第1章 ライオンハートは気にしない

買い出汁は灰汁の味

「くすっ、っふふ、っははっ。あははははっ、ふふっ、うふふふふふふっ」



 ――――グリルレッド王国の中心地。貴族・商人・ハンター・冒険者、そして一般国民とが雑多に入り交じるリチュア市場の目抜き通りは、鬱陶しいくらい賑わっていて、どこもかしこも人で埋め尽くされている。


 丸みを帯びた石を敷き詰めたような、『石畳』と表するにはどこか可愛らしい道。


 立ち並ぶ商店は、どこも自分の家の一階部分をぶち抜いて、所狭しと食料を陳列していた。ガラスケースなんて洒落たものはないが、木の皮で編んだ笊に見栄えよく置かれたそれらは、燦々と降り注ぐ陽光を浴びていっそう輝いて見える。




「キオトマトひとつくれよ!」羽の生えたトマトを受け取った男が、その場で躊躇なくかぶりつく。「十徳コーン、包んでくれ!」紙袋を受け取った男が、我慢できずに包む葉っぱごとトウモロコシを齧る。「氷下ヤンガー、ひと掴み貰うぜ?」笊から小魚を掴み取った男が、ぼたぼたと落としながら口へ放る。「ブルブルダックいいかしら? 好きなのよぉこれ」腑分けしただけの鳥のもも肉を、女はパクリと口に入れた。「珍しいなぁ、霞イノシシかい! ひと塊貰おうか!」ワイルドな豚のブロック肉へ、男は豪快に歯を突き立てた。





「ふふっ、ふふふふふふっ、あっははははははは!」



「…………ネル、ちゃんと前を見ろ」




 硬貨の飛び交う音に交じって、いや、むしろ掻き消さんばかりに聞こえてくるのは、買った食品をその場で食べる音。瑞々しい咀嚼音がそこかしこで聞こえてきて、もしもこの世界に録音機材があれば、いいASMRの素材になっただろうと、惜しまずにはいられない。



 まぁ、冗談だが。



「あはっ。だぁって、もう可笑しくて可笑しくて!」



 俺の小うるさいだろうお小言を聴いて、しかしそいつはまるで懲りやしない。


 人でいっぱいの石の道。硬くて膝の痛い悪路を、あろうことか裸足で歩くそいつは、くるんっ、と身に纏う襤褸のローブをひらめかせながら振り返った。



 褐色の肌をして、足元まで伸びる髪は竜の如く緑色。


 金色の眼で周囲を睥睨しながら、ネル――――ネルソン・マイマーは甚く楽しげに表情を歪ませた。




「何処からも彼処からも、! ふふっ、あっはははははは! あぁ、ねぇ、いい国ねぇ、ここは」



「……どっちの意味なんだかな」




 舌舐めずりするネルへ、俺は溜息を贈った。


 ……こいつにとっては、人混みは新鮮だろうし、テンションが上がるのも分からなくはない。しかしそれを言われても、俺はいまいち反応がしづらかった。



 人混み苦手なんだよ、俺。



 そもそも、今日は仕事で来ているのだし。




「はしゃぐのはいいが、おまえも店を探してくれ。まずは『マンドラベルン』のある八百屋だ。客の第一希望なんでな」



「ふふっ。マンドラベルンなんて、その変に生えている雑草じゃない。そんなものを売り買いする人間も、最後に欲しがる人間も、にはよく分からないですねぇ。まぁ? 吾としては労の要らない、安上がりな奴で助かってますが」



「俺には仕事があるんだよ、生憎な。大体、雑草とか言う割には――」




 白では目立つからと、目立つ黄色で作られてしまったエプロンから、メモを取り出しながら言おうとしてみる。



 ――――けど、言ったところでどうせ無駄か。こいつが、ネルが、どこからどういう目線でものを見ているのか、所詮俺なんかにはよく分からない。だから嫌味で返してみたところで、何故だかただでさえ巨大なその胸を更に張って、俺のことを褒めてみせそうで、それはなんか、こっちの情緒がぐちゃぐちゃになる。







 故に――――ガンッ、と音を立てて後頭部が痛んだのは。




 ありがたくもなく普通に迷惑だったが――――僥倖、ではあった。







「痛っ――」



「おいおいおぉいっ! なぁんでこんなとこにいやがんだよてめぇっ! アル・バーティッシュ……犯罪者の世話焼き係がよぉっ!」




 投げつけられた石が転がる頃には、もう。



 男の罵声は周囲に轟いていて、瞬間、水面に石を放られた魚のように、通行人は俺とネルを中心に円状の空白地帯を作っていた。




「っ、師匠!?」



「…………」




 じくじくと痛む頭をさすりながら、背後へと振り返ってみる。



 ――――ジャクッ、と、水分豊富な梨を思わせる快音を響かせながら、俺を睨む男のひとりが、白い大根を生で頬張っていた。



「知ってるぞてめぇ……死刑が決まった奴らのために、わざわざ飯を恵んでんだろ? 気持ち悪ぃな、この偽善者め! 犯罪者への飯なんか、その辺の泥で十分だろうがよ! 俺たちが食うための飯を、奪ってんじゃねぇよ!」



「……あんた、それ――」



「うゎっ!? よ、寄るな、近寄るなよ気持ち悪ぃっ! 血生臭さが伝染うつるんだよっ!」




 そう言って、男は人の山を掻き分けて走り去ってしまった。



 俺の、伸ばした手がよほど気に障るのか、市場に集まった人間はみな身を捩り、1mmでも俺から距離を取ろうとしている。後ずさり過ぎて、周りを巻き込んで転ばせているようなご婦人までいるくらいだ。



 ……惜しいことをした。痛みの引いてきた頭を掻きながら思う。



 あの男が持っていた……あれがマンドラベルンだったのに、どこで売っていたのか、訊きそびれてしまった。




「……まぁ、いいか。大分残っていたようだし、じゃあこの近くで売ってるだろう。ネル、行くぞ…………ネル?」



「…………っ」




 ネルは。



 瞳孔を開き、ローブから下着同然の衣類しか纏っていない肢体を覗かせながら、その短い腕を、露わにさせていた。



 骨を鳴らし、血管を浮かび上がらせ、筋肉を隆起させている。




「……師匠」



「はぁ…………いちいち気にすんな。いいさ、お陰で歩きやすくなった」



「…………度し難い、です。あなたも、それにあの人間も」




 ドスの利いた低音で、唸るように話すネル。


 俺より頭ふたつ分は低いだろうその矮躯は、撫でるにも御するにも、俺には都合がいい。肘を曲げるだけで彼女の頭頂部に手が届き、纏わりつくような髪を掻き分けるように撫でてやる。


 腕を引っ込め、踵を返してついてきてくれているが。


 納得はいっていないようで……ぶつぶつ、ぶつぶつと隣で呪詛が止まらない。




「マンドラベルンを生で丸齧り……はっ、野生の猿が如き進歩のなさだな。あれは皮を剥き、すり下ろして肉に乗せて食うのが至高の食材だ。しつこい脂身の甘さを爽やかに喉へと落とし、いつまでも食に飽きさせないがための最高の『チョーミリョー』だ。アルの『リョーリ』すら知らない未開人が、善だ偽善だと知った口を……!」



「おーいネル? 素の口調に戻ってんぞ、ここは人前だ」



、アル・バーティッシュ」



「おーけい、お小言なら帰ってからゆっくり聴く。なので今は『弟子モード』を貫こうとしてくれ頼む」



「…………本当、度し難いな……」




 呆れたように頭を抱え、ネルは忌々しげに舌打ちを響かせる。




 ……俺としても、対応に困るんだがね。




 たかだか『』を知っているくらいで、そこまで持ち上げてもらっても。




「……お、見つけた。やっぱ近場にあったか」




 俺を避けるような円は以前直径を保っていて、だから、周囲の店からは客足すら引いていて。



 店側には申し訳ないが、お陰で目当てのものは見つけやすかった。



 目玉商品なのだろうか、店先の一番いい位置に陣取っているマンドラベルンは、さっき男が齧っていたのに負けないくらい白くて、太くて、長くて、立派で、如何にも瑞々しいと主張せんばかりに太陽光を反射している。



 葉も青々と茂っていて、新鮮さを思わせる。



 ……うん、いいな。食べ慣れた食材だが、それ故に美味さが想像できて、不思議と涎が溢れてくる。




「すみません。この、マンドラベルンを3本――」




 と。



 にじり寄り、がぶりつきで商品を見ていた俺は、いつの間にかしゃがみ込んでいて。



 低くなっていた俺の頬に――――べちゃっ、と、なにかがへばりついた。



 粘性に飛んで、酷く、臭う、液体。





「帰れ。近寄んじゃねぇよ、商品がダメになる」





 淡々と、酷く冷めた口調で。



 俺へ唾を吐きかけた店主は、冷たい目をして言ってきた。




「営業妨害なんだよ。オマエに近付かれただけで、客がどっか行っちまう。そうしている間に野菜の鮮度は下がる。客が買わなくなる。分かるか? オマエは今、オレの食い扶持を潰して、殺そうとしてるんだ。――――分かったら、さっさとどっか行けぇっ!! 犯罪者にケツ振って飯食ってる、臭っせぇホモ野郎がよぉっ!!」



「っ――」




 白い髭を蓄えた、小太りの店主は。


 年齢をまるで感じさせない、鋭い蹴りを喰らわせてきて――――情けないことに、俺は紙切れみたいに軽々と、後ろへ吹っ飛ばされた。




「っ、アルっ!」



「いいか小僧っ! ここで売ってる食い物はなぁ、明日を生きる人間のためのものなんだよっ! 次の日には死んじまうような、いや死んだ方がいいような、犯罪者に食わせるためのものじゃねぇっ! オレの店になぁ、死人に食わせるものはねぇんだよっ!!」




 駆け寄ってくるネルに、俺が注意するよりも早く。



 店主は、まるで断罪する裁判官のように声高らかに宣った。



 ――――瞬間、沸騰石を入れ忘れた試験管みたいに、割れんばかりの歓声が周りから湧き起こる。





「そうだそうだーっ!」「いいぞシーゲイっ! それでこそ八百屋の鑑ぃっ!」「リチュア市場の顔だおまえはぁっ!」「もっと言ってやれ!」「帰れ帰れぇっ! 王国の面汚しはよぉっ!」「俺らの飯と犯罪者の飯とを同列にすんじゃねぇっ!」「シーゲイ俺感動したぜっ!」「野菜はやっぱシーゲイの店じゃねぇとな!」「犯罪者の飯なんざ、国の外で取ってこいってんだ!」「シーゲイ万歳っ!」「失せろ偽善者ぁっ!」





「…………此奴ら……!」



「待った。……待て、待てだ、ネル。ネルソン・マイマー」




 立ち上がるより、顔を拭うより先に。



 俺は、両腕を露わにしたネルの、その申し訳程度のローブを、軽く引いた。




 分かる。どれだけ奥底に留めようと努めても――――ネルのこれは、殺気だ。




 そして……それを実現させるのが容易なのも、俺は、知ってる。




「っ……アル……しかし……っ」



「ダメだ。決めただろ。……やったら、もう作ってやらないぞ?」



「っ……、…………っ」




 目を伏せて、天秤にかけるように考えて。




 ――――ネルは、腕をローブの中へと引っ込めてくれた。



 自然と、息が零れた。柄にもなく焦っていたらしい。俺は頬の唾液を拭い取りながら、よろよろと子鹿みたいに立ち上がった。




「……申し訳ない、店主。ご迷惑おかけした」



「あぁそうだ迷惑だ! オマエなんざ、生きて働かれてるだけで不愉快なんだ! とっとと視界から、いや、この国からも消え去ってくれ!」



「……失礼する」




 腕組みと仁王立ちを崩すことなく、店主は鋭い眼光だけで退去を強要してくる。




「……わっ!」




 再び顔を顰め、店主を睨み返そうとするネルのローブを引いて、俺は足早に店先から離れていった。




 ――――途端、あの店には人が殺到し始めていた。……無理にでも早足にしたのは、正解だっただろう。声を上げた店主を持て囃すだけならまだしも、俺への暴力にまで乗っかられていたら…………俺には、穏便に事を済ませられる自信はない。



 せっかく、腰を据えて落ち着ける『国』にいられるのだから。



 わざわざ自分から、荒事の中心に行きたくはない。




「……アル・バーティッシュ」



「素、出てんぞ。師匠呼びのキャラはどこに行った」




 半ば引き摺られるような格好に甘んじたまま、ネルが呼びかけてくる。



 裸足で引き摺られて痛くないのか、なんて、正に愚問だろう。ネルが俺に投げかけた、分かり切った問いと同じように。




「……横暴、独善、偏見、排他。斯様な理不尽を咎めるために、法が在るのではないのか?」



「法律ってのは人間様の作品だからなぁ。依怙贔屓の癖があるんだよ」


 どこの世界でも変わらず、な。




 ――――バカみたいに分かり切った、欠伸の出るほど退屈な答えをわざわざ口にして。



 俺は、また八百屋を探す工程から始めなければなことが、堪らなく憂鬱だった。

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