第9話:日常の中の疑心(前編)――傭兵は疑う


 マーティは、ぐったりとベッドに顔面だけ埋めた。

 カルレイヴへ来てから、すでに五日が経過していたが、ここ最近は町を歩き回ったり、訓練をしたりで身体はクタクタだ。


 ――そういえば、今日はしばらく、なにも食べていない。

 いままで空腹感を感じなかったのは、長い時間、緊張が続いていたせいだろうか。

 せっかく町に出たのだから、焼き菓子のひとつでも買えばよかった。


 繁華街で感じた肉の焼ける香りや菓子の甘い香りを思い出して、いまになって、よけいに空腹を感じる。



 ――食べたい。いっぱいナッツが乗ってる感じの、甘いクッキー……。



 詠唱のように脳内で唱える。

 床に膝をついてベッドの感触だけに集中していると、なにかが耳元でがさりと鳴った。


 かすかな良い香りに顔を動かすと、なにやら美味いものでも入っていそうな紙袋を持った手が目に入る。


「オーグスト」

「よだれを垂らしてる犬がいるから、仕方なくな」


 ――今日は槍でも降るのか? 口調は底意地悪いものだったが、オーグストにしては、やけに優しい。


 犬呼ばわりはいささか気になるが、この際、些細な問題だ。

 マーティは気を取り直して、紙袋に手を伸ばした。


「その前に」


 ひょい、と紙袋を頭上に持ち上げられる。

 焦らされて、マーティは本当に犬になった気分になった。


 不満げに見上げれば、オーグストと視線がかち合うが、その目は冷たい。


「――お前、本当にマティアス・ミルズか?」

「え」


 なぜ、そんなことを聞くのか。マーティはドキリとする。


「……な、なんだよ突然。どうしてそんなこと聞くんだ」

「洞窟で魔法を使ったときから思っていたことだ。――お前の阿呆面を見間違えることはないが……人間に化ける魔物がいる、とは聞くからな」


 マーティの鼓動がさらに早まる。――洞窟の時点で疑われていたなんて。

 挑発的な言葉に反応して、マーティはベッドから腰を上げてオーグストに向き合った。


「失礼なやつだな。俺は正真正銘、マーティだ」


 自分で言っていて、マーティは、疑問を抱く。

 ――俺は、本当に胸を張って、自分がマーティだと言えるのだろうか。

 不安が過ぎったが、マーティはすぐにオーグストに挑んだ。


「それとも、なに。――俺が、夢魔にでも見えるってことかよ?」


 おどけながら、上目遣いでオーグストを覗き込む。

 夢魔は魔物ではないが、人の理想の姿に変身して誘惑することで有名な魔族の一種だ。


 遠回しに「俺が魅力的にでも見えるのか」とわざとらしい態度をとるが、オーグストは相手にする気はないらしい。


「馬鹿も休み休み言え」


 そう一蹴しながら、オーグストがマーティの襟元に手を伸ばし、乱れを直す。

 子どもを扱うようなその対応に、マーティは内心、苛立った。


 ――なんだよ。巻き戻り前は、俺のことが好きなのか聞かれて、動揺してたくせに。可愛くない反応だな。


 内心ぼやいて、マーティはハッとした。


(って、なんで俺は、そんなの気にしてんだ。別に、オーグストのことなんて、どうだっていいだろ……)


 オーグストは、鋭い相手だ。動揺を悟られてはいけない。

 それに、彼とは距離を置くと決めたんだ。


 ふざけている場合じゃない。――もっと、突き放すんだ。


「なにか、俺に気に入らないことがあるなら、ハッキリ言ってくれないか? 正直――俺たちを信頼せず、下の名すら教えてくれないお前に、どうこう……言われたくないんだけど?」


 人に意図的に悪意を向けるなんて慣れないことで、思わず言葉の歯切れが悪くなる。


 オーグストとは数ヶ月旅をしているが、彼は頑なに姓を教えたがらないのだ。

 マーティが当てこすった途端、オーグストがぎろりと睨む。


 その視線は思っていた以上に攻撃的なもので、マーティはほんの少し萎縮した。


 突き放したのは自分だが、名前のことに触れただけでこんな風に睨まれるとは思わなかった。

 しかし、マーティは、負けじと睨む。


「生意気な口は、ご褒美が欲しくないみたいだな」

「俺になにを望んでるんだよ。……ついでに言うと、生意気さなら、お前の口には負ける」


 正直、これは本音だ。


 オーグストがなにか言いかけたように口を開き、黙った。

 かわりに、ふっと、どこか呆れたような、微笑んだような気配がする。


 そして、紙袋を開く音がした。


 途端に甘い香りが広がり、マーティが気を取られているうちに、オーグストはその中身をマーティの口元に押しつける。


 ふんだんにハチミツとアーモンドが使われたそれは、マーティが元いた世界でいうところの、フロランタンによく似た焼き菓子だった。


 まだ出来たてで温かいそれを反射的に口に含む。

 そのまま素直に噛みながら、マーティは自然とベッドに腰掛けていた。


「……オーグスト。なんで俺の好みが分かるんだ? ……こんなのが好きだって、言ったっけ?」


 オーグストのような無骨な男にしては珍しいチョイスだ。

 先ほどの緊張感はどこへやら。険悪な空気などなかったことになって、マーティは自分の唇を舐めた。


 現金だが、身体が糖分を求めていたのだから仕方がない。


「ただの偶然だ」


 部屋の隅のテーブルに腰を下ろして、オーグストも同じ焼き菓子を口にしている。

 甘味の暴力に近い焼き菓子を口にしているオーグストを、なんだか微笑ましく思ってしまう。


 彼は、甘いものを好む自分を揶揄しなかったので、マーティも、それをしなかった。



 オーグストが、自分の指についたハチミツを無意識のように舐めとった。

 つい、その仕草にどぎまぎして、マーティは誤魔化すように菓子を口にする。



 気づけば、部屋は静かになっていた。




「……カミリア」


 ぽつりと、オーグストがつぶやく。

 マーティは頬張るのをやめて、彼を見た。


「下の名だ」


 そう告げる横顔は、どこか物悲しさを感じるものだった。

 とっさにその理由を聞こうとして――考えを打ち消す。


 彼とは距離を置くと決めただろ、マーティ。


「いい名前なのに、隠すことないだろ」


 そう言って、マーティは菓子を口に運んだ。


 オーグストは、今までなにを恥ずかしがっていたのだろう。

 何気ない言葉だったのに、顔を逸らしていたオーグスの頬がわずかに赤らむ。




 そのときのオーグストは、一瞬、ほんの一瞬。


 ――本当に嬉しそうな、優しい顔をしていた。

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