

「あれあたし用だったの?」

「どれがいい?って聞いただろ。引っ越すならどんなキッチンがいい?って新婚さんごっこもしたし」


 イケノも確かに行った。テンションが上がり、ウサギのぬいぐるみまで買ったのは楽しい思い出である。

ソファの座り心地も、ベッドの寝心地も確かめた。

真桜の中でも楽しいお出かけだった。


「俺、もう付き合ってんのかなって勘違いするよ。だからキスしようとするたびに拒否られるの傷ついてた。告るの遮られるのも」

「う・・・」

「もう待つのめんどくなった。だから」


 蒼梧は真桜の小さい身体を抱きしめた。

逃げられないように真桜の後頭部に手を回し、顔を自身の胸にぎゅうっと埋めさせる。

遮るものは、もう何もない。


「俺は真桜が好き。俺の彼女になって」

「・・・ふぁい」


 返事はくぐもってよく聞こえなかったけれど、背中に回った手が初めての恋人の気持ちをあらわしていた。


「俺は時間の問題だろうって思ってたけど・・・って言うか、真桜ちゃんも気を持たせすぎ。気をつけた方がいいよ?部屋にノコノコ着いて行ったりしたら男は馬鹿だからすぐ勘違いしちゃうから。蒼梧みたいに」

「勘違いじゃないし」

「あー・・・あははは」

「でもなんで蒼梧が告るの拒否ってたの?駆け引き?」

「俺、駆け引きされてたのか・・・」

「あー・・・なんて言うか・・・あたし、どちらかというと中身を見てもらう前に身体目当ての人が多かったから・・・なかなか踏み出せなかったっていうか」

「・・・」

「美人は大変だなぁ・・・」

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