第8話:忘れられた祠(後編)――祈りの間
マーティは静かに祭壇に供えた聖剣を取る。
それは、幾分か軽くなったような気がしたが、それでもマーティの手には重く感じる。
彼は、ゆっくりと剣を鞘に収めた。
聖剣の光が和らぐと同時に、部屋に描かれた銀の線画が光を含んで輝いていることに気づく。
クロンの光の影響だろうか。なんとも幻想的な光景だ。
「……あれ? この文字、古代語とは違うみたいですけど……」
ふと、線画の一部と思っていた見事な絵の一部が、文字だということに気づく。
祈りの間は、その名のとおり、祈りを捧げることで聖剣に力が宿るといわれている場所だ。
絵が描かれていることはあっても、今まで文字が記されている場所はなかった。
それを観察したネイロンが、ふむ、と興味深そうにしている。
「絵の模様のようにも見えるが、ドワーフの言葉だね」
「分かるんですか?」
「わりと簡単だよ。ただ、昔の言葉だから多少、意味は違っているかもしれないが……」
ネイロンは文字に集中しているようだ。ややあって、彼が口を開いた。
「マーティ。きみは、始まりの聖者、カルレイヴの仲間たちについて知っているかい?」
「え? ええ……まあ」
ネイロンから、突然そんなことを聞かれて戸惑ったが、マーティは素直に答えた。
(たしか、聖者カルレイヴは、吟遊詩人と半巨人、ドワーフの仲間を連れて、瘴気を祓い、次元の亀裂を塞ぐ旅をしていたんだっけ……)
幼い頃に絵本で読んだとき、なんとも異色の組み合わせだったことから深く印象に残っている。
瘴気とも呼ばれる毒気は、人間にとって害あるものだが、特殊な性質を持つエルフやドワーフなどの異種族には、効果が薄い。
そのためかどうかは定かではないが、聖者カルレイヴは旅の過程でお供に多くの異種族を連れていたようだ。
最終的には、先の四人で旅をしており、彼らを題材にした詩や本は、子ども向けから大人向けのものまで数多く存在している。
ちなみに、仲間の吟遊詩人は聖者カルレイヴと親しい仲で、祈りの間への鍵となる安息と恵みの詩を作ったのも彼だ。
「聖者の仲間だったドワーフは、晩年をこの土地で過ごしたようだ。この土地は彼女の鍛冶と彫金の技術によって栄えた側面があるから、ドワーフの言葉で記してあるのだろうね」
それに絵のような文字だから、芸術的な面でも見栄えも良い、とネイロンが付け足す。
ドワーフにとっても、カルレイヴは縁のある土地のようだ。
「色々と興味深いことが示してあるよ。特に……光の魔法はドワーフの特別な製法で作られる聖銀が触媒として良い、とか」
「ええっ!?」
そんな重要なことが示してあるなんて。
さすがネイロンだ。マーティは目を輝かせた。
「じゃあ、さっそく……聖銀? を扱ってる店を探しましょう! ドワーフと縁のある場所ならきっと――」
「マーティ」
足早にこの場を去ろうとするマーティを、ネイロンが名前だけで制止する。
その声は優しいが、どこか有無を言わさぬ雰囲気があった。
「きみは、すでに触媒に最適なものを持っている」
そう言って、彼はマーティが腰に下げた剣を指さす。
呆気にとられていたマーティは、鞘に収められた聖剣クロンに手を添えた。
「……だ、だめだ。上手く制御できない……」
暗い試練の祠を出て、マーティは早速、クロンに魔力を流し込む。
しかし、触媒を扱った経験などないマーティは、そのコツを掴めず苦戦していた。
ネイロンがその様子を見て、顎に指を添えながら、なにかを考えるようなそぶりをしている。
「“試練の祠の最奥で祈りを捧げれば、その刀身に魔を祓う力が宿る”……。まだ、私たちが辿り着いていない試練の祠がある、ということかもしれないね」
「そんな……」
やはり、自分が記憶を持っていなかったせいなのだろうか。
――せめて後戻りする手段と時間があれば。
追い詰められたマーティの思考が、次第に他責の方面に向かっていく。
今にして思うと、ラヴェリア王や宰相の対応は不誠実だった。
宰相を信頼しているのか、彼から頻繁に口を挟まれていた王の対応はすげないもので、あげくの果てには、聖剣の力を覚醒させるための重要な祠の場所を、なぜか全て教えてはくれなかったのだ。
「古代語の石碑を追って試練の祠を探すことでネレデアへの理解が深まり、魔に打ち勝つ力が強くなる」
「古代語は、王家が禁止したものだから関与しない」
などと、宰相がもっともらしい御託を並べて、早々に自分たちを王都から旅立たせたのだから。
結果的に、古代語の翻訳が可能で戦闘の技術にも長けているオーグストを仲間にできたが、今にして思うと、あの宰相の言動は矛盾だ。
魔王の再臨なんて、この国のみならず、世界の危機だというのに!
真っ青になるマーティを落ち着かせるように、ネイロンは微笑を浮かべて、その肩に手を置いた。
「焦らなくても良いんだよ、マーティ。最終的にものを言うのは、人の努力だ」
そう言いながら、ネイロンがマーティの背後へ回る。
彼は剣を握るマーティの手を、そっと持ち上げ、魔力を流し込んだ。
「きみは光の資質を持っている。私がクロンを扱うことはできないから、きみがするんだ」
それは決して急かすような口調ではなかった。
鼓舞するように、ネイロンがマーティの肩に手を添える。
「私が今からリズムをとるから、それを意識して、魔力を流し込んでみてくれ」
「……はい」
トン、トン、とネイロンが指先で軽くクロンを叩く。
その動きに合わせて、彼が等間隔で魔力を注ぎ込むのが伝わった。
マーティは倣うような形で、剣に意識を向ける。
集中してはいるのだが、至近距離でネイロンの息遣いを感じ、マーティは少しばかり気恥ずかしさを感じた。
おそらく――自分は男性相手に好意を感じる指向なのだろう。
前世でも、そんな傾向はあったのだ。
かつて、クラスの男子との会話で、女子に対する容姿の点数付けの話題があがったことがある。
ヒナタは女子に興味はなかったし、それらの一方的な格付けは不快感を抱くものだ。
やんわりと拒否すれば、話題にしていた男子からは反感を食らったし、男女の距離感というものを意識せずにいたせいか、女子とただ仲良くしていただけで同性から難癖をつけられたことがある。
同性に傷つけられた機会は多かったが、それでも、女子を相手にそういった感情は、いまいち湧かなかったのだ。
(そのせいで、年上は良いかも、と思ってたけど、同級生は苦手だったんだよな……)
ネイロンは、たしかに優しくて綺麗な人だ。意識はするが――きっと、尊敬や信頼、そういった感情のほうが近い。
なにより、ネイロンは、恐らくスフェルに好意を抱いている。
ネイロンに対する恋心など、マーティには微塵もなかった。
「準備はいいかい?」
ネイロンの声に、マーティは再度集中してうなずく。
「きみは触媒を使った魔法の経験がない。最初は使えなくて当たり前だ。――まず光の魔法ではなく、聖剣に補助魔法を乗せる練習をしてみよう。使い方によっては、きみの補助魔法はもっと効果を発揮できるはずだ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「――で、できた……!」
今まではひとりにかけることで精一杯だった強化魔法を、ネイロンと自分、二人同時にかけることができた。
これは大きな一歩だ。
「よくやったね、マーティ。魔力酔いも起こしていないようだし、きみは飲み込みが早い」
「ネイロンさんの指導のお陰です」
「きみの努力の賜物だよ」
そんな風に言われたら調子に乗ってしまう。マーティは、へへ、と笑いながら鼻の下をこすった。
ネイロンは間違いなく優しく褒めて伸ばすタイプだ。
「特に補助魔法は、適正がなければ扱えない難しい魔法だ。才能も大いに関係しているが、きみが努力していたことは知っている。役に立てて嬉しいよ」
(ネイロン先生~!)
マーティは、ネイロンの言葉に大きく救われた。
意図せずつらい前世を思い出して、マーティの涙腺が内心でジーンと緩む。
前世にネイロンのような近しい存在の大人がいれば、どんなに心強かっただろう。
彼ならば、スフェルの全てを委ねても良い。
まだふたりの気持ちも分からないうちから、マーティは、そんなことを思った。
「ネイロンさん……。あなたのような素敵な人が、義理の兄になってくれたら良いのに」
自然とそんな言葉が口から出る。
ネイロンは目を見開いて、くすりと笑った。
「僕も、君のような素敵な人が義理の弟になってくれたら嬉しいよ」
これには、兄もメロメロだ。
マーティが畏敬の念をこめてネイロンを見上げていると、彼はふと顔を背けて、こめかみを押さえた。
声をかけようとして、その表情に驚く。
「ネイロンさん」
「はは。……私のほうが少し、疲れてしまったみたいだ。情けないね」
一瞬、見ることのできたその表情は、なぜだか、ひどく辛そうなものだった。
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