大根役者の浅知恵漬け

 異世界転生って奴は、どうやらトラックに轢かれなくても起こるらしい。



 前世で首を吊られた俺は、気づけばこの世界で生活していた。肉体年齢は一桁前半で、両親もいたから、転移ではなく転生で、どうやら俺は生まれる前の赤子の肉体を、元の魂押し退けて、乗っ取って生まれてきたらしい。


 前世でも今世でも、兎角図々しく罪深い奴だ。俺という人間未満は。


 まともに思考ができる年齢になって、すぐさま絶望するほど呆れ返った俺は、直後に2度目の生を受けたこの世界の、その荒唐無稽さにも呆れ果てた。



 ――――この世界では、あらゆる食材が異常に美味い。



 野菜も、肉も、魚も、なんならその辺の虫や雑草に至るまで! およそ人体が経口摂取して消化吸収できるものならば、なべて総じて遍く美味い。子供を売り飛ばすほどに困窮していた生家での飯でさえ、前世での食材が全て腐っていたのかと思うほどの美味だった。果たしてこの世界に『好き嫌い』の概念が存在し得るのかと、小一時間は悩んだほどだ。




 だけど、すぐ飽きた。




 前世じゃよく『素材の味が活きて~』とか『素材本来の味わいが~』とか言われていたけれど、しかし結局素材は素材だ。単体の食材では単一の味しかしなくて、突き抜けた美味さをしてはいるものの、シンプルさも突き抜けていたが故に、どうにも歓喜は続かなかった。






「――――こんばんは。飯の時間だ、バン・ベアテッド」





「っ…………!」




 ただ、この世界の住人にとっては、素材の美味さだけで十分だったらしい。



 市場でも見た通り、この世界では食材をそのまま食うことが当たり前であり常識であり、ある種の『絶対』でもある。……いや、よく考えれば『食材』という言葉だって、あるかどうか怪しい。なにしろこの世界には、『食品』を『材料』とする『料理』という概念が、存在しないのだから。




「ご所望は『マンドラベルン』……しかも、『甘い』っていう条件付きだったな。鼻を突き抜けるような鋭い辛みこそが持ち味の、この野菜に対して」



「……ヒヒッ、そ、そうさ……ないだろ? ないだろうよそんなもの!」




 ――――牢の中から、顔だけは一級品な痩せぎすの男が声を上げる。



 バン・ベアテッド。蝋燭の炎しか照明のない、薄暗闇の地下室で、こいつが鉄格子に囲まれ、白と黒のボーダーを着せられ、足枷をつけられているのには、当然な理由がある。



 貴族の娘を言葉巧みに誘拐し。


 身代金を要求する手紙を送り。


 10代前半の小娘を犯し、股を裂き、『面白くなって』滅多刺しにして殺害した、救いようのない死刑囚だからだ。




「俺ぁあの辛みがどうにも苦手でよぉ……だからさぁ、考えたんだよ。『甘いマンドラベルン』なんていう、存在しないものを要求してりゃあさぁっ! 俺の死刑は執行されねぇんだろ!? なぁ!? そういうルールなんだよなぁ!? てめぇらの言う、『ラストミール』って制度はよぉっ!!」



「……あぁ、その通りだ」




 ラストミール。


 前世での母国語に訳せば『最後の晩餐』。西暦2000年に、とある白人至上主義者の我儘を契機に廃止されるまで、某国で長く続いていた死刑囚への餞。


 日本では刑の執行当日、朝の9時にそれが知らされるが、その国では違ったようだ。事前に執行日、命の奪われる日が決まっていて、その直前の食事をリクエストできたという。なんとも羨ましい制度だが――――まさか、自分が死んだ後にそれを提供する側に回るとは、人生というのはよく分からない。



 尤も、この世界……というかこの国、グリルレッド王国で俺がラストミールを任されている意味合いは、元のそれとはやや異なるだろう。



 料理という、この世界に存在しない技術を持つ俺を。


 王族は『死刑囚の最後の晩餐係』に任命した訳だが……要は俺の『料理』が本当に美味いのか、食っても害はないのかを、死刑囚という『どうでもいい実験体』を使って毒見させているだけだ。



 故に、死刑囚には結構な我儘が許されている。



 それを叶えられるか否かまでを含めて、俺は、毒見をされている最中という訳だ。




「ヒヒヒヒッ……てめぇが、俺に、俺の望むラストミールとやらを出せなけりゃあ、俺は生きていられる……死なずに済む、殺されずに済む! ヒハハッ! 出せるもんなら出してみろよ! 辛くて辛くて口から火が出そうな、あのマンドラベルンの甘い奴をよぉ! 世界の果てまで探したって、そんなものありはしねぇだろうがなぁっ!!」



「そりゃ、そうだろうよ」




 牢の下、配膳のための高さ15cmの開閉部。


 暗い黄色の煉瓦で造られた、ごつごつの床へ滑らせるように、俺は料理の乗ったトレイを差し出した。ついでに胡坐を掻かせてもらったが、何度座っても慣れないくらい、床は刺々しく尖っていて、ズボンが破れてしまいそうだった。




「俺から言わせれば――――マンドラベルンって食材は、最初から甘いものだ」




 だから、決め台詞みたいに言ったそれが。



 果たしてカッコよかったかどうか……まぁ、死刑囚相手にカッコつけても、って話だが。




「…………なん、だぁ……? こりゃあ……」




 しげしげと。



 バンは、檻の中に入った膳を眺めていた。……死刑囚でも誰でも、この世界だとどいつもこいつもこんなリアクションだ。俺からすれば見慣れた料理を、まるでエイリアンの剥製でも見るかのように眼を丸くされるのだから、妙に心地悪い。なんなら腹立たしいくらいだ。




「……おい、俺が要求したのは、『甘いマンドラベルン』だぞ? この、なんだ、このよく分かんないなにかはなんなんだよ?」



「質問が下手過ぎるだろ、幼児かよ。……だから、お望みのマンドラベルンだよ。甘いな」



「っ、う、嘘ならもっとまともなの吐けよ! これ、なんだこれ!?」




 バンは、トレイの上の椀を手に取って叫んだ。


 あぁ、湯気が立っているそれを持ち上げてくれるなら――――手っ取り早い。都合がいい。手間が、多少は省けるか。




「湯に浸かってて……丸い、薄茶色のなにかに、なんだこれ、糞みたいなものがかかってる! こ、これを食えって言うのか!? ラストミールっつーのは、犯罪者にも人権があるからって制度じゃなかったのか!?」



「……その、丸い薄茶色のなにかが、マンドラベルンだ」




 溜息を禁じ得ない。何度解説していても、共通認識ってものが通じないのはつくづく不便だ。


 せめて食材の名前が同じならよかったのに、異世界らしく妙な名前をしているし。



 マンドラベルンって……いいだろ、大根で。




「あんたの苦手な辛みはな、マンドラベルンが虫から自分を守るための成分が原因なんだ。その成分は、加熱……火に当てれば失活する。すると大こ……マンドラベルンは、元々の味である『甘さ』を前面に出してくる。……まぁ、茹でただけじゃ味気ないんで、少し手を加えてはいるがな」



「ゆで……? 手を、加え……?」



「アプサラシータン、っていう海藻を知ってるか?」




 混乱しているようだが、俺もさっさと仕事を終わらせたい。意味が通じていないだろうところは無視をして、次々と解説だけさせてもらう。



 アプサラシータン――――まぁ、要するに『昆布』である。




「肉厚で旨味が濃く、しかも海辺の国でしか食べられない希少食材だ。……俺は、以前手に入れたそれを干して保存していてな。ただでさえ濃厚な旨味がさらに凝縮されたそれを使って、マンドラベルンを炊いたんだ。――――俺の故郷じゃ、それを『風呂吹き大根』って呼ぶ」



「たいた……? っ、さっき、から、意味、が、分から、ない……」




 明らかに、バン・ベアテッドは集中力を欠いていた。


 俺を糾弾したいのだろう。ラストミールにケチをつけて、少しでも命を長らえたいのだろう。そもそも意味不明な品を出した俺を、難癖つけて詰りたいのだろう。



 それでも、手にとって持ち上げて、鼻先まで持ってきてしまったなら。



 熱々が故に溢れ出し、漂うそれに、意識を割かずにはいられまい。



 あまりの旨味故に、なんの調味料もなしに水にとろみのついた、極上の昆布出汁。



 加えて香るのは、『糞みたい』と評した、甘みの強い豆味噌。




「…………っ」




 脳を多幸感で包むような出汁の香りに、味噌独特の発酵臭。匂いで塩味を感じれば、出汁の甘みが更に際立ち、相乗効果は男の口に涎を充満させていった。



 それでも、男は堪える。



 ぼたぼたぼたぼた、床に唾液が零れ続けていても、耐えようとする。



 匂いだけでもう、椀を手放せなくなっていても――――だって、この料理を食べたら、男は死ぬのだから。



 バン・ベアテッドの死刑は、もう確定している。後はもう、ラストミールを食べるだけだ。



 ラストミールを食べなければ、死刑を執行できないのなら。



 逆に、ラストミールを食べてしまえば、本当の意味で、死刑は確定する。




 ――――その躊躇いを、生への執着すらをも、振り切らせるのが俺の仕事だ。




「マンドラベルンは、瑞々しく爽快な歯応えが特徴の食品だ。だが、炊いたマンドラベルンはそうじゃない。歯が要らない。舌で少し押すだけでも、ほろほろと口の中で崩れていき、中にたっぷりしまい込んでいた昆布出汁と、自身の旨味とを溢れ出させるんだ。ほんのひと欠片、口に含んで押し潰すだけで、甘みが口いっぱいに満ちていく。出汁の僅かな塩味が、マンドラベルンの甘みを更に引き立てる。……試しに、フォークで触ってみろ。すぅ、って、フォークの重みだけで身は崩れていくぜ?」



「っ…………」



「付け加えるなら、上に乗っている味噌。こいつは豆から作ったものだが、豆の甘みだけじゃない、強い塩味を併せ持つ。湯に溶いて、マンドラベルンと一緒に口へ含んでみろ。しょっぱいと思った、その次の瞬間にはもう、倍以上の甘みで脳が焼ける」



「……、あ、あぁ……っ」



「…………忠告だが、そいつの食べ時は熱々の今だ。冷めると旨味は濃く感じられてくどくなり、マンドラベルンは固くなり、味噌は塩気ばかりが悪目立ちする。バン・ベアテッド。あんたが手にしている皿は今、刻一刻と、あんたの望む『美味しさ』を逃がしちまっている」



「あ……あぁ……っ!」




 あぁ、この男は今や、気付いてすらいないだろう。



 俺に促されるまでもなく、既にフォークを掴んでしまっていることも。



 椀を、口のすぐ下にまで運んでしまっていることも――――全部、無意識だ。




 美味いものを食べたいという、当たり前の本能。





「なぁ。匂い嗅いでるだけで、満足なのか? あんた」





「っ――――あぁああああああああああああああああああああああああああっ!!」




 フォークが出汁へと沈む音が、やけに大きく聞こえた。



 勢いよく刺した所為で、輪切りのマンドラベルンはふたつに割れてしまっている。その片方を持ち上げて、男は、キラキラした目でその断面を見つめていた。



 一度炊いて、ゆっくりと冷まし、再度加熱した大根には。



 その中心部に至るまで、たっぷりと出汁が染み込んでいて――――香りに、色に、食欲をそそられずにはいられまい。



 吸い込まれるように、破片は出汁を滴らせながら口へと入り。



 ぐじゅうっ、と、歯と舌とが押し潰す音が、俺にまで聞こえた。




「っ……美っ、味……!?」



「そいつはよかった。――――なんなら、そちらもどうだい?」




 俺は、トレイに乗ったもうひとつの皿を指差して言った。



 風呂吹き大根より、よっぽど得体の知れないものに映るだろう。なにせ料理の概念がないこの世界に、『麺』なるものは存在しないのだから。




「これ、は……芋虫……? っ、いや、でも――」



「辛みが苦手って言ってたんでな。その美味さを知らないだなんて勿体なくて、作ってみた――――『おろしぶっかけうどん』だ。下の汁と混ぜて、その細長いのを啜ってみな」



「っ…………!」




 今度は、もう躊躇わない。うどんと、大根おろし、そして俺特製の汁とを混ぜ合わせ、男はずるずると、まるで魂にやり方が刻まれていたかのように麺を啜った。



 唇を麺が滑り、飛沫が飛び散る度に。



 男の眼が、見開かれていくのが分かる。




「美味い……美味い、美味い、美味いっ! なんだこれ……っ、なんだよこれぇっ!?」




 あれだけ辛みを嫌っていた男が、大根おろしを嬉々として麺ごと呑み込んでいく。



 ……むしろ、それくらいのリアクションをしてくれなきゃ困る――――味噌も醤油も全部全部、調味料は俺の手作りなのだから。



 素人知識でのテキトーな、朧気な記憶頼りの再現だが。



 元の食材が規格外に美味いから、元いた世界のそれよりずっと上等な自信はある。




「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ――――美味い、美味い、美味い、美味いぃっ!! はふっ、熱っ、はぁ、はぁ……っ、っくん! じゅる、じゅるっ……っ!」




 一度箸をつけてしまえば、あとは坂道を転げ落ちる石のようなものだ。



 風呂吹き大根を、欲張ってひと口に頬張った男が、悲鳴みたいに湯気を吐いている。なのに、口から出すのを惜しがって、ぐじゅり、ぐじゅり、少しずつ押し潰しては呑み込んで、喉で出汁の旨味を味わっている。味噌の溶けた出汁を、熱に負けないようちょっとずつ啜っては、味わうように口内で転がして、大切に大切に嚥下する。柔らかい味わいの中でふと刺激を求めたのか、再びうどんの方に戻り、豪快に麺を啜る。頬が膨らむほどに詰め込んで、男は眼をぎゅっと瞑って噛み締める。塩味、辛み、そしてうどんの甘み。汁自体の甘さにも気づいたのか、皿を傾けてガツガツと、貪るように中身を掻き込む。



 ――――残った風呂吹き大根の汁にも、男は、躊躇なく手を出した。



 これを食べ終われば、もう、男の命を留めるものはない。



 なのに、なのに、男は逆らえない。命を投げ出してでも、皿を空にしてしまいたい。




 そう思わせられたのなら――――俺の仕事も、合格点だろう。




「…………こんなに、こんなに、美味かった、のか?」




 汁気すらない空の皿を眺め、バンは、呆然とした顔で呟いた。



 牢の配膳口から、トレイを回収する。立ち上がって撤収しようとする俺を引き留めようとしてか、男は体当たりさながらに牢へ寄りかかり、ガシャガシャと鉄格子を揺らした。




「こんな、こんなに美味いものが! この世にあったのかよっ!? なんで……なんで、どうして俺たちは、知らなかったんだ……美味かった、本当に美味かった! 今までの食事がゴミみたいに思えるくらい、死ぬほど美味かった!! っ……もっと、もっと食いたい、食いてぇよ! 死にたくないっ! これで終わりだなんて嫌だっ! もっと食わせて、もっと、もっと――」













「だったら、なんであの娘を殺した?」







 牢のすぐ近くにある階段へ足をかけて、俺は、殺人犯に問いかけた。




 ……我ながら何様かと思う。こいつが殺したのはひとりだけど、俺が前世で殺した人数は60人以上。数で比べれば明らかに俺の方が大犯罪者で、だから、倫理だの道徳だの、俺に説かれるのなんざ屈辱ですらあるだろう。




 それでも俺は、糾弾する。弾劾する。




 ――――間違いを、問い詰める。





「死ぬまで続けられる食の快楽より、どうしてたかが一時の、性の悦楽を優先させた? あんたは、あの娘を殺さなければ、犯さなければ、攫わなければ、もっとずっと美味い思いができたのに」



「っ、あ、あぁ、あぁあああ……くれない、のか……? もう、もう……食わせて、くれないのかよ……っ、食わせて、食わせろよ……食わせてくれぇええええええええっ!!」




 絶叫。地下の牢全てに響くだろう叫びは、男が鉄格子に頭を何度打ちつけても止まなかった。



 嘆いても、痛々しくても、それで絆される情はない。


 血が出ても、涙をこぼしても、流される義理はない。




 ――――人間様の特権は、もう十分、享受しただろう?






「精々後悔しろ。それ死刑に至る罪が、あんたの選んだ末路なんだから」





 痛々しい以上に忌々しい、人殺しのそいつへ吐き捨てて。



 煤の臭いが酷い地下の牢から、俺は足早にお暇させてもらった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る