第3話

 帝国の暁が昇る頃。

 レオンは、帝都城内の訓練場にいた。


「もっと速く! 遅いわよ、レオン!」


 金髪をたなびかせ、レグリーナが叫ぶ。

 その手には細身の魔剣スパーダ・アフェッタ――帝国王家に代々伝わる、癇癪持ちの剣。

 だが、それよりも危険なのは、持ち主の彼女自身だった。


「姫殿下……訓練の名目で、私を殺すおつもりですか?」


「バカ言わないでよ。殺したらつまんないじゃん?」


 楽しそうに笑いながら、レグリーナは躊躇なく突きを放つ。

 その太刀筋は鋭く、まさに実戦そのもの。普通の兵士であれば、三合も持たずに地を舐めるだろう。


 だがレオンは、受けた。

 足運び一つで、体勢を崩さず受け流し、逆に懐へと踏み込む。


 直後――


「……っ!」


 レグリーナの喉元に、木剣の切っ先が止まった。


 静寂。


「……ふ、ふふっ。やっっっっぱ、最高にたのしーじゃん、あんた!!」


 叫んだレグリーナは、嬉しそうに手を叩く。まるで子供が新しい遊び道具を見つけたように。

 近くに控えていた騎士団員たちは、顔を引き攣らせながらも黙して立ち尽くす。


 レオンは黙って木剣を納めた。


 だが、その眼差しは鋭く、決して彼女に心を許してはいなかった。


 この少女は、飽きれば捨てる。

 情ではなく、興味で人を繋ぎ止める。

 ――そう確信していた。


「ねえ、レオン。今日の午後、宮中の庭でお茶するの。付き合いなさい」


「……任務ですか?」


「うん、護衛ってやつ。私が退屈にならないようにするのが、あんたの仕事だから!」


 その傲慢は、王族のそれというよりも、自由気ままな少女そのものだった。


***


 同時刻、宮廷の奥。

 陽の届かぬ部屋に、一人の少女が閉じ込められていた。


 セイラ=アルミリア。

 幽閉されて数週間、心身は徐々にやつれていたが、それでも膝を崩さず、背筋を伸ばしていた。


 机の上には、香草の乾いた葉と、編みかけの刺繍布。

 王族としての礼節を保つよう努めているのが、逆に彼女の孤独を際立たせていた。


 カタン。


 扉の向こうから、小さな足音と、鍵の音。


 セイラは立ち上がり、静かに整列した。


 だが――扉は開かない。


「……セイラ様?」


 その声に、セイラの目が見開かれた。

 忘れもしない、懐かしい、強くて優しい声。


「……レ、レオン……?」


 扉越しに、気配だけが伝わってくる。


「お怪我は……ありませんか?」


「私は……無事です。……あなたこそ……!」


 声が震える。感情が堰を切りそうになる。


 だが、レオンはそれを察してか、すぐに声を低めた。


「ここでは長く話せません。……お姿を見られず、申し訳ありません」


「……いいえ。来てくれて、ありがとう。それだけで……私、もう少し、頑張れます」


 扉一枚越しに交わされる、わずかな温もり。

 けれどそれは、絶望の底に差し込む一条の光だった。


 レオンは、何も言わず、そっと扉に手を添えた。

 その手のひらの温度が、セイラの胸を熱くする。


「必ず、お迎えに参ります。……それまで、どうか、お心を折らぬよう」


「はい。……お待ちしています」


 ふたりの影が、扉越しに重なり、そして離れた。


***


 午後、宮廷の中庭。

 レグリーナは、絢爛なテーブルの前で不機嫌そうにケーキを突いていた。


「ねえレオン、さっき、あの部屋の前にいたでしょ?」


「……」


「セイラ姫に会いに行ったんでしょ。ま、入れてないだろうけどさ」


 彼女の口調は軽いが、視線はどこか刺すようだった。


「忠義って、そんなに大事?」


「姫殿下に理解いただく必要はありません」


「そう。じゃあ、こっちも好きにするわ」


 そう言って立ち上がったレグリーナは、急にレオンに顔を近づけた。



「あんたは、私のオモチャなんだから。壊れるの、禁止。絶対よ?」


 瞳が覗き込むように迫ってくる。無垢で、わがままで、けれど一途な熱がそこにあった。


 レオンは少しだけ、目を細めた。


「……承知しました、“姫殿下”」


「よろしい!」


 無邪気に笑うレグリーナに、レオンは静かに礼を取った。


 ――この少女の中にある、何か。

 それは、彼の中にあった“義”とは異なるかもしれないが、確かに“熱”を持っていた。


 そして、その熱はやがて――大きな渦を巻いてゆく。

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