第4話

 砂漠の風が、帝都に夏の知らせを運ぶ頃。レグリーナは、朝の訓練を終えたレオンの背中を遠巻きに見つめていた。


「ふーん……剣の手入れ、そんなに楽しい?」


 テラスの縁に腰掛けながら、レグリーナは苛立ちと退屈を混ぜた声で訊ねた。


 レオンは振り返らない。


「鍛錬も、手入れも、任務の一環です。姫殿下の暇つぶしとは違います」


「っ……あんたさ、本当、嫌味のセンスだけはピカイチよね」


 口を尖らせる。だが、怒りは続かない。

 その背中を見ていると、怒りよりも、もどかしさが先に来るのだ。


 ――どうして、振り向いてくれないの?

 私は帝国第一皇女。求婚の書状なんて、山ほど届いてる。

 でも、どいつもこいつも“強さ”がない。

 声だけが大きくて、実のない軟弱者ばかり。


 けれど、この男は違った。


 圧倒的な剣の技。無駄のない動き。沈黙に宿る威厳。

 帝国の精鋭十人を一人でねじ伏せる、まさに“戦場の獣”。


 初めて見たとき、私は震えた。


 ……格好いい、とか、好き、とか、そういう軽いものじゃない。


 魂ごと、揺さぶられた。


「ねえ、レオン」


「……何でしょう」


「私のこと、嫌い?」


「いいえ」


「じゃあ、好き?」


「いいえ」


「……っ! なにその答え!!」


 つい立ち上がって詰め寄るが、彼は動じない。

 むしろ、その瞳はどこか哀れむようで――そのことが、胸に突き刺さる。


「私は“忠義”をもって生きています」


 そう、彼はいつもそう言う。

 戦場であれ、牢獄であれ、どこにいても“セイラ姫”への忠義を貫く。


「幽閉されて、あんな部屋に押し込められてるのに? 会うことすら叶わないのに?」


「……それでも、私はあの方に救われました」


「ふーん。つまりあれね。セイラ姫は、あなたの“理想”であり、“希望”であり、“祈り”なわけね」


 呆れたふりをして笑ったが、心の奥がチクリと痛む。

 まるで、入れない神殿の前で立ち尽くしているような気分だった。


「でも、命を張って護るべき人って、他にもいると思うけどな」


「……そのお言葉、誰のことを指しておられますか?」


「言わせる気?」


「……いえ、失礼しました」


 初めて、レオンが少しだけ頬を赤らめた。


 ――その瞬間、心臓が跳ねた。


 あ。

 いま、私、たぶん――惚れた。


 ただの“興味”じゃない。

 “私のものにしたい”っていう、征服欲でもない。

 この人が他の誰にも奪われるのが、怖い。

 この人の心が、自分以外に向いたままで終わるのが、嫌だ。


「……ねえ、レオン。もう一度聞くけどさ」


「はい」


「私のこと、好き?」


「……答えるべきではないと、思います」


 静かに、けれど丁寧に拒絶された。


 なのに、なぜか泣きそうではなかった。


(そっか……そういうところも、好きになったんだな、私)


 いつもの私なら、暴れてでも奪ってた。

 でも今は、ただ……この人の“忠義”が、あまりにも美しくて。


「ふふっ。……でも、覚悟しといてね」


「何を、でしょうか」


「私はね。あんたみたいに、ずっと誰かを想い続けられる人になりたいの」


「…………」


「でもその前に――あんたを、好きでいるのを、やめる気もないのよ?」


 そう言って、レグリーナはいたずらっぽく笑った。


 その笑みの裏にあるものは、もう“我儘”じゃなかった。


 それは、恋を知ってしまった少女の、初めての――本気だった。

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